雪先輩の恋は前途多難。

夕藤さわな

第1話

 放課後の裏庭。紫の花が流れ咲く藤棚の下には木のベンチ。そのベンチには二人のセーラー服を着た少女。


 一人は百瀬ももせ 愛奈あいな

 高校生にしてはかなり小柄で、ふわふわな茶色い髪といい、ちょろちょろとした動きといい、小動物っぽい少女だ。

 今はベンチに寝転がり、気持ちよさそうにまどろんでいる。


 もう一人は紺野こんの ゆき

 モデルのようにすらりと背が高く、さらりと長く真っ直ぐな黒髪といい、楚々とした仕草といい、凛とした百合の花を思わせる少女だ。

 今はベンチに寝転がる愛奈に膝枕して、茶色い髪を撫でている。


 藤の隙間から差し込む柔らかな春の日射し。

 愛奈先輩の安心しきった寝顔。

 雪先輩の慈しむような目。


 家から近いというだけで選んだ高校だった。なんの希望も期待も抱かずに入学した。だが、今の俺は、この高校を選んだ過去の俺に感謝している。

 だって――。


「尊い……!」


 植木の中に潜り込んで二人の先輩を盗み見ていた俺は、手を擦り合わせて拝んだ。尊い、尊過ぎて、とりあえず死にたい。


 女性同士の恋愛や友愛を描いた作品――百合。俺は百合が大好きだ。

 何せ美しい。泣いても笑っても怒っても愛し合っても殺し合っても、何せ美しい。美しいモノは尊い。すなわち百合は尊い。


 ただ、まあ……二次元だからこそ、物語だからこそ美しいということも理解している。

 三次元は三次元。現実は、どこまで行っても現実だ。例え、同級生の女子二人が手を繋いで歩いてたって、ぴくりとも心は動かない。

 そういうものだと、あきらめていた。


 でも、三次元にも俺の心を揺さぶる尊い百合が存在した――!


「はうわぁ……尊い、尊い……!」


 雪先輩は愛奈先輩を揺り起こすと、ベンチから立ち上がった。日が傾いてきたから、そろそろ帰るつもりなのだろう。

 乱れたスカートや髪を直し合う姿も尊い――!


 手を擦り合わせて拝んでいた俺は、ふと首を傾げた。

 いつもなら二人並んで昇降口に向かうのに、今日は愛奈先輩一人だけが昇降口へと歩いて行く。ベンチの前で手を振っていた雪先輩は、


「……あれ?」


 すたすたとこちらへと向かってくると、俺の前にしゃがみこんで、


「やあ、後輩くん」


 にこりと微笑んだ。

 背の低い植木に潜り込むため、地面に這いつくばっている俺を見下ろして、にこりと。


「え、えっと……」


 盗み見ていたことがバレたのだろうか。叱られるのは構わない。ただ、二度と二人の姿を、尊い三次元百合をこの目で見れなくなるのなら……。


 ――……殺してほしい。


 なんて考えていた俺は、


「ねえ、君。ここ一か月ほど、毎日毎日、僕たちのことを見てるよね」


 雪先輩の言葉に顔を覆って、勢いよく地面に突っ伏した。いつも遠目から見ているばかりだったから知らなかった。


「一人称が僕! 楚々とした黒髪美人の一人称が僕! 悪くない! むしろ、良い!!」

「……ごめん。ちょっと何言ってるかわかんないんだけど、ひとまず僕の質問に答えて」


 雪先輩は微笑みを浮かべたまま、冷ややかに言った。あ、ちょっと苛立ってる。俺が勢いよく頷くと、雪先輩は困り顔でため息をついた。あーため息すら尊い。


「僕たちのことをずっと見ていたよね?」

「はい」

「どういう目的で?」

「百合補給のためです」

「……え、百合? 補給?」

「尊かったです……!」


 雪先輩は微笑んだまま、唇を引き結んだ。多分、どん引きしている。露骨に顔に出されるよりも傷付くけれど、これはこれで尊い。


 惜しむらくはここにいるのが俺で、愛奈先輩じゃないこと。

 百合でなければ結局、尊くない――!


「百合ってあれだよね、女の子同士の……」

「はい、そうです!」


 勢いよく頷く俺を見つめて、雪先輩は本格的な困り顔になった。


「一年生じゃあ、仕方ないか。…でも、もう五月だよね。この時期になっても僕のことを知らないなんて、もしかして君、友達がいない……」

「小、中学校とぼっちどうを突き進んできました。高校生になろうともこの道を信じ、邁進まいしんする所存」

「あ、うん、ごめん……そんな死んだ魚みたいな目をしないで」


 どんな目をしていたのだろう。雪先輩は真剣な表情で俺の肩をガシリと掴んだ。


「それで、知らないというのは?」

「んー、言葉で言ってもなかなか信じてもらえないんだよね。だから……手、貸して」


 言われるがまま。俺は雪先輩が差し出した手に、手を乗っけた。

 あれ? なんか雪先輩の手、骨っぽくない?  なんて思っているうちに、ぐいっと手を引かれ、雪先輩のスカートの中へ。で、その中にある何かをっていうかナニをむにゅっと……ナニを、むにゅっと……。


「さhpぎあj@jほぱjrぴあgzp!!?」

「あはは、久々の反応~」


 雪先輩が呑気に笑った。慌てて手を引っ込め、植木からも飛び出した俺は、


「男……?」


 スカート姿でしゃがんでいる雪先輩を見下ろして、恐る恐る尋ねた。雪先輩は長い黒髪を揺らして、こくりと頷いた。


「ワンチャン両性具有ふたなりの可能性……!!」

「なんか、本当にごめん。ただの女装男子なんだ」


 おっぱいが付いてれば、ギリ百合!

