第53話 嘆いてばかりじゃダメ

「……これ、どうぞ」

「ありがとうございますぅ」


 アルが渡した手巾はアカツキによって涙と鼻汁まみれにされた。


「……ごめんなさい。新しいもの差し上げますぅ」


 ふらりと立ち上がったアカツキが水晶に手を翳すと、テーブルの上にふわりと手巾が舞い落ちてきた。良質な綿で作られたものである。アルが渡したものより遥かに質が良い。


「これ、高い手巾じゃないですか」

「気にしないでもらってください。これ質の調整とかできないし、元はアルさんの魔力から支払っているんで」

「え? ……ああ、僕がこの空間に滞在していたことで、アカツキさんの水晶の元に魔力が送られていたんですね」

「そうです。本当に、助かりました!」


 立ったままアルに向かって深々と頭を下げるアカツキを止めて座ってもらう。アルにとっては使いようのない無意識に放出している魔力を、アカツキが回収して使おうと、アルには何の支障もない。深々と頭を下げるほど感謝される必要はなかった。


「それで、落ち着きましたか?」

「取り乱してすみません……」


 しゅんと項垂れるアカツキに、昨夜の残りのダシをカップに注いで渡す。このダシというのは、そのまま飲むだけでも美味しいのだ。


「こ、これは!! 俺が作ろうとしても謎液体になったお出汁様!!」

「――オダシ様?」


 また不思議なことをアカツキが言う。首を傾げてアカツキを見つめるが、ダシの香りに興奮した様子のアカツキがそれに気づくことはなかった。

 熱い眼差しをカップに注ぎ、うっとりした様子でダシを少しずつ飲んでいる。


「美味しい~。これが正真正銘のお出汁様……。透き通った琥珀色、芳醇な香り……」


 味わうアカツキを邪魔することもできず、アルはのんびりと飲み終わるのを待った。


「あ、また自分の世界に入っちゃってました。すみません……」

「いえ、お気になさらず」

「俺、出汁もこれまで何度も作ろうとしてきたんです。味噌汁には必須ですから。でも、米も炊けない人間には無理でしかなかった……」


 アカツキは遠い目で再び語りだした。

 米を炊くのに失敗したアカツキは、どうしても諦めきれず、今度は味噌汁作りに挑戦した。まずはその材料を創るところからである。

 味噌汁に必要なのは、味噌と出汁のもとになるもの。

 味噌を大豆から自分で作るなんて無理だと既に悟っていたアカツキは、水晶の力で味噌そのものを創り出そうとした。しかし、味噌汁を創り出せないのと同様に、味噌を創ることもできなかった。考えに考えたアカツキは、味噌味の木の実を創ってしまえばいいと閃く。これまでのダンジョン作成の中で、新種の植物を創り出す研究をしたことがあったため、思った通りにミソの実を創り出すことに成功した。


「これはもう、画期的な閃きだったんです!」

「……そうですか」


 アルはちょっと言いたいことがあったが、アカツキの話を先に全て聞いてしまおうと、言葉にするのをやめて先を促した。


 ミソの実を生み出したアカツキは、同様にダシに必要なコンブとカツオブシを木の実として創り出した。ついでに、ショウユの実だとか色々なものを創り出し、和食作りの基本食材を自分のダンジョンに散りばめた。

 訪れる冒険者たちはそんな奇妙なものを倦厭けんえんしたが、アカツキは気にしなかった。


「その後、俺はまずミソの実を砕いて味噌にしました」

「え?」

「……俺が自分で創り出した実なのに、その使い方が分からなかったんです」


 アルは何とも言えず、遠い目をするアカツキを見守った。ミソの実は、塩と水と煮ることでミソになる。ミソの実を砕くだけでは駄目なのだ。


「出汁はですね、コンブとカツオ節を茹でたんです」

「ああ、まぁ、それで大丈夫でしょう」

「なぜか茶黒い液体になったんです!! 絶対飲んじゃダメなやつ!!」


 テーブルに拳をぶつけるアカツキから少し距離をとる。アカツキから負のオーラが放たれている気がしたのだ。


「結局、味噌汁も作れなかった……。やっぱり駄目だったんです……」

「――1つ疑問をいいですか?」


 アカツキの話がひと段落したところで、アルはずっと気になっていたことを聞くことにした。


「何ですか?」

「ミソの実じゃなくて、ミソシルの実は創れなかったんですか?」

「――ああああぁぁぁあっ、その手があったあああぁあ!」


 急に奇声を発して突っ伏すアカツキの声を防ぐために、耳を掌で覆う。ゆったり寝ていたブランが飛び起きて、声の発信源を睨みつけた。テーブルに乗り、アカツキの頭を肉球でバシバシと叩き出すので、アルは慌ててブランを止める。


