寝言探偵、根古 祢々子

三衣 千月

山奥の山荘にて

 働きたくない。

 それが、彼女の望みだった。


 祖父の遺した探偵事務所を継いだのも、遺言で「継ぐなら遺産は全部やる」と書かれていたからに他ならない。

 適当にやって、数年で廃業させればいいだろうと彼女は思っていた。


 根古ねこ探偵事務所、所長、根古祢々子ねねこ。お酒と惰眠を生き甲斐とする探偵である。


 大きなため息をつきながら、自分が閉じ込められている山荘(クローズドサークル化済、連続殺人事件進行中、現在の被害者2名)の地図を眺める。


「なんでこんなことにぃ……持ってきたお酒も全部飲んじゃったし」

「祢々子さんがさっさと解決すればよろしいのでは?」

「起こる前に解決できてればなあ。働かなくてすんだのになあ」


 地図に突っ伏して長い黒髪を無造作に投げ出す。

 それを見てため息をつくのは事務所の雑務全般、所長の世話を含むそれを一手に請け負う細身の女性、名を雪野かなえと言う。


「だいたい、かなえちゃんが福引で旅行券当てたりするから……」

「祢々子さんも、大手を振って休めると大喜びしていたでしょう。ほら、早く推理してください。殺されるのはごめんこうむります」

「うーん……みんなアリバイがあるんだよなあ」


 彼女は状況を整理していく。

 現在、山荘に閉じ込められている人物は、根古とかなえを除き5名。電波は届かず、電話線は切断済み。山荘につながる橋は落ち、まさに絵にかいたようなクローズドサークルとなっている。


 もともと、彼女ら二人はこの山荘に迷い込んだ、招かれざる客である。山荘で同窓会をしていたというメンバーの厚意に甘えて山荘入りした矢先に、殺人が始まったのだ。


「ふぇぇ、会って一日と経ってないから顔と名前が全然一致しない」

「今朝、最初に発見されたのは、仁番にばんさんですよ」

「あー、実羽じつはグループの社長って言ってたっけ。はいはい、実羽の仁番さんね」


 それから、山荘の状況を調べていくうちに、電話線が切られていることが分かり。橋も落とされていた。切り口からして、ナイフなどの鋭利なもので切られており、人為的なものだと誰もが納得し、そして恐怖した。


 不安に駆られた面々は、極力集まって行動することを方針とする。

 だが、山荘の捜索時から姿が見えなかった一人の人物が先ほど、死体で発見された。食材を入れておく冷蔵庫の中で。


「ええと、確か、古地良賀こちらがさんね」

「はい。古地良賀早紀さきさんです。昨夜、遅くまで一緒に飲んでおられたでしょう」

「惜しい人を亡くした……お酒好きに悪人はいないものよ」

「理解できません」

「なんでよぅ。宝石だってくれたし」


 根古は机の隅にある、赤いルビーの嵌まったネックレスを見る。部屋で飲みながら談笑していた最中に、気が合ったからと渡されていたのだ。


「違いますよ祢々子さん。正確には、誰にも見られないように処分してくれ、です」

「換金しちゃってもいいって言ってたもーん」


 殺人が起こったというのに彼女らが平坦でいられるのは他でもない。慣れているからである。出掛ける先々で何らかの事件に巻き込まれるので、最近ではもうその前提であれこれ準備をしておくことの方が多い。


