第73話 天使のリスタート


 海に行った日、あの日から俺たちはバイトと引っ越しの準備に追われている。


 東については続報が入ってこない。

 死んだのか、それとも無事だったのかすらわからず、それを確かめるすべもない。


 ただ、噂によると彼は寝たきりになってしまったということで、その噂が正しいと証明するかのように、彼の姿を見かけることはなかった。


 そして、明日から二学期。

 俺と霞は二駅向こうにある公立のなんでもない学校に編入する。

 と同時に引っ越し。

 霞がコンビニに自転車で通えるようにと、学校と今の駅の間辺りにあるアパートを借りた。


 高校生で同棲。しかも問題だらけで潰れた学校からの転校生カップルなんて、どう考えても浮いてしまうことだろう。

 それに、俺はともかく霞は美人だしちょっとした有名人だから話題にされることは間違いない。


「多分、相当白い目で見られるだろうな」

「ええ、覚悟してる。なにせうちの学校ニュース出まくりだったから」

「それに、お前は有名人だしな」

「うっさい。もう忘れてよ」


 夏休み前の天使父との戦い、そして夏休みにあった東家の事件。

 その二つはどちらも俺たちにとってはいい結果で終わったけれど、代わりにその当人たちは不幸になった。


 因果応報だよと、綴さんや店長はそう慰めてくれたけど、俺は手放しに喜んだりはできない。

 だからといって俺や天使が何かできたかといえばそうではないし、結果として彼らがいなくなることで平穏な日々が訪れたのだから、やはりこれは俺たちの望んだ結果なのかもしれない。


