第36話 旅立ち

 気候は次第に冬の厳しさを増していった。森にいる分には楽だが、町には雪が降り積もって、道端に積み上げられていっている。それを横目に見つつ、アルはラトルの店を訪ねた。


「お?アルじゃないか」

「あ、レイさん、おはようございます」

「おはよう」


 店に入るとレイが暇そうに椅子に座っていた。カウンターにぐたっと倒していた上体を起こして、アルに挨拶をしてくれる。カウンターの向こうにいるはずのラトルの姿は見えない。


「狐君は前よりもふもふしてないか?」

「完全に冬毛に変わったんでしょうね」

『温かいぞ。人間はたくさん着て大変だな』


 ふふんと人間を鼻で笑うブランの頭を撫でる。たしかに人間も毛皮があったら冬も楽なのにと思う。その分夏は嫌だが。

 暇そうにしているレイにラトルがどこにいるか聞いた。


「ん。俺が、剣の整備を頼んだからな、もうすぐ戻ってくると思うぞ」

「そうですか」


 交代の店員も置かず奥の工房に籠るなんて不用心だと思うが、店にいる相手がレイだから信頼しているのだろう。今はレイが店番代わりだ。普段は整備を頼まれても、物を預かって後日整備して返しているそうだ。


「お前はどうしたんだ?剣の整備にはまだ早いだろ?」

「ええ。ラトルさんに魔軽銀を発注していまして」

「ああ、魔道具の材料か」


 レイが頷いて納得したところでラトルが戻ってきた。レイの大剣を持ってカウンターに丁寧に置く。


「お、アル、来ていたのか。物は仕上がってるぞ」


 整備した剣をレイに渡し、代金をぶんどったラトルが再び奥へと下がる。


「……ひでぇな。俺にもちっとは愛想よくしろよ。客だぞ」


 ぼやくレイになんと声をかけるべきか迷っていたら、すぐにラトルが戻ってきた。車輪付きの箱を押していて、魔軽銀の箱がこれでもかと積まれていた。頼んだのはアルだがすごい数だ。これをたった2日で仕上げたとは驚きだ。


「うおっ、凄い量だな。魔道具屋でもするつもりか?」

「いえ、今日から旅を再開するので、そのための物資ですね」

「……今日から?」


 なんとも言い難い表情を向けられて、アルは首を傾げる。だがすぐにラトルに声を掛けられたので、そちらに視線が移った。


「これで大丈夫か?」

「はい。良い出来ですね」


 1流の職人は、こういった簡単なものにも手を抜かない。丁寧に作られている箱やプレートを確認してその代金を支払い、アイテムバッグに収納した。


「それで、お前さん、旅に出るのか」

「はい。結構この町に長居してしまいましたし、そろそろ旅を再開しようかと」

「……魔の森に住んでいたくせに」


 なにやらレイが言っているが、アルはラトルとの会話を続けた。


「そうか。整備の時は帰ってこれそうなのか?」

「一応、こっちに帰ってくる手段は用意していますから、その時は整備をお願いします」

「ほう? 手段な……よく分からんが、お前が来たならちゃんと整備してやろう」

「帰る手段……、まさか」


 何かに気付いたレイがハッとしてアルを凝視する。だが、この場でそれを問いただすつもりはないらしく、口をつぐんだ。


「では、また」

「おう、元気でな」


 ラトルと軽く別れを告げて店を出ると、無言でレイがついてくる。その様子を不審げに見ていたラトルを気にしていないようだ。アルも無言のレイの様子が気になったが、なんとなく声を掛けずらい。


