第83話 天使の姉

 始業式。そして入学式と慌ただしい半日はあっという間に過ぎる。

 そして新任の先生の挨拶もあり、そのうちの一人が俺たちの新しい担任の先生になるということで、早速男子たちは若い女性の先生だといいなあなんてくだらない話で盛り上がっていた。


 そんな彼らの願いが通じたのか、教室にやってきたのは新卒の女性教師。

 登壇した時に生徒たちがおおっと声をあげるくらいに綺麗なその人はみんなの前で「清水霧江しみずきりえです。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつをしていた。


 しかし美人だ。それに……


 それに、霞と似ている気がする。

 もしかしてなんてことも頭をよぎったけど、先生も霞も特にそれらしい反応はなく、何事もないまま一日が終わっていった。



「なあ、担任の先生だけど」


 帰り道で霞に先生のことを話そうとすると、わかってるといった様子で「あの人が私のお姉さんだって言いたいんでしょ」と返された。


「なんだ、お前もそう思ってたのか。だったら」

「だとしても、向こうから何か言ってこないうちは私からは何もしない」

「なんでだよ。母親が違うとはいっても一応血のつながった姉妹なんだろ」

「向こうが私の事をどう思ってるかもわからないし。それに柳原さんに無理にくっつけようとするのもダメよ」


 まるで見透かしたように注意され、俺は呆気にとられた。

 まさに今日のアルバイトの時に柳原さんにその話をしようと思っていたところだったからだ。


「なんでだよ」

「向こうだって、一度別れた男と復縁したがってるかはわかんないし、大人の事情に首をつっこむのば野暮ってことよ。これだけ近くにいるんだし、お互い会おうと思ったら自分で動くわよ」

「でも、柳原さんは彼女が俺たちの学校にいるって知らないんだし」

「まあ、それくらいは伝えてもいいかもだけど。でも、何もしないと思うわよ」


 俺なら好きな人がどこにいるかわかったら、たとえ一度フラれた相手でも恥も外聞もなく会いにいくだろうと思うけど、霞の意見はちょっと違うようだ。

 男女の違いなのか、それとも俺がただ単純なだけなのか。


 もちろん清水先生が霞の姉という確証はないけど、何か感じるものがお互いあった以上は多分その可能性が高い。


 俺はせっかくなら、霞に血のつながりのある家族があの父親以外にいてくれたらいいのにと願うばかりだが、これだけは本人の問題なのでそっとすることにした。


 帰宅してからすぐにサッカー教室へ。

 そこで柳原さんに清水先生の名前を出すと、少し驚いた表情を見せた。


「やっぱり清水先生がそうなんですね」

「よくわかったね。美人だっただろ」

「ええ、とても。でも、会わなくていいんですか?」

「……いいよ。こんなに近くにいても来ないってことはそういうことだろう。もしかしたら彼女だって恋人がいるかもしれないし」


 霞と同じようなことを言う。

 どうしてみんな、好きな人間に対してそうも簡単にあきらめがつくのだろう。

 

 いや、簡単ではないのかもしれない。

 色々なことがあったからこそ、相手の幸せを考えて何もしないというのもまた、大人の選択なのだろうか。


 別れた相手に執着して迷惑をかけるなんてことはままある話。

 俺ならそんなことをやりかねないが、それでも賢い選択や大人の対応が果たして正解なのかはやはり納得ができない。


 今日は練習中もずっとそのことばかりを考えていて、集中力を欠く場面が多かった。



「ただいま」

「おかえり。遅かったね」


 今日は霞の方が先に帰宅していた。

 

 コンビニの経営は順調で、店長さんがうちの近くに二号店を出す計画だとのことだそうだ。

 そのこともあって夏には忙しくなるからと、今は暇な時を見つけて早く帰らせてくれてるようだが。


「そんなこと言って時間削られてるのよねー。ま、いいけど」

「お金がいるんだから仕方ないよ。アルバイトなんてそんなもんだ」

「それより、柳原さんに話したの?」

「ああ。でも会わないって」

「ほら、言ったでしょ」

「でもさ、俺はやっぱりおかしいと思うんだ」


 自分でいうのもなんだが、珍しく語ってしまった。

 やっぱり好きな人と会えるのに会わない、会おうとしないというのはただのやせ我慢じゃないか。そんなに相手の都合ばかり考えなくても、たまにはわがままになってもいいのではないかと力説すると、どうも霞自身の話にも被ったようで、複雑な顔をされた。


「ごめん。でも、俺はそう思うんだよ」

「わかるよ、遊馬の言いたいことは。でも、彼女と話して必ずしも臨んだ反応があるとは限らない。その方がもっと傷つく可能性だってあるんだし」

「でも、こうしておけばよかったってずっと引っかかったままだ。もし彼女に拒絶されたらそれはそれで諦めがつくというか、どうしようもなかったんだってわかるわけだし」


 俺には関係のない話で、霞や柳原さんにとってはそっとしておいてほしい話なのだろうとわかってはいる。

 でも、あの時こうしておけばという後悔だけは、やはり自分の大切な人にはしてほしくない。


「……わかったわよ。私からも柳原さんに話してみるわ」

「うん、頼むよ。ていうかまず、お前の方こそ先生と話してみろよ」

「……」


 そう話すとなぜか霞はもじもじとしながら下を向く。


「どうしたんだよ」

「……気まずいのよ」

「はあ? 何がだよ」

「い、いきなり私が出て行って妹ですとか、言いにくいじゃんか。それにお母さんだって違うんだし」

「なら俺も一緒に行ってやるから。本当は話したいんだろ?」

「うん……お願い」


 まずは霞から。

 話したこともない姉である清水先生に、話をしてみると決まったところで腹が鳴る。


「腹減ったな」

「うん。すぐ何か作るから待ってて」

「何か食べに行くか」

「ダメよ。節約節約」

「はいはい」

「何よ、私の料理は嫌なの?」

「そうじゃないって」


 普段ならこういう時、もう少し不機嫌そうにするのだけど今日の霞は機嫌がよかった。

 やはり、事情はどうあれ血のつながった姉妹がいるとわかって彼女も嬉しいのだろう。


 今日の夜食は豆腐ハンバーグだった。

 



 

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