第51話 扉の先に現れるもの
『行ってらっしゃい』
『愛しい子』
『さようなら』
『また来るのよ』
そんな妖精たちの言葉に見送られ、アルは岩山のところまで来ていた。ミルクとクッキーを味わえなかったブランは地味に拗ねていて少し面倒くさい。
「いい加減機嫌なおしてよ」
『ふんっ、ならば甘味をよこせ』
「今日の夕ご飯の時に用意するってば」
『ちゃんと特別な甘味だぞ!』
「分かっているよ」
ブランの言葉に適当に返しながら、岩山を見上げる。これまでに見てきたものと違って、蔓バラが咲き誇る自然の美しさで彩られた岩山だった。扉の華美さがちょっと浮いている。浮いているのはこれまでと一緒だが、残念な感じが増していた。
「じゃあ、入るよ」
『うむ』
扉の先に現れる魔物はだんだんと強くなってきていた。この先に現れる魔物は飛竜よりも強い可能性がある。アルもブランもしっかり警戒して心構えをしつつ、扉に手を伸ばした。
スゥっと音もなく開く扉の先に、驚くものが見える。
「――え?」
人の後頭部である。
「――ぇえ?」
何度見直しても目を擦っても、眼前にあるのは人の後頭部だった。地面に蹲るように額を地面すれすれにまで近づけて、人が固まっていた。
『なんだ、こいつ』
「えぇっと、あの、どうしました?」
とりあえず話しかけてみた。こんな不思議な空間の奥で、まさか自分以外の人間がいるとは思わなかったのだから戸惑っても仕方がないと思う。
「頭を上げていいっすか?」
「すか? ……ええ、どうぞ、そんな地面に蹲らなくても」
「ありがとうございますぅ!」
ばっとあげられた顔は、どことなくのっぺりした感じだった。黒髪でどこか異国情緒のある顔立ちである。グリンデル国とかとは違う民族なのかもしれない。
そんな不思議な雰囲気の青年が潤んだ眼差しでアルをひたと見つめていた。アルはなぜこんな眼差しを向けられるのかまるで分からない。そんなアルの背後ですっと扉が閉まった。
「あ、どうぞ、あっちでくつろげますんで」
「はあ……?」
青年はよっこいしょういち、という不思議な掛け声とともに立ち上がりアルを導く。青年に促されるままに、少し奥に進んだところにある机へと向かった。
「そちらにお座りください」
「あ、どうも」
絨毯の上に置かれたクッションらしき平べったいものの上に座るように促されて、とりあえず座ってみた。青年も机を挟んで向かい側に腰を下ろし、アルに向かってなぜか手を合わせている。
「あの、ここはなんですか?」
「ここは俺の部屋です!」
「……あなたの、部屋」
ぶしつけにならない程度に部屋を見ると、確かに壁際のベッドや物が置かれた棚に生活感が感じられた。
『なぜ、こんなところに人間が住んでいるのだ?』
不思議そうに首を傾げるブランを胡坐をかいた脚の上にのせ、その毛並みを撫でる。いつもと変わらないふわふわの感覚がアルを落ち着かせてくれた。
「ここは不思議な空間の続きですか?」
「不思議な空間? ……ああ! ダンジョンのことですね!」
「ダンジョン……とはなんですか?」
「えっ! ダンジョンを知らない……? 知らないで入ってきたの、この人」
目を瞠った青年がぼそりと何かを呟いている。ダンジョンという言葉は、青年にとって知っていて当然のものだったようだ。
「ダンジョンという言葉は、聞いたことがないですね」
「そうですか……では、お教えしますね! まずは俺の自己紹介から。俺はアカツキっていいます」
「ああ、初めまして。紹介が遅れました。僕はアルです」
「アルさんですね!」
にっこり笑うアカツキにアルも笑みを返す。人間同士のコミュニケーションにおいて、笑顔での挨拶は基本だ。どれほど内心に疑問が溢れていようと、それを悟らせないくらい自然に笑みを作る方法をアルは知っていた。
「俺はダンジョンマスターっていう存在らしいです」
「ダンジョンマスター……。なぜ推測なのですか」
