第79話 天使の素顔

「では、テストを返却しますがその前に。天使さん、あなたカンニングをしたのではないですか?」


 唐突に発せられた先生からの言葉に、クラスがどよめく。

 英語の女教師。眼鏡をかけた岡田先生は、言い方は悪いがいかにも行き遅れてますと言わんばかりの気の強そうな三十過ぎの小柄な人だ。


 霞がカンニング?

 クラスメイトと同じように戸惑う俺とは対照的に、霞は落ち着いている。

 

 そして一言「やってません」と、力強く話すと、先生が少しおかしなことを言いだした。


「いいえ、あの英語のテストで満点なんて、やはり疑わざるをえません」


 この発言は、自分たちが絶対に満点をとれないような仕掛けをしたつもりなのに、という先生側の意地悪さを自白しているようにも聞こえるが、今はそれどころではない。


 疑念の目を向けられた彼女がどう立ち向かうのか。

 心配しながら見守っていたが、霞にそんな心配は無用だった。


「先生。先生って英会話できます?」

「な、なんの話ですか。今はあなたの」

「テスト問題の文章、今は使わない古い表現ばっかりですし文法がおかしいところも何点かありましたよ?不完全な問題を解かされる生徒側の身にもなってください。というより、教える側なんですからちゃんと勉強してからテストを作ってくれないと、私たちの学業に支障が出ます」


 はっきりと。少し怒った口調で霞は先生に言う。

 その発言に腹を立てたのか、先生はムキになり答案用紙を教壇にたたきつけた。


「教師に向かってその態度、一体何様ですか」

「先生。その発言をそのまま教育委員会に送っていいですか?生徒が満点とったらカンニングを疑うような、しかもカリキュラムを逸脱したバカみたいなテストを作ったあなたがどんな評価を受けるのか、世間に問いただします」

「え、いやなにもそこまでの話では」

「いいえ。これは先生側の不正ともとれます。きちんとした機関に公平に審査していただきましょう」


 霞が言い切ると、クラスの何人かが賛同するように「そうだ、あれはおかしいぞ」と声をあげる。

 やがてそれは伝染し、クラス中から不満の声が漏れだして事態は収拾がつかなくなった。


「先生。先生がどんな問題を作ってきても満点とる自信はあります。だから追試でもなんでもやってください。その代わり、冤罪だった場合はわかってますよね?」


 最後に強く言いのけると、先生の方が「すみません、私の勘違いです」と言って頭を下げた。


 カンニングをしたと、やってもいない生徒に罪を被せようとしたことに対する謝罪がこれだけでいいのかと、今度は他の生徒が先生を責めていたが、霞が先生のところに向かうと、やがて罵声が鎮まっていく。


「先生、一言いいですか?」

「な、なんでしょう……」

「ちゃんと勉強しなさい、ばーか」


 霞は先生に、皮肉たっぷりにそう言い放ってから席に戻る。

 その後はもう授業にもならず、先生はテストを配り終えると。自習と黒板に書いてさっさと出て行ってしまった。


 その後はもちろん、霞の周りにクラスメイトが群がる。


「天使さん、かっこいい!ていうかあのテスト百点だったの?すごいね!」

「いやースカッとしたよ。岡田、マジで陰険だからうざいんだよな」

「ほんとほんと、あれでちょっとはマシな授業してくれるようになるかもね」


 もちろん俺は囲まれる霞を外から見ながら不安も抱いていた。

 また先生に目をつけられて変なことになるんじゃないかなんて心配は、ここまでの道のりがそうさせるのだろう。


 しかし、結局は前の学校が異常だったというか、東家がおかしかっただけのようで、昼休みになんと校長先生から呼び出された霞は、直々に謝罪されたという。


 岡田先生には厳重注意という処分がとられて、学業の妨げになることをしたら校長自ら辞職を促すとまで言われたそうで。


 まあどの組織にも変な人はいるが、トップがしっかりしていればたいていはどうにかなるもの。

 しかし中にはもみ消しを図ったり、都合のいいことだけを表に出す輩もいるから社会とは難しいもので。


 だからこそ、俺たちが選んだ学校はいいところだったのだと。

 それがわかったせいか、教室に戻ってきてからの霞は上機嫌で、教室だというのに俺にあーんをしようとして彼女のファンから悲鳴が上がっていた。



「しかし今日はひやっとしたな。もう勘弁してくれよ」

「私のせいじゃないし。あのバカがいけないのよ」

「先生も先生だけどな。でも、こっちでもすっかり有名人だなお前」


 家に帰って、今日の事を振り返る。

 霞も俺もすぐにアルバイトがあるのでお互い着替えながら話をして、一緒に家を出る。


「そういえばクリスマスの日だけど、店の予約しておいたから」

「うん、楽しみにしてる。私もちょうど給料日だし、足りなかったら言ってね」

「そんなかっこ悪いことできるか。前借りしてでも俺が出すよ」

「男ってみんな見栄っ張りよねー。でも、遊馬がそうしてくれるのは嬉しいかな」

「好きな奴の為に頑張りたいって思うのは男も女もないよ」


 霞も最近は、自分を偽らずにありのままでいることに慣れている。

 だからだろうか、すごく明るくて楽しそうだ。


 付き合ってすぐの頃から、クリスマスのことや、無事に年を越せそうかなんて考えたりもしたがそんな日がついに近づいてきた。


 もう寒くなったから、霞が俺にくっついてくれるのがとても温かい。

 彼女の細い腕の温もりを感じながら、彼女を見送りにコンビニへ向かう。


 クリスマスがやってくる。

 こんな俺達にも、皆と同じように幸せを祝う時間がくる。


 ……プレゼント、喜んでくれたらいいな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る