「こら、ブラン、ダメ!」

『我の眠りの邪魔をしおったやつを成敗せねばならん!』

「加工品の味噌を実にできるんだから、味噌汁も実にできたかもじゃん! なんで俺思いつかなかったの!?」

「ブラン、こっちにおいで」

『放せ!』


 暴れるブランをテーブルから下し、抱きしめて拘束する。不満そうに唸るので、その口に余っていたクッキーを突っ込んだ。


「――取り乱してすみません」

「いえ、仕方がないですよ」


 アカツキが落ち着いたのは、ブランの口に10枚目のクッキーを突っ込んだ頃だった。そろそろクッキーがなくなってきていたので助かる。


「もう、自分の馬鹿さ加減に呆れちゃいます……」

「そう言わず。なんとか自分の望みの物を得ようと努力してきたことはよく伝わりましたよ。ミソシルの実ではなく、それぞれを創り出したことで他の料理にも使えるようになりましたし」

「……俺は使えないんですけど」


 しゅんと項垂れるアカツキに苦笑しつつ、アルは思案した。

 アルがここでミソシル――おそらくミソスープのこと――を作ってやるのは簡単だ。だが、そうすればアカツキはアルがいなければミソシルを食べれなくなる。それではなんの問題解決にもなっていないだろう。

 このダンジョンで得られた食材は、アルにとってとても便利で美味しいものばかりだった。それを創り出して管理しているアカツキに、何かしら感謝の形を示すのは大切だろうと思う。


「……全く料理を作れないんですよね? 誰かに教えられても?」

「はい、たぶん……。俺ができたのって、冷凍食品をレンジで温めるくらいで……。初めてレンジで料理を温められたときに、凄く感激されたのを、今思い出しました……」


 何故かさらに落ち込むアカツキに首を傾げる。


「そのレイトウショクヒンとかレンジというのは何ですか?」

「あ、冷凍食品は、調理済みの料理を瞬間冷凍させたもので、温めるだけで食べられるんです。レンジはそういうのを温める道具ですね」

「なるほど……」


 冷凍された食品で冷凍食品というらしい。それを温めるレンジというのは、魔道具のようなものだろう。ならば、アルに作れないこともないはずだ。


「よし。では、ミソスープ製造魔道具と加熱魔道具を作りましょう」

「――え?」


 アカツキが目を点にして固まっていた。それを見て首を傾げながら、アルは聞き忘れていたことを思い出す。


「アカツキさんの水晶って、魔道具は創れないんですか?」

「えぇっと、魔道具っていうのは、魔法陣が刻まれた不思議道具ですよね? 残念ながら創れないんです。ダンジョンに直接関係のある転移魔法陣とかは創れるんですけど」

「では、魔法陣なしの箱だけとかは創れますか?」

「え、箱だけ? 機械の外見そとみだけってことかな? それは創れます。ほら、剣とか創って宝箱に入れたりしますし」


 戸惑いつつもアカツキがアルの質問に丁寧に答えてくれるので、アルはこれからすることの計画を万全に立てられた。さすがのアルも、魔軽銀の箱やプレートだけで大掛かりな魔道具は作れないので、そこだけ困っていたのだ。だが、その問題点は全てアカツキが持つ水晶の力で解決できる。水晶の動力源と思しき魔力の問題も、アルがここにいるだけで解決できているようだし、もう何の問題もない。


「では、アカツキさんがいつでもミソスープを飲めるように、魔道具作りをしましょう!」

「は、はぁ……?」


 未だにアルが言っていることをあまり理解できていない様子のアカツキに構わず、アルがにっこり微笑んで宣言した。

 頭の中で、ついでにコメ炊きとかパン窯とかも作るのを協力して貰おうと算段していることは全く顔には出さない。ミソスープ製造魔道具が出来上がれば、きっとアカツキはなんの文句もなく、アルが他の魔道具を作るのにも協力してくれるだろうと分かっていた。


『――笑顔で抜け目のない奴め』


 呆れたようにぽつりと呟くブランの頭を軽く叩く。アルは純然たる好意でアカツキの望みを叶えようとしているのに、失礼な狐である。


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