第52話 過去なき者の嘆き

 アカツキが水晶の力で作った空間は、魔力で維持されていた。その魔力の源は、この空間を訪れる人間や魔物である。冒険者と呼ばれる人間たちは度々アカツキが創った空間を訪れ、魔物を狩ったり、アカツキが配置した宝を手に入れていた。そんな彼らが自然に周囲に放っている魔力をアカツキは少しづつ貰って、この空間を維持していたのである。

 しかし、ある時からぱたりと人の訪れが途絶えた。そうすると空間を維持する魔力が足りなくなる。アカツキは少しずついらない空間を消して、魔力の節約に努めなければならなくなった。


「へぇ、昔はここへたくさんの人が来ていたのですね」

「そうなんです。でも、なぜか来なくなっちゃって、折角作った空間を壊さなきゃいけなくなったんですよ」

「ここ、魔の森の奥にありましたから、仕方ないですよ」

「……魔の森?」

「魔の森を知らないんですか?」

「俺の記憶だと、この空間に続く洞窟は、平原にあったと思うんですけど」


 思わずアカツキとアルは顔を見合わせた。なんだか2人の認識に齟齬がある気がする。


「……俺が洞窟の外を確認できたのは、この部屋しか空間がなかった時です」

「では、長い時の中で、その平原は魔の森におおわれてしまったのかもしれませんね」

「……嘘だろぉ!」


 机にうつぶせに倒れるアカツキを見下ろす。


「ちなみに魔の森というのは、魔力によって魔物が生み出され、その環境が魔力によって維持されている森です」

「――それ、フィールド型ダンジョンでしょ。え、なに? 俺のダンジョン、違うやつのダンジョンに飲み込まれちゃったの?」

「ダンジョンというのは、あなたのような存在が水晶の力で作り上げた空間という意味でいいですか? 魔力によって維持されて、魔力によって魔物が生み出される」

「その認識でいいっす……」


 漸くアルが知りたかった疑問の答えが明確になった。そもそも、アルはアカツキの境遇よりもダンジョンという言葉がどういうものか知りたかったのだ。


「では、魔の森も、そのダンジョンというものかもしれませんね。ブランが言っていました。魔の森の奥には、ブランでも近づけない空間があったと。あれは、なにか条件を達成しないと入れない空間だったのかもしれません」

「……俺もそうだと思います。アルさんの思考の適応能力半端ないっす」

「いえ、単純な推測でしかありません」


 アカツキの脱力した褒め言葉を意に介さず、アルは思考を続けた。

 魔の森がアカツキの作った空間と同じようなダンジョンと言われるものだったのなら、特異な魔力の濃さも理解できた。これまで色々不思議に思っていたことが、アカツキのような管理者がいると仮定しただけで解決できる。


「――でも、なぜそんなものがあるかは不思議のままか。アカツキさんが、なぜ管理者になったのかも分からないし」

「アルさん?」

「いえ、大変興味深い話をありがとうございました」

「あわわ、俺こそ、昔語りを聞かせてしまってすみません、です」


 なぜかお互いに頭を下げあった。


「それで、アカツキさんは、なぜ僕たちをここに招いたのですか」


 本来、このダンジョンというものの奥、ダンジョンマスターの居室には、なかなか辿り着けないようにしているとアカツキは語っていた。だが、アルはそれほど苦労せずにここまでたどり着いている。いくら維持のための魔力が足りないからといって、防御を疎かにすることはしないだろう。


「招いたっていうか、どう考えても防ぎようがなかったし……」

「え?」

「……俺のダンジョンの最強の魔物が飛竜なんですよー! それをあっさり倒す人をどうやって防げと!? 平身低頭頭を下げて、命乞いするしか方法はないでしょう!」

「ああ……」


 蹲っての出迎えは、降伏の証だったらしい。不思議な風習だ。

 涙ながらに嘆くアカツキを見て、ちょっと気まずくなった。飛竜は強敵だった。だが、アルにとっては普通に倒してしまえるものでしかなかった。普通の人との感覚のずれを改めて感じて、ちょっと反省する。