『なんだこいつ』


 ブランも不審げにレイを見ていたが、暫くしたら興味を失ってアルの肩に伏せた。モフモフ度が増したブランは温かくて気持ちがいい。

 門に近づいたところで、漸くレイが口を開いた。


「……お前、薄情とか言われねぇ?」

「え?」

「なんで出発のこと俺に言わないんだよ。分かってたら、飯ぐらい奢ってやったのに」

「……ありがとうございます?」


 もしかしてこれは別れを惜しまれているのだろうか。レイの表情を見て暫し固まった。


「俺が預かっている転移箱は返さねぇぞ。作ってもらいたい魔道具ができたら、それで連絡を入れるからな」

「ああ、もちろん。もともとそのつもりでしたし」

「……あと、出国と入国に関しては手を打っておいてやる。好きに帰ってこい」

「あ、……ありがとうございます」


 危ない。転移の魔法陣を使うと密入国になるところだった。そもそも人の使う関所を使って出国しないからバレないだろうが、レイが手を打っていてくれるなら有難い。


「……お前は普通とは違う移動手段を持っているみたいだしな」


 呆れ顔のレイからそっと視線を逸らす。転移箱の原理を理解すれば、それを改変して人が転移する術もあると推察できるだろう。だが、今のところ転移の魔法はアルのオリジナルである。あまり不特定多数に知られたいわけではない。


「まあ、いつでも帰ってこれるっていうんなら、大げさな別れはいらないんだろ?元気でやれよ。なんか困ったことがあったらいつでも帰ってこい。俺ができる範囲は手を貸してやる」

「ありがとうございます」


 アルの転移の魔法に勘付きながらも、言葉にして聞くことはしないらしい。確定してしまえば、国に報告しなければならなくなるからだ。


「はぁ、会ったばかりだっていうのに、冬の間くらいは町に滞在しようとか思わんのかね?」

「え、だって、雪の中で生活するの大変でしょう?」

「……まさか、それが嫌で旅を再開するのか?街道も雪で埋もれてるから大変……って、こっちの門から行くってことは、魔の森で泊りながら進むってことか。正気とは思えねぇ。お前じゃなきゃ、考え直せって怒鳴るところだよ」

「はは……」


 完全に呆れた表情だが、アルとしてはそれになんの不都合も感じていない。魔の森を安全に進むための手段は、この町のおかげでしっかり準備できた。暫くどこの町に寄らなくとも不都合はないだろう。


「……まぁ、その方が、追手がつきにくくていいのかもしれんな」

「追手、来てるんですか?」

「ああ、近くの町までグリンデルの者が来てるらしい。王族の手先の商人のようだが、お前の姿を見られたら面倒なことになったかもしれん。そう考えれば、いいタイミングでの旅立ちだったな。それにしても、事前に連絡を入れてほしかったが」

「すみません。そうですね、今後こういう機会があったら、ちゃんと連絡をするようにします」


 アルは気軽に転移できるから失念していたが、この世界では旅に出た者と再会するのは容易ではない。レイが微妙に怒っているのも当然だった。これだけ世話になっていて、さらに今後も魔道具関連で協力しようと言っていたのに、黙っていなくなるのは確かに薄情以前に誠実さに欠けた対応だった。少し反省する。


「おう、そうしてくれ。俺もずっとこの町にいるわけじゃねぇが、町を移るときは転移箱で連絡する」

「はい、分かりました。……それじゃあ」

「おう。心配はいらなそうだが、あんま無理せず元気でな。狐君もまたな」


 こういう場面でどういう言葉を交わせばいいのか分からなくて戸惑うが、レイが二ッと笑って送り出してくれたので、アルも笑顔で素直に別れを告げられた。


「いってきます!」

『お前は人間にしては見込みはあるぞ。容易く死ぬなよ』


 ブランもゆるっと尻尾を振ってレイに挨拶していた。言葉が通じないことは分かっている。ただ言いたいだけだったのだろう。アルに通訳を頼むこともなかった。


「行ってこい!」


 レイの言葉を受けて、アルは魔の森を再び進みだした。帝国へはこのまま魔の森を西に進んでいけばいいはずだ。


 旅の再開の朝は、柔らかな日差しがふりそそぎ、冬らしい澄んだ空気に包まれていた。



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