 そんな俺の淡い望みも、雪先輩は苦笑いで打ち砕いた。


「男子の制服を着ている自分に違和感があってね。中学の頃から、こうなんだ」


 俺の目の前にやってきた雪先輩は、楚々とした仕草で肩に掛かった髪を耳の後ろに掛けると上目遣いに見た。まつげが長い。薄い唇はつやつやしている。間近で見ても、ナニをむにゅっとさせられたあとでも、まだ男だなんて信じられなかった。


「近い……近いですよ、先輩!」

「僕のことを女だと思い込んでたんでしょ? なら、悪い気は……」


 くすくすと意地の悪い笑みを浮かべる雪先輩に、俺は無の表情になった。


「めっちゃしますよ、悪い気。罪悪感と言う名の悪い気」

「……え、罪悪感?」

「百合に挟まる野郎は滅殺めっさつ対象です。例え、それが俺自身であったとしても。俺は、俺を死刑に処す……!」

「いや、だから女じゃないから百合では……あ、ごめん、涙目にならないで……なんだか色々とごめんね、後輩くん。男だって明かして、ここまでショックを受けられたのは初めてだよ。……本当にごめん。とりあえず死ぬな」


 百合じゃなかったという事実を再度、突き付けられ。ショックでぐずぐずと泣き出した俺の背中を、雪先輩は困り顔でポンポンと叩いた。

 ひとしきりぐずぐずと泣いたあと、


「愛奈先輩は、その……女装のことは」


 俺は尋ねた。あれこれ聞いて、さっさと心の整理を付けて。この件は忘れてしまいたかった。


「幼稚園の頃からの幼馴染だからね。もちろん知ってるよ。……て、いうか、うちの高校で知らない生徒はいないと思ってたんだけど」


 雪先輩は俺の胸中を察しているかのように、穏やかな微笑みで答えてくれる。優しい。でも、喋る度に喉仏らしきものが上下している。切ない。


「そういうわけだからね、百合なんかじゃないんだよ。全然……」


 そう言って目を伏せる雪先輩を、俺はじっと見つめた。

 潤んだ瞳。微かに赤くなった頬と耳。切なげな、吐息――。


「だから、明日からは」

「雪先輩、愛奈先輩のことが好きなんですか?」


 雪先輩の言葉を遮って、俺は思わず尋ねていた。雪先輩はきょとんとした顔で俺を見つめていたかと思うと、


「な、え、どうして……!?」


 素っ頓狂な声をあげた。頬を押さえて顔を真っ赤にしている。


「表情見てたら、なんとなく」

「いやいやいや! だって、僕、こんな格好してるし! 女の子の愛奈を好きだなんて……おかしいでしょ!?」


 頬を押さえて顔を真っ赤にしている雪先輩を、頭のてっぺんから爪先まで眺めた。どこからどう見ても、セーラー服を着た黒髪清楚系の美少女だ。


 でも――!


「心の性別も、体の性別も、相手の性別も一切、関係ない。ただ、その人のことがいとおしい。それの、何が、おかしいっていうんですか!」


 そして、だからこそ、百合は尊い――!!


 なんて、心の中で絶叫していると、


「そんな風に言ってもらえたの、初めて……」


 雪先輩は目を潤ませた。かと思うと、


「後輩くん、僕とお友達になってくれない!?」


 がしりと俺の手を握りしめた。


「愛奈は両親よりも早く、女の子の服を着たいっていう僕の気持ちを理解して、後押ししてくれた一番の理解者だ。でも、僕が女の子を……愛奈を好きだって気持ちは少しも気が付いてくれない」


 雪先輩は悲し気な表情で肩を落とした。


「まわりの人たちも皆、そう。でも、後輩くんは気が付いてくれた! だから、僕の友達になって、恋の相談に乗って欲しいんだ!」


 俺の手を握りしめたまま、雪先輩はぐいっと顔を近づけた。唇をきゅっと噛んで、潤んだ瞳で俺を見つめている。

 愛奈先輩と結ばれたくて、こんなにも真剣な表情をしている。


 こんな表情でお願いされたら、断れるわけがない! この際、実際の性別なんてどうでもいい!


「わかりました!」


 尊い三次元百合の夢を見せてくれた雪先輩のため、何よりも俺の目の保養のため!


「雪先輩と愛奈先輩の恋、この俺が全力でサポート致します!」


 俺は雪先輩の手を握り返すと、大きく、深く頷いた。

 雪先輩はパッと目を輝かせると、満面の笑顔を浮かべて頷き返した。


 俺と雪先輩は、このとき知らなかった。

 俺たちのようすを愛奈先輩がこっそり盗み見ていたことを。

 そして――。


「女装男子とわんこ系後輩……ちょ、やだ、なにそれなにそれ! や、やややっぱり左は後輩くん!? あーもう雪の顔がいいのはわかってるけど……何、あの後輩くん! 猫背だし前髪で隠れちゃってるけど、実はめっちゃ背あるし垂れ目で可愛い顔してるし……ふわぁあああ尊い……尊い尊い尊い尊い……!」


 愛奈先輩が、とっくの昔にお腐りになられていたことも。

 俺の百合好きとタメ張れるくらいのBL好きであることも。


「任せて、雪。幼なじみのため、何よりも私の目の保養のため! 女装男子とわんこ系後輩の恋、この百瀬 愛奈が全力でサポート致します!」


 愛奈先輩がすっかり勘違いして、余計なお世話な決意を固めていることも。

 このときの俺たちは、まだ、何も知らなかったのだった。

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雪先輩の恋は前途多難。 夕藤さわな @sawana

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