第71話 天使の海
「じゃあ出発するよー」
コンビニの駐車場から、俺と霞は店長さんの車に乗って綴さんも含めて四人で海を目指す。
今日は特に暑く、俺は半袖短パンサンダルと、すでにこのまま海に出れそうな恰好なのに対して霞は厚めのパーカーを羽織っていて、少し額に汗をにじませている。
「暑いなら脱いだら?」
「……いい。慣れてる」
「熱中症気をつけないとだな」
「海に着いたらアイス、食べたいな」
後部座席で霞と会話しながら、前の二人の様子を見ているとふと気づくものがあった。
店長さんは良い人で、本当になんでもしてくれたけど、それもひとえに綴さんにいいところを見せようと頑張っていたからなのだと、なぜかこのタイミングで理解できた。
自分たちの事に精一杯で他人の恋愛事情など考える余裕もなかったから、そんな当たり前の事すらも気づけなかった。
まぁ、それだけ今は視野が広がったというか、やっと普通になれたということなのか。
こうして冷静に見てみると、店長は相当綴さんにデレデレしている。
そのことについて綴さん本人は気づいているのだろうか?
いや、気づいてるに決まってるよな。じゃあ、まんざらでもないのかな?
「先輩と店長って怪しいよね」
耳元でこそこそと霞が言う。
こいつがこんな話に興味を持つのは少し意外、というかこんな話を彼女とするのも新鮮だ。
「ああ、そうだな。でも、女子って好きでもない男子を頼ったりするのか?」
「うーん、必要ならそうするかも?あっ、この人私のこと好きだなってわかると頼ってあげた方が相手も喜んでくれるし」
「ふーん。そんなもんか」
「でも、遊馬のことは最初から好きだったかも」
「……照れるからやめろよ」
今日は赤面を隠しきれず、霞に指で赤くなる頬をグリグリされる。
綴さんたちがいることをすっかり忘れていちゃついていると、「今から飛ばすと夕方までもたないよ」とからかわれた。
その後はしばらく外を眺め、やがて海が見えてきた。
「ここのビーチは店も多いし砂浜もきれいだからな。よし、着いたらまず日よけのパラソルの設置だな」
店長さんはアウトドアが好きなのだろう。
車の後ろから次々と道具が運び出されてくる。
「じゃあこれを立てたらしばらく自由行動だ」
「はい、わかりました」
俺と店長さんで力仕事を担当していると、彼がボソッと「空気読めよ、少年」なんて言うものだから、俺はさっさと霞を連れてアイスを買いに行くことにした。
以前までの俺なら、そんなことを言われたところで空気なんて読めずに首を傾げていただろう。
……この半年足らずで随分と変わったな。
なんか、昔の自分がどうだったのかを、もう思い出せなくなってきている。
霞も、昔の煙草をふかして酒を飲んで酔ってぶっ倒れるなんてファンキーな姿が嘘だったかのように女の子らしくなった。
遠慮気味にアイスをぺろぺろと舐める姿を見ていると、彼女もまた随分と変わったなぁと思わざるを得ない。
「お、姉ちゃん綺麗だね俺たちと一緒にどっかいかない?」
「うっさい彼氏いるんだよ死ね」
「は、はい……」
前言撤回。焼きそばを受け取ろうとする彼女をナンパしようとした連中の玉砕具合をみると、やはり霞は霞なのだと実感する。
強くて、綺麗で、でもちょっと怖くって。
それでいて案外臆病で、俺の前だけでは少し甘い。
……でも、知らない人に死ねっていうのはちょっと、やめてもらおうかな。
「何よあのブス野郎。まじナンパとかキモいし」
「まあまあ。ていうか相手もビビってたぞ」
「いいの。あれくらい言わないと懲りないから」
「あんまりそんなんだと、次の学校で友達出来ないぞ」
「私は案外社交性高いから大丈夫ですー」
んべっと舌を出しながらお道化る霞と食べ物を買って、砂浜に座る。
「海、みんな泳いでるなぁ」
「遊馬も泳いできていいよ。私、食べながら待ってるし」
「いいよ。またナンパされたら困るだろ」
「蹴散らすから大丈夫」
「それにお前とこうしてる方が楽しいからいいんだよ」
「……ごめんね、私がこんなんだから」
「気にすることじゃない。それに、いつかお前の傷は俺がなんとかする」
「うん。じゃあ明日からまた節約だね。お小遣い減らさないと」
「……ご容赦願います」
今日は精一杯楽しもう。
明日からはまた、夏休み明けの事について手続きもあるしアルバイトもあるし忙しい日々だ。
でも、今だけはと陽射しに目を細めていると、覚えのある声が聞こえてきて俺たちの顔は歪む。
「おい、さっさと買って来いよ」
誰かにパシリをさせているその声。振り向くまでもなく、その声は。
そうだ、東だ。
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