第38話 絶滅種

 半透明のプルプルした球体。壁から滲み出るように姿を現したそれは、ぽよんぽよんと跳ねてアルの方に近づいてくる。いや、それが目指しているのはゴブリンの死骸だ。


「――スライム?」

『うむ。そうだな。久しぶりに見たぞ』

「って、絶滅したんじゃなかったの」

『は?』


 驚いたアルはブランと顔を見合わせる。だが、アルとブランの驚いたポイントは微妙に違うようだ。


『あれが、絶滅?』

「そう。スライムって弱すぎるせいで人に捕まえられて使役されたせいで絶滅したって聞いたんだけど」

『なぜ人がスライムを捕まえるのだ』

「なぜって、ほら、あれ見てよ」


 アルがスライムを指さす。そこではいつの間にか6体のスライムがゴブリンに集っていた。その体が触れたところから飲み込まれるようにゴブリンの死骸が消えていく。スライムが飲み込んで吸収しているのだ。


「スライムはああやってなんでも分解吸収してくれるから、昔はごみ処理とか排泄物処理とかに使われていたらしいんだけど」

『……なんだか哀れな奴らに思えてきたぞ』

「うん。人の使役下では繁殖とかしないみたいで、どんどん数が減っていってね。やっぱりごみだけじゃ栄養も足りなかっただろうし、死んじゃったみたいなんだよね」

『ほう』

「使役されたものが死んだらまた森から捕まえるでしょ?それでいつの間にか絶滅していたみたいなんだよね」

『確かに最近森で姿を見かけなかったな』


 ブランが事情を理解して頷くが、アルの疑問は解決されていない。


「そんな絶滅種がこんな洞窟にいるなんて思わなかったな。ここ魔の森の奥に入り口があったよね。スライムって魔の森の奥まで来れるほどの強さはなかったはずだけど」

『ここで生まれたんだろう』

「え?」


 首を傾げていると、ブランがあっさり言って、先ほどスライムが出てきた壁を鼻先で示した。


『この壁には時々強い魔力が集まっている。その魔力から魔物が生まれているようだ』

「――え、じゃあ、このスライムは生まれたて?」

『そうだな。アルも見ただろう。壁から出てくるところを』

「あれは壁に溶け込んで移動してきたんじゃなくて、そこで生まれたの?」

『そうだな』


 衝撃の新事実だ。魔の森では魔力から魔物が生まれると言われていたが、魔物が生まれる瞬間を見たという話は冒険者たちから聞いたことがなかった。アルもブランがそう言うから納得していたが、実際に魔物が生まれる瞬間を見たのはこれが初めてである。


「なるほど。……世の中には知らないことばかりだな」

『お?あれがこちらに気付いたぞ』


 ゴブリンを吸収し終わったスライムがプルプルと揺れていた。目がないのでどこを認識しているのか分からないが、ブランが言うにはスライムたちは今アルたちを見ているらしい。


「近づいてくるかな?」

『どうだろうな』


 スライムは弱い。物質を吸収できると言ってもその速度は遅く、戦いの場面で役立てられる能力ではない。文献によれば、スライムの中心にある魔石を狙って剣を振ればあっさり倒せるらしい。その後は剣の手入れが必要だが、それが嫌なら硬めの木の棒で攻撃しても倒せる。憐れんでしまうほど弱い。

 そんなスライムが6体いたところで、アルにとってなんの危険もなく、のんびりと絶滅種と言われている魔物を観察した。プルプルの体が気持ちよさそうだからと言って触れてみたいなんて思ってはいけない。それはさすがに溶かされるだろう。


「あれ、どこ行くのかな?」

『ふむ。生きた者には興味がないのか、あるいは強者に挑まない本能があるのか』


 暫く身を寄せ合って揺れていたスライムだが、1体がぽよんと跳ねるとそれに追随して他のスライムもぽよんと跳ねて、アルを避けるように壁際に寄っていく。そのまま跳ねて、アルが向かっていた進行方向に進んでいった。


「追っかけてみよう」

『……まあ、もともと進む方向だしな』


 スライムがどこを目指しているのか気になって、スライムの後を追うようにゆっくり歩く。ブランはアルのそんな子どもみたいな好奇心に若干呆れているようだったが気にしない。この洞窟を探索するという目的から逸れたわけでもないし、別に興味をひかれたものの観察を優先しても問題ないだろう。