「誰も説明してくれなかったから、自分でそう判断したんです!」
「はぁ……?」
アカツキの言っていることが上手く理解できなくて、中途半端な相槌を打ってしまった。
「う~ん、どこから説明したらいいか……」
「できれば、分かりやすくお願いします」
「さりげなく要求が高い! さすがアルさん! 分かりました。頑張ります!」
なぜかアカツキに拍手された。と思ったら、握りこぶしを掲げたアカツキが、じっと中空を見据える。おそらく説明方法を思案しているのだろう。
アルはその様子を見ながら、アイテムバッグからハーブティーを取り出した。温めていた状態で収納していたので、ほのかに湯気が立ち良い香りが漂う。
『我も飲むぞ』
「分かっているよ」
アルとブラン用にハーブティーを注いだところで、アカツキの視線がアルのもとへと戻ってきた。
「あれはさかのぼること……うんと昔のことです――」
『旨いぞ』
「って、めっちゃ寛いでますね! いいんですけど! なんなら俺も飲みたいです!」
ハーブティーを楽しむアルたちを見たアカツキが、なぜか脱力しつつ主張してきたので、カップにアカツキの分を注いで渡した。
「ありがとうございます。……うぅ、温まるぅ、美味しいよぉ」
なぜかハーブティーを飲んで涙ぐむアカツキにちょっと引きながら、話の続きを促した。
「ごほんっ。あれはうんと昔のことです」
アカツキは過去を思い出す眼差しで語り始めた。
うんと昔。詳しい日数は日記を見ないと分からない昔のことだ。
アカツキは目覚めた時に、洞窟のような岩で囲まれた空間の中央で地面に横たわっていた。自分がなぜそこにいたのかは分からない。だが、この空間が自分の管理すべき空間だというのは、魂に刻まれた使命のように明確に理解していた。
アカツキはまず自分の現状を把握しようとした。しかし、これまで生きてきた記憶を呼び覚まそうとしても、全てが
「それは、怖いですね」
「もう怖いとしか言えないですよ~。あ、そのクッキー美味しそうですね」
「どうぞ」
「ありがとうございますぅ!」
なぜかクッキーを尊いもののように見つめてから、クッキーの端を小さく齧り取って食べるアカツキに少し引く。そんなに味わうものでもないのだが。
「続きをお願いできますか」
「あ、はい。……狐君寝てますね」
「気にしないでください」
たらふくクッキーを食べたブランは、アカツキの語りに飽きたようで、胡坐の上で昼寝をしていた。大事なことなら後でアルが教えてくれると判断したのだろう。アルもできればアカツキにはもっと簡潔にまとめて話してもらいたいなと思いながら、続きを促す。
「俺は恐怖と混乱の中で思ったのです。俺、こういう展開知ってる!って」
「はあ……?」
アカツキは過去を思い出せないことに恐怖したが、なぜかそのことだけは分かった。頭に浮かぶ展開をなぞるように周囲を見渡すと、中空に浮かぶ丸い水晶があった。それに手で触れると、自分がいる空間のことを一瞬で把握できて、それを変えていくことができることも分かったのである。
「それが、あの水晶です」
アカツキが指し示した方に、少し埃被った水晶があった。ふわりと宙に浮いている。
「不思議な水晶ですね」
「でしょう」
頷いたアカツキが語りを再開した。
水晶に触れてできることを把握したアカツキは、空間をいくつも作った。森や海、平原、砂漠、火山地帯など様々な環境を持つ空間を作り上げ、その空間同士を結ぶための空間も作った。空間には水晶で召喚された魔物を配置して、奥深くに配置した自分が住む空間には近づけないようにした。
「僕、ここでは洞窟と森と海と花畑しか見てないですよ」
「……これからご説明します」
しょんぼりとしたアカツキが語りを続けた。
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