第84話 天使の熱気

「じゃあ行くぞ」

「う、うん……」


 新学期二日目の昼休み。

 俺と霞は担任の清水先生を訪ねるために職員室へ。


「失礼します」


 中に入ると、奥の方の席に彼女がいた。

 昼食をとりながら、男の先生に声をかけられているところだった。


「あら、工藤君と天使さん。どうしたの?」

「すみませんお昼に。ちょっとお話がありまして」

「そう。だったらちょっと待ってて」


 どうやら男の先生は彼女をナンパしていたようで、笑顔でごめんなさいねと断られ、しょんぼりと去っていった。


 そしてすぐに清水先生と一緒に隣の応接室に入り、向かい合う。


「それで、話ってなにかしら」

「あの、先生は……」

「先生。先生は私の姉だと訊いたのですが本当ですか?」


 言いにくい雰囲気を裂くように、霞が言う。

 すると驚いた様子で先生は答える。


「どうしてそれを? え、もしかしてあの父がなにか」

「いえ、柳原さんという方に訊きまして」

「達也……あなた達、達也と知り合いなの?」

「ええ。僕は今、彼のところでバイトさせてもらってて」

「そう、なんだ……」


 霞も先生も黙り込んでしまう。

 

「ええと……先生は霞のこと、ご存じなんですよね」

「ええ。あの父親とは二回くらいしか会ったことないけど、その時に幼かったこの子を連れてたことがあったから。天使さんはもちろん覚えてないと思うけど」


 愛人の子供として生まれて、この人も俺たちにはわからない苦労をたくさんしてきたのだろうなと、父親の話をしようとする時、手が震えて悔しそうに唇をかむ彼女を見ればすぐにわかった。


「……霞、言いたいことがあるなら言えよ」

「う、うん。あの、先生……私のこと恨んでないですか?」


 本妻の子として、ひどい目に遭いながら過ごした霞から出た意外な一言。

 それに対して先生は言う。


「羨ましいと思ったことはあったわ。でも、あなたの動画を見てみんなあの人の被害者だったんだって知って。だからちょっとでも妬んでいた自分を責めたわ」

「そうですか……あの、柳原さんと別れたのもやっぱり」

「そうね。あなたが失踪したからってことで、保険をかける意味で父の使いの人がうちにやってきて。ちょうど怪我をした彼と縁を切って父の勧める相手と見合いしろってね」


 ひどい話だった。

 彼女の母親は病気だったそうで、その治療費がなくアルバイトを続けていた先生に、お金をやるからという理由で柳原さんと別れるよう話をしてきたらしい。


 しかも縁を切るためにひどいことを言わされたのまで父親の指示だったと聞けば、やはりあの父親は最低の人間だったと言うしかない。


 結局金はくれたみたいだけど、霞の居場所がわかりかけた頃に見合いの話はなくなったそうだ。

 その後、入院していた母親は亡くなり先生は奨学金をもらいながら大学を卒業したという。


 そんな話をしながら、どこか懐かむような顔をする先生を見て俺は柳原さんに会うことを勧める。


「先生、この近くで柳原さんはサッカー教室をやってます。よかったら一緒に来てください」

「……いけないわよ。私は彼が一番困っている時期にひどいことを言って離れたんだから」

「でも、本当は一緒にいたかったんでしょ?だったら」

「彼の気持ちも考えてあげないと。彼よりお金を選んだ女なのよ私は」


 もどかしいやりとりに俺は少し苛立った。

 どうして大人ってみんな変に物分かりがいいんだろう。

 もっと素直になれよと言いそうになった時、霞が立ち上がる。


「先生。私も先生の意見はわかります。先生と話すのが私も怖かったです。でも、話してみてよかったと思ってます。思ったより嫌われてなかったんだって……だからきっと柳原さんも話せばわかってくれると思います。一緒に行きましょ」


 俺の熱が伝染したのか、霞まで熱くなってしまった。

 

「あ、天使さん?」

「霞でいいです。私たちは半分同じ血が流れてるんですから、遠慮はしません。妹として言いたいことを言わせてもらいます。好きなら会いにいきましょう」

「……そうね。でも、もし彼が嫌がったら」

「その時は柳原さんの方をぶん殴ります。昔のことをずるずる引きずる男とかムカつくんで」


 その言葉に俺もドキッとした。

 霞と知り合った頃の俺は、昔のことをいつまでもウジウジと引きずっていた。

 だから彼女の前であれこれ言っていた時にはもしかしたらぶん殴られそうだったのかと思うと、他人事には聞こえなかったからだ。


「……わかったわ。じゃあ、放課後早速いいかしら」

「はい。いいわよね遊馬」

「う、うん。大丈夫だと思うけど」

「じゃあそういうことで。放課後よろしくお願いします」


 さっさと話をつけた霞は部屋を出て行こうとする。

 慌ててついて行こうとすると、先生から呼び止められる。


「あの。霞さん」

「はい?」

「……私はあなたのことを妹だって思っていいの?」

「え? もちろんです。私も外ではお姉ちゃんって呼ばせてもらいますから」

「そっか。うん、ありがとう、霞さん」

「さんはいいのに……」


 まだ二人の距離が完全に縮まったわけではないが、お互い恨んだりしていないことがわかり、少しだけ打ち解けた様子だった。


 これからゆっくり時間をかけて本当の姉妹になれればいいなと、ぎこちない二人を見てそう願う。


 そして。

 

 柳原さんと先生がうまく話せるようにと、今日は少しだけ欲張って二つ目の願い事をしながら、放課後を待った。



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る