「――止まった……」

『うむ。戦う気はないようだな』


 進行方向から再び魔物の物音が聞こえたところで、スライムたちは壁際に寄ってぴたりと固まっていた。まるで鉱物のように微動だにしない。


「やり過ごす気かな」

『さてな。もしかしたらアルが魔物を倒すのを待っているのかもしれんぞ』

「まさか。……スライムにそんな知能があるの?』

『知らん。我はあのような下等生物と意思疎通はできん』


 スライムが何を狙って固まっているのかは分からないが、アルは襲って来る魔物がいるなら倒す選択肢しかもっていない。アルの姿を見て走ってきたゴブリンを先ほどと同じように斬り捨てた。


「――へぇ」

『ほう』


 ゴブリンが地に倒れた瞬間に、スライムたちがふるりと揺れてゴブリンに飛びついた。すぐさま吸収を始めている。獲物を横取りされたようなものだが、ゴブリンならば全く問題ない。


「やっぱり、僕が倒すのを待っていた説が有力?」

『うむ。これらはアルが襲って来るとは思っていないようだな。下等生物だと思っていたが、存外判断力に優れているのかもしれん』

「え、そんなこと言われると、ちょっと襲ってみたくなっちゃうよ?」


 アルが言った瞬間に、ゴブリンに集っていたスライムの動きがぴたりと止まった。プルプル震えながら、アルとの距離をとろうとしているかのように、徐々に壁際に移動していく。


「……これは、どう見ても、僕が言ってることを理解してるよね?」

『言葉を理解しているのか、人の思念を読み取っているのかは分からんな。スライムに耳はなさそうだ』

「確かに、音を理解してはいない?……いや、その体自体が音の振動を拾って把握しているのかも」

『ああ。確かに音の振動を増幅させるのに良さそうな体だ』


 怯えた風情のスライムを淡々と観察する。アルとブランの視線に晒されたスライムは戸惑ったように震えるのをやめ、じっと固まっていた。なんとなくアルにも分かってきた。今スライムたちはアルの様子を窺っている。アルやブランが自分たちに害をなす存在か考えているのだ。


「――やっぱり、その辺の魔物と違って知能があるね」

『そうだな』


 さすがにじっと見続けるのも可哀想だと思って、スライムから視線を逸らす。ついでに休憩をすることにした。この洞窟にいると時間の把握ができないが、そろそろ夕時な気がするのだ。今日はここで一晩過ごしてもいいかもしれない。


「ブラン、今日はここで野営にしようか。結界を張れば、魔物が出てきても問題ないでしょ」

『うむ。飯だ!』


 ブランに了解をとって、ゴブリンの死骸から離れたところに結界を張る。スライムたちは戸惑ったように再びゴブリンを吸収しだした。


「夕飯は何がいい?」

『うーむ。……ショウユダレの串焼きがいいぞ』

「分かった」


 アイテムバッグから取り出した材料で調理を始める。松明が並んでいるのだから洞窟内で火を使っても問題ないだろうと思い、起こした火の上に串焼きを並べていく。ショウユダレに肉を漬け込んでおいたので、中まで味が染みているはずだ。

 結界内に肉が焼けるいい匂いが広がる。その匂いを嗅ぐと、忘れていた空腹感がアルを襲ってきた。


「焼けたよ。食べよう!」

『うむ』


 ブランの前に肉を山積みにして、アルは自分の分の串焼きを手に持った。今日の肉は角兎だ。淡白な肉だが甘めのショウユダレがよく染みていて美味しい。味が濃い目なので、時々パンをかじりつつ串焼きを食べきった。


「ブラン、お茶飲む?」

『――あれらも、肉が欲しいようだぞ』

「え?」


 ブランが見ている方を振り向くと、結界に触れるかどうか微妙な位置にスライムが並んでいた。どこを見ているのか分からないが、その意思は確かに読み取れる気がする。


「……肉、欲しいの?」


 念のため聞いてみたら、スライムたちがぽよんと跳ねた。それは肯定の動きなのだろうか。正確なところは分からないが、なんとなく可愛く見えた。


「余ってる肉だけだからね」

『我ももっと食いたい』

「ブランはもう十分食べたでしょ」


 ブランの甘えはバッサリ切り捨てて、アルは新たに焼いた串焼きをスライムたちの方に投げてやった。


「美味しいのかな?」

『あれらに味覚があるのか?』

「分からないけど、なんか嬉しそうじゃない?」

『……うむ』


 ブランが否定できないくらいスライムたちは明らかに嬉しそうにしていた。少なくとも義務的に捕食していたゴブリンの時とは全く違っているように思える。


「――まさか、これでなついてくるとか、ないよね?」

『そんな単純な生き物ではない、……と思いたい』


 アルとブランは複雑な感情がこもった眼差しを交わした。


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