「なんか、色々あったな」

「うん。でも、私は逃げない。起こった事も、これからのことからも」

「そう、だな。俺もそうする」

「明日からの学校生活、いいことがありますように……」


 祈るように、電気を消して今日はさっさと眠りにつく。

 腕の中ですやすやと眠る霞の横顔を見ながら、これからの期待と不安を胸に、俺もしばらくしてからようやくまどろみに落ちた。



「おはよう、早くしないと学校遅刻するわよ」


 いつものように霞に起こされて、俺は慌てて新しい制服に袖を通す。


「ブレザーって、ネクタイがめんどくさいんだよな」

「社会人になった時の練習よ。ほら、ネクタイ曲がってる」


 夕方の荷物の集荷手配を済ませて、朝飯を食べてから今日は電車で学校へ。


 同じ制服を着た生徒たちが大勢。

 その中に紛れていても、やはり霞は目立つのか周りの視線が集まる。


「見られてるな」

「ふん、そんなの前の学校で慣れてるし」


 口調とは裏腹に、霞の貧乏ゆすりが止まらない。

 イライラしているのか、緊張からなのか、はたまた両方か。


 そんな彼女の手をそっと握ると「ありがと」と小さくつぶやいた。


「大丈夫。二人ならなんとかなるよ」

「うん。わかってる」


 すぐに新しい学校の最寄駅に着くと、多くの学生がぞろぞろと下車していく。

 その流れに乗って俺たちも学校を目指す。


 前の学校より偏差値の低いところとあってか、制服を着崩した連中が多いのが印象的。


 かといって不良っぽいやつもいないし、ただ自由気ままな生徒が多いのだろう。

 さすがに転校初日とあって、綺麗に身だしなみを整えている俺たちの方が、まるで新入生のようで少し浮いていた。


 そして、学校に着くとすぐに正門で知らない先生が声をかけてきて、職員室に行くようにと指示される。


 好奇の目をかいくぐり、聞いた通りに職員室を目指す。

 場所はすぐにわかった。だいたい学校なんてどこも同じような作りをしている。


 中に入ると、同じく編入することになった他の生徒たちもいたが、知った顔はなかった。


 最も向こうは俺たちのことを当然のように知っていて、彼らは東のように恨み節をぶつけてくることもなく少し話をしてからクラスを教えてもらうことに。


「……同じクラスだな」

「よかった。私、編入届にお願いしますって書いたのよ」

「関係ないだろそれは」

「いいじゃない。また同じクラスだね、遊馬」


 実に嬉しそうだ。

 そんな彼女とこれからまた同じ学校に通えるのだから、俺は恵まれているのかもしれない。


 やがて教室に案内されると、新しいクラスメイトがいろめき立つ。


「は、はじめまして工藤です」

「はじめまして、天使です。よろしく」


 形式的な挨拶をするとパラパラと拍手が。

 案内された席は後ろの窓際で、俺たちはまた隣だった。


 そのあとすぐにホームルームが始まったので何もなかったかのようにいつもの学校の光景が。

 ……なんか懐かしいような気分になるな。


 霞もずっと退屈そうに板書しながら授業を受けていた。

 そして休み時間になる。


 覚悟はしていたが、予想通り俺と霞のところに人が。

 特に霞の周りには無数の生徒が群がるが、その反応は意外だった。


「ねえ、あの天使さんでしょ?可愛いー!」

「顔ちっさい!大変だったんだよね、私たちでよかったら友達になってよ」

「あ、女子ども抜け駆けすんなって。天使さん、よかったら連絡先教えてよ!」


 皆、天使霞という人物が誰なのか知っていた。

 そしてその上で、色物扱いせずに、むしろ好意的に彼女に接している姿を見て、俺は呆然となる。


「あの、すみません私……」

「天使さん、お昼一緒に食べましょ」

「私も私も!」

「男子は寄ってくんなって。天使さん、彼氏いるんでしょ?」


 前の学校でも、最後にようやく彼女を受け入れてくれたみんながいた。

 そしてここでは、もう最初から『天使様』を演じなくてもありのままの彼女を受け入れてくれる人がいる。


 それを見て、なぜか俺が泣きそうになる。

 霞も、もう涙腺が崩壊しそうな顔をしていた。


「ねえ天使さんの彼氏ってどんな人?」

「ええと……隣の、工藤君、です」

「え、カップルで編入?いいなぁー。工藤君、放課後天使さん貸してね」

「あ、ああ……」


 俺たちが望んだ、何気ない風景がここにはある。

 まだ名前もろくに知らないクラスメイトだが、それでもここは俺たちがいていい場所なんだと皆の態度が教えてくれる。


「工藤君、天使さんとどうやって付き合ったんだよー教えろよー」

「そうだそうだ、リア充すぎんだろー」

「え、ええと……」


 俺のところには男子達が。

 しつこく天使との馴れ初めや部活のこと、前の学校がどんな感じだったかなどを散々聞かれたがそれでも、誰も俺たちを悪いように詮索しない。


 そんなあたたかい対応に緊張がほぐれて、俺も霞も昼休みになる頃にはぐったりしていた。


 皆が昼飯に誘ってくれたが、俺と霞は学校見学をしたいと言って少しだけ二人きりになる。


「……いいところだな」

「うん、私ここに来てよかった」

「前の学校のみんなも、うまくやれてるかな」

「そうね。でも、案外私たちが思ってたより、世間の人っていい人が多いのかもね」


 やってることは学校が変わっても変わらず、屋上で騒がしかった半日を振り返っている。

 やれやれと疲れた素振りを見せるが、それでも霞の表情は充実していた。


「放課後、みんなでどっか行くのか?」

「うん、でも引っ越しどうしよう」

「業者には遅くなるから荷物だけ運んでもらっておくように話しておくよ。俺も男子に誘われてるから顔だけ出したいし」

「うん。ていうかここ、食堂ないから明日からはお弁当作らないとね」


 新しい日常は予想外にいいスタートを切れた。 


 世の中捨てたものじゃないと、荒みかけた俺たちの心を洗い流してくれるように、教室に戻ってからも転校生への歓迎は続いた。


 

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