第78話 天使の冬
「クリスマス? そんなの自分が渡したいものでいいんだよ」
あっさりと柳原さんは俺にそう答える。
「いや、そうなんですけど……」
「あはは。彼女を喜ばせたいんだね。でも、無理はいけないよ。ずっと続けられるものにしないと。あと、形に残るものって結構微妙なんだよね」
「どうしてですか?」
「一緒にいればいいことも悪いこともある。そんな一年を思い出した時に、必ずしもいい思い出ばかりじゃないからさ。それより美味しいもの食べて、うまかったねーって感情だけを心に残す方が、俺は幸せな気がするんだ」
「なるほど」
俺たちのこの一年は、いいことよりも辛いことの方が多かった。
そんな一年の思い出を残すよりは、先に進んだ方がいいだろうというのが柳原さんの意見だ。
「……ちょっと考えます。もちろん食事には行こうと思ってますが」
「ま、これはあくまで僕の意見だからね。記念になるものをもらって喜ぶ子もいるんだし、こればっかりは正解はないよ」
「ですよね。すみません変なこと聞いて」
「いえいえ、それより気が早い話だけど高校卒業したらやっぱり大学に行くのかい?」
「え、まあそうですね」
何の話だろうかと、首を傾げていると柳原さんから提案が。
「いや、うちもおかげさまで景気よく仕事がまわってて。もし工藤君がその気なら、うちに就職してもらって教室を一つ任せたいなって」
「俺が、ですか?いや、でも」
「いいよいいよ。俺の勝手な希望だから。まだ一年以上あるんだしゆっくり考えてよ」
「は、はい」
将来のことをぼんやり考えていく中で、いい大学を出て就職をしてというのがどうしても先に頭に浮かんでいるが、しかしそれだけが生き方ではないともこの一年で知ることができた。
うちの親みたいに脱サラして食堂経営してても平和に暮らしてる人もいるし、天使父のようにビジネスマンとして成功してもあんなことになる人だっている。
世の中、金が必要なのは今こうして働きながら霞と暮らしていて痛いほど実感している。
でも、金がすべてではないともわかっている。
やりたいことをやって、好きな人と一緒にいて、毎日同じことの繰り返しというのがどれだけ幸せなのかと思うと、柳原さんの提案は俺の心を強く揺さぶっていた。
◇
「ただいま」
「おかえり遊馬、今日は寒いからお鍋にしたよ」
ぐつぐつと煮える鍋がテーブルの上に置かれている。
俺の帰る時間に合わせて温めてくれていたのだろう。
「ありがとう、いただきます」
「着替えくらいしてきなさいよ」
「あ、ごめん」
「もう、ほんとそういうところは男の子よね」
着替えて仕切り直し。
改めていただきますと言って席に着くと、霞が鍋を取り分けてくれる。
「はい、お疲れ様」
「うん、ありがと。今日、柳原さんに就職しないかって誘われたよ」
「そうなんだ。で、悩んでるんでしょ」
「やっぱりわかる?」
「もちろん。その話がしたくて仕方ないって顔してるもん」
遊馬のことなら見たらわかるもんね。なんていって笑う彼女は、俺が欲しい答えをくれる。
「遊馬の好きにしたらいいよ」
「うん。でも、大学はやっぱり」
「高校からそのままプロに行ったと思えばいいじゃん。高卒だからって問題ある仕事でもないんだし」
「そうだな。うん、もう少し考えてみるけど、選択肢には入れておくよ」
「誰かに必要とされるってすごいことだよ。あっ、そういえば私、時給あがったんだ」
「よかったな。じゃあお祝いしないと」
「ダメよ。あがった分は貯金」
「夢がないなあ」
「あるわよ。遊馬とずっと一緒にいるためのお金だもん」
「……そうだな」
二人で鍋を食べてあたたまる。
そして、二人で片づけをして二人で風呂に入り、二人で布団へ。
彼女はこんな毎日が続くだけで何もいらないと言ってくれるが、そんな彼女に甘えているばかりではダメだ。
俺がサッカーをできなくなった挫折から立ち直れたのも、もう一度ボールを蹴ってみようと思えたのも、誰かのために頑張ろうなんて気持ちになれたのも全部彼女のおかげだ。
だからクリスマスの日には、俺から彼女に贈り物をしよう。
指輪とか高級なものとか、そんな分不相応なものは贈れない。
でも、この一年は嫌なこともたくさんあったけど、それでも霞とこうして想いが通じ合った最高の年だったと心から思えるので、せめて何か形に残そう。
隣で眠る彼女の為に何を買おうかと、彼女に携帯の画面が見えないようにしながらコソコソと検索を繰り返して、俺も眠りにつく。
◇
クリスマスの前に立ちはだかるのは期末試験。
明日からその試験が始まるわけで。
その勉強に追われる俺とは対照的に、霞は余裕そうだ。
「そこ、間違ってるわよ」
「え、どこ? あー、もうわからん」
「クリスマスが追試になってもいいの?ちゃんとしなさい」
「はーい」
勉強においては。いや、サッカー以外の事においては何もかも霞の方が上だ。
彼女に教えてもらいながらなんとか勉強を頑張っているが、自分の頭の悪さがどれほどなのか、霞と勉強をすればよく分かる。
「……受験、やっぱりするのかな」
「受験はしてもしなくても、やらないといけないことだからやるのよ。ちゃんとしないと留年まであるんだし」
「そこまでバカではないと思うけど……まあ頑張るよ」
結局俺は一夜漬け。霞は早々に眠っていた。
テスト当日、俺は霞に起こされて眠い目をこすりながら登校中もずっと参考書を読んでいた。
「がんばろ、テスト」
「ああ、赤点だけはないようにする」
「もし一教科でも私に勝てたら、なんでもしてあげるわよ」
「無理だろ……でも、勝ったらいいんだな」
「うん。その代わり私が一番だったら」
「また何かお願いか?」
「そうね。考えとく」
もう一番をとったつもりでいる霞の自信を分けてほしいなんて思いながら試験に臨む。
眠気と闘いながら、それでも何とか問題を解こうと頑張っていたが英語の試験の時にちょっとしたことが。
皆の筆が止まる。
昨日散々勉強したからわかるが、このテストは試験範囲外の問題ばかりだ。
教科書を丸暗記しようとしている俺はもちろんのこと、そうでない奴らも戸惑っている。
試験官の先生をみると嬉しそうな顔をしているので、これはどうやら確信犯。
どうしてこんないじわるを大人はしたがるのだろうとうんざりしながら問題を解く手を止めるが、霞だけはすらすらと問題を解いていた。
そして試験が終わり、皆が口々に「あのテストはないだろー」と嘆く中で、霞だけは平然とした様子を崩さない。
「お前、あのテストできたのか?」
「ええ。英語がわかれば余裕よ。あれでいじわるしたつもりならあの先生もあまり頭はよくないわね」
「お前が良すぎるんだよ。ったく、ヤバいかもなあ」
「一教科くらい大丈夫よ。それより、昼からのテストに向けて勉強よ」
「えー」
昼休みもずっと勉強。
そしてまた試験。
そんな辛い一日が終わり、やっと一息付けたのは放課後になってから。
試験は散々だったが、とりあえずやり切った。
昨日の徹夜のせいで、この日は帰ってすぐに眠っていて、目が覚めたら夜中になっていた。
霞が作り置いてくれていたご飯を食べてまた眠る。
もうすぐクリスマスだと、胸が躍る。
ただ、そんなワクワクするイベントの前だというのに、学校で少しトラブルが起こることをまだ俺は知る由もなかった。
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