【番外】他の人々
第65話 ある王女の覚悟
王女たる者に何が必要か。
王位を継がないならば、ある程度の美貌と母国への献身の心があれば良いだろう。それに加えて礼儀作法や知識をきちんと身につけていれば良い。母国の役に立つように教育を受けて、他国の王族のもとに嫁ぐのだ。それにより国同士の関係が深まる。
では、王位を継ぐ義務を負う王女はどうだろうか。
国を守り、民を守るという覚悟が必要だ。国を乱してはならない。貴族をまとめあげ、民を率いなければならない。必要な知識は膨大にある。
「生半可な覚悟で国を率いることなんてできはしない」
レジーナ・リア・グリンデルは暗い空を見ながら呟いた。冬の冷たい空気が頬を打つ。
レジーナはグリンデル国国王の第一子として生を受けた王女である。他に兄弟はなく、レジーナが王位を継ぐことは決定事項だった。
そんなレジーナの婚約者に選ばれたのは、ユークリッド公爵家子息アルフォンスである。マギ国王家の血を継ぎ、公爵家という高い身分であるという理由で選出された。
しかし、レジーナは彼を婚約者として認めることは出来なかった。グリンデル国は武を重んじる国だ。王女たるレジーナが武をもって貴族たちをまとめあげることは難しい。だから、婚約者にはその部分を担ってもらいたいと思っていた。だが、アルフォンスは見た目が軟弱で、到底その役割を果たせるとは思えなかった。いかに学園での成績が良かろうと、見た目で判断される部分が大きいのだ。
「殿下、お体が冷えますよ」
「……そうね」
背後から掛けられた言葉に頷き、バルコニーから室内へと戻る。すぐに窓が閉じられて、温かい空気がレジーナを包み込んだ。
「何を悩まれていらっしゃるのですか」
「貴女には関係ないわ」
感情の見えない眼差しから目を逸らし、レジーナはソファに腰掛けた。常にレジーナに付き従うメイドのような存在であるカミラは、決して安心できる存在ではなかった。
「そうですか? ――そういえば、アルフォンス様の所在が分からなくなったそうですね」
「……そうね」
だから油断できない。レジーナはアルフォンスの所在についてカミラに伝えたことはなかった。しかし、カミラはどこからか情報を得ている。
「明日の朝、報告にあがるようにと陛下からご下命がございました」
「……分かったわ」
陛下。レジーナの父親である。しかし、もう親近感も尊敬も抱けない存在だ。レジーナは苦い表情になるのをこらえて静かに頷いた。
翌朝訪れた部屋には二人の男が待っていた。父親である国王ライアンとその側近ベンジーである。いつの頃からか、ベンジーは常にライアンの傍に控えるようになった。
虚ろな目をしたライアンと完璧な笑みを浮かべたベンジーを見て、レジーナはすっと目を逸らす。あまりに不気味な対峙であった。
「アルフォンスの所在が分からないそうだな」
「はい」
「まさか、死んだのではないだろうな」
「現在調査中ですわ」
平坦な口調で問うてくるライアンに、レジーナも心を揺るがすことなく答える。ライアンにかつての覇気のある表情はなく、その目を見る気持ちにはなれなかった。ぼんやりと服のボタンに視線を置き、ただ聞かれるがままに答えるしかない。
「もしアルフォンス殿が見つからないようであれば……賢明なる王女殿下は分かっておられますよね?」
「……私は民を守り、国を守るだけよ」
ベンジーが口を挟んでくる。国王と王女の会話に側近が口を挟むなんて本来あり得ない。しかし、これは既に常態になりつつあった。ライアンがベンジーを咎めることをしないからだ。
「アルフォンス殿は類稀な魔力の持ち主です。王配として不適合であっても、その利用価値は高かった。――なぜ、簡単に逃してしまったのです?」
「彼が一瞬でどこかへ移動する術を持っているなんて想像もしなかったのよ。仕方ないでしょう」
「仕方ない。果たして、王族たる身分の者が、そんなことを言い訳にできるとでも?」
明らかにレジーナを馬鹿にする物言いに内心で憤った。しかし、それを表情に出すことは出来ない。王女たる者が、信用できない人物に感情を悟られるなんてことがあってはならないのだ。