「では、僕たちを招いたわけではないんですね」

「まあ、アルさんたち、問答無用で人を殺す人には見えなかったし、別に大丈夫かなとは思っていましたけど」

「それは正しい認識ですよ」


 たとえアカツキが蹲って、本人曰くの降伏の体勢をとっていなくとも、アルは相手の言葉を聞かずにすぐさま攻撃することはなかっただろう。その必要性もなかったし。


「あと、俺、どうしてもアルさんにお願いしたいことがあるんです……」

「なんでしょう?」


 潤んだ目を向けてくるアカツキから、気持ち距離をとった。なんだかその視線が居心地が悪いのだ。


「俺に味噌汁を作ってくださいー!」

「――は?」


 机に額を付けて、懇願してくるアカツキに、暫しアルの思考が止まった。アカツキが一体何を必死に懇願しているのか理解するのに時間がかかったのだ。


「味噌汁ですよー! 俺、ここに来てからずっと飲みたいと思って、わざわざその材料までダンジョンに創りだしたのに、作れなかったんですよぉ……」

「はぁ……」


 アカツキはひたすら嘆き続けた。その内容をアルなりにまとめるとこうなる。

 このダンジョンで目覚めたアカツキは、しばしダンジョン造りに熱中した。それは自分の存在が不確かだということからの逃避のような熱中ぶりだったそうだ。食事をとらなくとも生命が維持される自分に恐怖してもいた。

 そんなとき、ふと頭に浮かんだのだ。「味噌汁飲みたい」と。

 それからは、何をしていても味噌汁の存在が頭の片隅にあった。そればかりか、続けて、「白米食いたい」とか「豚の生姜焼き食いたい」とか次々と食べたいものが浮かんでくるのである。

 次第にアカツキは、それが自分の好きなものだったことを思い出した。その願望が唯一、他者に定められた強制的な使命ではなく、自分が心から愛し望むものだと分かったのだ。


 アカツキは奮起した。まずは、料理そのものを生み出せないかと思った。剣や宝石は、アカツキが水晶を通して望むだけで、完成形として生み出される。料理もそのようにして生み出せばいいのだと思った。水晶に味噌汁と白米と豚のショウガ焼きを願った。現れたのは、ひたすら黒い靄のような物体である。


「もう、絶望しました! ようやく食えると思ったら、謎の物体が出てくるんですもん! すぐさま次元の狭間に投げ捨てました。あれはいいゴミ箱です」

「……そうですか」


 アルはアカツキのテンションに付き合うのに少し疲れてきたが、貴族時代に培った忍耐力で何とか穏やかな笑みを維持した。


「その後、今度は材料から創って、自分で調理すればいいと思ったんです」

「それがいいでしょうね」

「まず、米を創ろうと思いました」

「はい」

「現れたのは1粒の米です」

「……え」

「それからは、いくら頑張っても米が現れませんでした」

「……」


 虚無の表情のアカツキから、アルは思わず視線を逸らした。ちょっとその絶望感についていけなかったのだ。


「俺は諦めませんでした。1粒の米を育てればいいんだと思いました。ここは俺が管理するダンジョンです。植えた作物の成長スピードを上げることだって可能です」

「……なるほど」

「1粒の米から、たくさんの米をつくりました。そのとき気づいてしまったんです」

「……何を?」


 聞くのが怖いなと思いながらも、思わず聞いてしまった。暗い眼差しがアルへと向けられる。


「俺、これからどうやって精米すればいいか分からねぇって」

「……それは」


 アルは言いたい。それは、コメを育てる前に気付けと。

 鑑定眼を持つアルは、その鑑定結果からどういう風に処理すればいいのかが分かったが、ダンジョンマスターのアカツキには、そういった能力がないことは推察できた。


「結局、俺は、1粒ずつ殻を剥きました」

「え!?」


 思わず声を上げて驚いた。アルの視線の先で、アカツキが乾いた笑いを浮かべていた。


「俺には時間がありましたから。ずーっと、収穫した米の殻を剥き続けました」

「……それは大変でしたね」


 アカツキに憐れんだ眼差しを向けてしまった。効率的な道具を使って作業したアルでさえ面倒くさいと思ったのだ。1粒ずつ殻を剥くなんて、アルには出来そうもない。


「殻を剥いた米を鍋と水で炊きました」

「おお、良かったですね」

「出来上がったのは真っ黒な物体です」

「え!?」

「……俺には米の炊き方も分からなかったんです」


 だからと言って、コメが真っ黒な物体になるとはどういうことなのかと、アルは首を傾げた。


「その時俺は思い出しました。俺、昔誰かに言われたんです。お前の生活能力、ゼロどころかマイナスだな、って」

「……」

「俺、ほとんどおぼえていない過去でも、ダークマター作り上げるくらい、生活能力がなかったみたいなんです……」


 ぽろぽろと涙をこぼすアカツキを目にして、アルは慰める言葉も思いつかなかった。


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