第77話 天使の父との終わり


 ナンパ男の一件ですっかりヒーローになった霞はすれ違いざまに多くの生徒から声をかけられるようになった。

 しかし、以前の『天使様』と違い、作り物ではない彼女へ向けられる好意はとても清々しく、その一つ一つがとてもあたたかい。


 霞自身も、人を信用せずに自分を偽っていた過去を悔いるように、次第に他の生徒たちと打ち解けていた。


 今日は文化祭最終日。

 ほとんどの行事が終わり、片付けに追われる生徒が大半の中で、俺たちは相変わらず食べたり飲んだりを繰り返しながらぶらぶらとしている。


「楽しかったな、文化祭」

「うん、来年は私たちも何かしたいな」

「ライブしろよ。軽音楽部とかもあるんだろこの学校」

「アルバイトしながらだと無理よ。二人で出店しない?」

「どら焼きでも焼くのか?」

「そうよ、悪い?」

「あはは、それもいいかもな」


 夕方になると、明日から再開する授業を思い暗くなる生徒の姿や、打ち上げに行くぞと張り切る連中の姿など、今を愉しむもの、明日を憂うもので溢れかえる。


 俺たちは後者だった。常に明日を不安がって、平穏な今がいつまでも続いてくれと願いながら過ごしていた。

 でも、今はこの瞬間を愉しもうと、精一杯生きようと。そうすればまた楽しい明日がやってくるはずだと思えるようになってきた。


 先のことで不安がないと言えばうそになるが、そうならないためにしっかり今を生きるんだと。周りの支えもあって俺たちの心の傷はようやく塞がりつつある。


 楽しかった文化祭が終わり、今日はお互いアルバイトが休みだからスーパーで買い物をして帰ろうといつもの帰り道から一つ脇道へ。


 すると、路地に人影が見えた。

 ホームレスが座っているのかと思いそのまま過ぎようとすると、「霞」と、かすれた声が聞こえて振り向く。


「あっ……」


 そこには、ボロボロのスーツを着て髭をぼさぼさに生やした、天使父の姿が。

 

「霞……私だ、お前の父だ」


 のそっと立ち上がって、こっちに来ようとする汚い男性の姿を見て、通行人の誰もが不振がっていた。

 しかし霞は彼から目を逸らさず、一言だけ「私に父はいません」と言って、俺の手を引く。


「行きましょ」

「あ、ああ。でも大丈夫なのかまたあいつは」

「もう無理よ。ああなったら」


 俺たちは先を急ぐ。

 その時に霞は、彼がどんなことをしてきたかをまた、思い出すように話してくれた。


 もともとあの会社は彼のものではなかったそうだ。

 しかし、人脈と賄賂を使って上の人間を次々と嵌めていき、やがてトップに成りあがったのが俺たちに立ちはだかった天使社長の姿だったそうだ。


 しかし因果応報、スキャンダルが出てしまえば失墜は必然。あいつがそうしてきた連中のように、天使父もまた、会社の暗い部分だけを背負わされて、一生逃亡生活を強いられることになる、という。


「そのうち借金取りにつかまってどこか異国に飛ばされるかもね」

「まさに因果応報だな。じゃあ、これで」

「ええ、終わった、わね」


 彼のボロボロの姿を見て、ようやく天使家の問題に終止符が打たれたのだと、二人ともにそう確信した。


 もう、俺たちの前に立ちはだかる大人はいない。

 今度こそ、俺たちは心から解放されて、何にも怯えることなく過ごすことができるのだと思うと、変な高揚感が溢れてきた。


 もちろんそれは霞も同じだったようで、俺の袖をくいくいと引いてから「早く家で……したい」なんてことを言ってきた。


「じゃあ、かえろっか」

「うん、今日はゆっくりできるね」


 人の不幸を喜ぶような大人にはならない。

 誰かを陥れてまで掴む幸せは偽物だ。


 そんなことは頭ではわかっている。

 でも、自分たちがもし――――いや、自分の大切な人がもし、誰かの悪意によって当たり前の幸せすら奪われそうになったなら、俺はその相手が不幸になろうとも、大切な人を守る道を選ぶだろう。


 だから今までの選択にも、この結果にも何も後悔はない。

 俺たちがこうしていられることが当たり前ではないのだと、それだけを肝に銘じてこれからも霞とずっと過ごしていくだろう。



 天使父の失脚は、あとでネットで調べるとすぐに出てきた。

 少し意外だった、というか彼も人間の心を最後に取り戻したのかと思えたのは、記事の中で一つだけ気になることが書いてあったから。


 実の娘、隠し子などとの戸籍上の繋がりを、ひそかに絶っていたということを書いていて、実際に調べたらそうなっていたことを知り、霞は心底驚いていた。


 あの父が、周りに迷惑をかけないようにと全て自分で背負い込んだという事実は、それでも霞にしてきたことへの贖罪になり得るかと言えば疑問だが、それでも彼も人の親として、歪んだ愛情を最後に正せたのだとしたら、やはりこれでよかったのだと思える。


 そして平穏な日々は続く。

 嘘のように毎日が忙しく、楽しく。


 やがて冬が近づき、肌寒い季節になった頃、世間はクリスマスムードに染まっていく。


「初めて一緒に過ごすクリスマス、か」

「プレゼントはいいわよ。節約しないと」

「そうは言ってもだな」

「いいの。その代わり、ちょっといいところで食事したい」

「ああ。せっかくの記念だからな」

「これから毎年あるうちの一回よ。もっと稼げるようになったらカバンでも買ってね」

「頑張ります……」


 とはいってもせっかく初めて彼女と過ごすクリスマスなんだから、張り切らないわけにもいかない。

 俺は、日ごろの感謝を込めて何か一つくらいはプレゼントを用意しようと思ったのだが、いかんせん何を買ったらいいかわからない。

 綴さんに相談すれば、霞にバレてしまいそうだし……


 結局そんな時にいつも頼るのは柳原さん。

 今日の仕事の休憩中に、彼に相談を持ち掛けた。

 

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