「王女に対する言葉とは思えないわね」
「失礼いたしました」
あっさりと頭を下げるベンジーから視線を逸らす。この間もライアンの表情に変化はなく、何を考えているのかも分からなかった。
「レジーナよ。アルフォンスの魔力はこの国に必要なものだ。あれを作動させるには、莫大な魔力を必要としているのだ」
「分かっていますわ」
「あれさえあれば、帝国の脅威なんぞ存在しなくなる。マギ国は魔力の使い方を失敗して滅亡の淵にある。我が国がその二の舞になることなんぞ認められん」
「はい。グリンデル国が帝国に侵略されるなんてあってはならないことですわ」
ライアンの決意にレジーナも素直に頷く。
マギ国は人から魔力を集めて利用する技術とそれを兵器として使う技術を開発した。それにもかかわらず、実際の帝国との争いにおいて一切その技術を使うことができず、マギ国は今滅亡の淵にある。
レジーナは冷静にマギ国を評価していた。高い魔道具技術力があっても、それを活用できる能力がなければ意味をなさない。その点においてマギ国は無能だった。
「帝国に侵略されないためには、グリンデル国が世界の覇者にならなければならない。私はその策を奏上しましたのに、全然進みませんね」
「王女として民を守ることも必要なのよ。世界の覇者になるために、大事なものを犠牲にしたら本末転倒でしょう」
「アルフォンス殿を犠牲にすることは容易く決めたのに?」
揶揄するようなベンジーの言葉に、レジーナははっと息を吞んだ。その矛盾はもとから分かっていた。しかし、こうして言葉にして告げられると、自分が残酷な決定を下したことを突き付けられた気がする。
「――アルフォンスは貴族だったのよ。貴族として国のために犠牲になることも義務だわ。それに犠牲を最小限にして大きな利益をとるのは当然のことでしょう」
「ええ。アルフォンス殿を使えたら手間も減りますからね。私はそれでいいのですが、いつになったらアルフォンス殿を捕まえられるのです? 時間は有限なのですよ」
「分かっているわ。現在調査中だと言っているでしょう」
「調査したところで捕まえられなければ意味がない。つくづく、国内で捕らえられなかったのが残念ですね」
失望したように呟くベンジーをレジーナは激情を堪えて見据えた。
「国宝の魔道具を使って探知を続けているわ。アルフォンスはマギ国の方へと向かっているようだったから、そちらに先回りして騎士と魔法師を送っているのよ。彼がどうやって探知の魔法を逃れているのかはまだ分からないけれど、それも調べている。すぐに彼を見つけて連れてこられるわ」
「そうですかね? ――彼は瞬時に移動する術も持っているようなのに」
痛いところをつかれて、レジーナは返す言葉を失った。アルフォンスが持つ瞬時に移動する術はそれだけ厄介なのだ。それについても魔法師に研究させているが、まだ解明できていない。遠く昔の技術に転移魔法というものがあったと報告がきただけだ。
「王女殿下、どうぞご覚悟を。アルフォンス殿が捕まえられないのであれば、他に犠牲にするものを選ばなければなりません。――いえ、犠牲ではありませんね。献身ですよ。そう考えれば、お心も休まりますでしょう?」
なんの慰めにもならないことを嘯くベンジーを睨みつけそうになるをグッと堪えた。レジーナだって分かっているのだ。今のままでは、いずれこの国は帝国に飲み込まれてしまう。この国を保ち、帝国に打ち勝つには、ベンジーが奏上した策は有効な手段なのだ。
「レジーナよ。次の失敗は許されん。心せよ」
無感情に告げられるライアンの言葉に、レジーナは静かに頭を下げた。本来国を守り民を守るべき国王がこの状態なのだ。王女であるレジーナが一体どう反抗できるというのか。
王女たる者に必要なもの。国を守り、民を守る覚悟。では、国を守るために民を犠牲にする必要が生まれたならばどうするのか。
レジーナは限界まで足掻くだけだ。一人の人間の犠牲で民を守れるならば、躊躇いなく彼を犠牲にするのだともう決めていた。
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