 そして今回もてきぱきと周囲の混乱を収め、取り得る最適な行動を提案した。


「んーむ。あの三兄弟はまあ、シロだと思うなあ。カッコよかったし」

「基準が不埒ですよ、祢々子さん」


 山荘に残っているうちの三人、茂部もぶ一郎、次郎、三郎は証券会社で働くエリートであると聞かされたことを思い出す。鋭い目つきの長男、ガタイのいい次男

、弱気な三男、である。

 三人組は、主に固まって行動しており、互いが互いのアリバイを証明していた。


「あと二人、おじいちゃんとあの感じの悪い人、か」

園西えんざい先生と、八田野やったの此人このひとさんですね」

「なんでそんなにすらすら名前でてくるの?」

「普段から事件に巻き込まれますので。覚える癖がついてしまいました」


 机に突っ伏したまま顔だけをかなえの方に向ける。頬がぺったりと机にくっついていた。

 うんうん唸るその姿を見て、かなえの庇護欲が掻き立てられる。


 ――あぁ、今日も尊い。事件が起こりそうな所に連れてきて正解でした。


 彼女は根古の世話をすることを至上の喜びとしており、とりわけ、彼女の困っていいる姿を見るのが好きだった。

 ぎりぎり限界まで困らせてから、それとなく助け舟を出す。


「そういえば、皆様はなんの集まりでここに集まっておられたのでしたか……祢々子さん、覚えておられますか?」

「確か、同窓会だって、早紀さんが言ってた気が――あっ」


 根古の頭の中で、ひらめきの連鎖が起こる。

 同窓会、ルビーのネックレス、三兄弟。カチカチとパズルのピースが嵌まり、それは一つの結論に帰結する。


「かなえちゃん。ホールに行こう」

「分かりましたか、犯人」

「うん。推理、完了」


 ぐ、と顔を上げて立ち上がり、根古は部屋のドアを開けた。




  ○   ○   ○




 ホールには、根古とかなえ以外に5人。

 老齢の園西を助けるように、茂部の三兄弟。そして少し離れた所に八田野がいた。


「みなさんに一つ、お知らせがあるの」

「どうしたね、探偵さんや」


 くるりとホールを見渡して根古は言う。


「犯人が分かった」

「なんだって!?」

「それは――あなた」


 すっ、と指先が上がり、茂部次郎を指す。

 かなえは心中密かに、違いますがまあ様子見でしょうね、と無表情を貫く。


「その、とりあえず理由を聞かせてくれるか、探偵さん。俺たち兄弟は基本的に一緒に行動してたぜ」

「そこが盲点だったのよ。共犯なの」


 場の空気が静まる。根古は続けた。


「仁番さんの殺害は早朝。これは、誰にでも犯行が可能。もちろん、私たちにもね。問題はその次、早紀さんの殺害について。最後に彼女の姿を確認したのは、八田野さん?」

「……そうだが。呼ばれて顔を見に行っただけだ。数秒もせず返ってきたさ。早紀が呼んでる声は他の奴も聞いたろ」

「ええ。だから、犯行はその後。三人が共犯なら、誰も見ていない隙を狙っての犯行も可能……!」


 次郎は大きく息を吐き、呆れた顔をする。


「探偵さん。寝言は寝てから言ってくれるか? 声を聴いた後、一郎兄さんは八田野と外の電話線を確認に。俺は園西先生とホールに。そして三郎はあんたらといただろう」

「あるぇ? あ、そうか、みんなにアリバイがあるから困ってたんだった。あるぇー? 」


 焦りだす根古を見て、かなえは心の中で恍惚とする。もっと困って欲しい。その表情を見るためだけに私は存在しているのだと。その純粋さと尊さを守るためならば、何でもする覚悟があると。


 かなえはこほん、と一つ咳ばらいをして八田野に声をかける。


八田野此人やったの このひと様。一つ、お聞きします」

「あぁ? なんだよ」

「早紀様に呼ばれたとのことでしたね。わたくしは離れていてその声を聞いておりませんでしたが、何と言われたのです?」

「なんでそんなこと……。ネックレスはどこだって言ってたぞ。すぐに見つけたさ。一郎も聞いたよな?」

「ああ。八田野の名前を呼んで、確かにネックレスはどこだ、と」

「なるほど。では、もう一度聞いてみましょう」

「……なんだと?」


 かなえはスマホを取り出して操作をした。すると、二階からホールにまで届く音量で『此人! ちょっと来てくれるー? 私のネックレスがないの!』と響いた。繰り返し繰り返し再生される、同じ抑揚の声。


「録音です。彼女は、実際にあの時部屋にいたわけではなかった。殺害の順序が逆なのです。早紀さんは、昨日の深夜、私たちと飲んだ後に殺害されたのでしょう。そして早朝に仁番さん」


 緊迫した空気が場に走る。


「先ほどの所長の推理は、ちょっとしたブラフです。八田野様は、確かに“彼女の姿を見た”と仰いましたね」

「そ、れは……」

「八田野、お前がやったのか……?」


 あわあわとする根古をちらりと一目見る。ああ、尊い。


「もちろん、確たる証拠はございません。ただ、矛盾した証言が一つある、と言うだけの話でございますので、わたくしにできることはここまでです」


 山荘の外から、音がする。

 バラバラと喧しい音が徐々に近づいてくるようだ。


「ですので、あとは警察の方々のお仕事です」


 県警のヘリが、窓の外に見えた。


「バカな! ここは携帯も届かない場所なんだぞ!? いったいどうやって救援を――」

「こんなこともあろうかと、この山荘に着いた直後、電話線が切られる前に呼んでおきました。職業柄、多少の顔は効きますので」


 そこへ、園西が一歩進み出る。

 茂部や八田野を庇うように前へ。


「お嬢さん。犯人はワシだ。ワシの教え子たちは何にもしとらん。……そういうことにしてくれんか」

「先生!?」

「何言ってんだよ先生!」


 ヘリの音は、どんどん大きくなる。


「八田野くん。いいんだ。ワシが悪かった。全ての元凶はワシだ。あのネックレスは……ワシの妻の形見じゃった。彼女にあれを渡したのは、ワシじゃよ」


 何のことを言っているのか分からないと顔をしかめる根古を見て、かなえは耳打ちする。


「愛ほど複雑なものはない、と言う話でしょう。詳しくは分かりませんが、分かる必要もないかと」


 根古は、むぅ、とふくれた。

 寝言探偵、根古祢々子。彼女の推理は当たらない。それでも事務所がやっていけるのはひとえに、雪野かなえの手腕であるが、彼女は根古に黙っている秘密があった。


 実際の推理は、全て根古が行っているのである。

 彼女が眠るとき、寝言にて推理は披露される。かなえは、それをなぞっているだけに過ぎない。


 これは先代の言葉であるが、祢々子には人の本質を見抜く能力があるという。だが、働きたくないという彼女の思いが、わざと事の真相から外れた方へ直観を進ませるのだ。


 そして事態が窮するほどにその能力は研ぎ澄まされ、寝言という形で表出する。

 彼女の困り顔を見れて、寝顔も凝視できて、なおかつ事件は解決する。


 三方損なしのこの状況を、かなえは守るのだと固く誓って、事件の解決に納得のいっていない根古の横顔を見つめるのだった。

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