第67話 天使の決別

 柳原さんのお兄さんのページにアップされた動画を俺と霞はベッドに腰かけて携帯で確認する。

 

 ほとんどノーカットで、背景を少しいじっただけのその動画を恥ずかしそうに見る霞の肩を抱いて、しばらく視聴者の反応を待っていた。


 するとコメントが次々と。

 天使社長の非道さに驚く人や霞に同情する人、そもそも彼女が可愛いと冷やかす人間や、中には「だから何なの?」と冷ややかな反応を寄せる人間もいた。


 しかし多くは霞へ同情するコメントで、再生数はみるみるうちに伸びていく。


「すごい……これはいけるかも」

「でも、やっぱりきついコメントもあるわね」

「気にするな。今は味方になってくれる人のことだけ見たらいいんだ」


 あっという間に数万回の再生。その動向を見守っていると、動画を遮るように着信画面が現れる。柳原さんからだ。


「もしもし、すごいじゃないか!これなら明日にはニュースになる」

「ええ、お二人のおかげです。ありがとうございます」

「いやいや、天使さんの勇気のたまものだ。彼女は大丈夫かい?」

「はい、今一緒に見ていたところです」


 明日にはこの動画は話題になり、瞬く間にニュースになると確信した。

 これならいくら大企業の社長であっても、もみ消すのには一苦労というわけで。


 俺と霞はその動画をじっと見つめながら、やがて緊張の糸が解けたかのように座ったまま眠っていた。



 朝、俺は霞に起こされて目が覚める。


「ん……まだ眠い」

「ちょっと、寝ぼけてないでテレビ見て」


 慌てた様子の彼女を見て、何事かと思ってテレビの方に目を向ける。

 すると見たことのある男が、記者に囲まれてフラッシュをたかれている様子が画面の向こうに映る。


「あれって……」

「父よ。昨日のことが早速ニュースになって、記者会見だって」


 紳士的である顔を歪め、明らかに不快感を出す天使の父は渋々といった様子で用意されている席に座り、今回の件に関して質問をされている。

 本来こんなことに本人が出てくるのは異例なのだろうが、それだけ反響が大きかった結果とも言えるのだろう。


 次々と質問をぶつけられる彼は形式的な回答を繰り返していて、俺たちはその動向を見逃すまいとテレビにかじりついた。


 そして最後の質問と言われた時に、一人の記者が「娘さんとは今後どうするつもりですか?」と訊いた。


 それに対しての答えは


「こんなことをする人間は娘ではない」


 だった。


 これが単純に絶縁宣言ととっていいのかどうか、俺達にはわからない。

 今のこの状況を回避するためだけの方便かもしれないし、仮にこの瞬間はそう思っていてもまた気が変わる可能性だってあるわけで。


 いい方向に考えたいのだけれど、今まで散々なことがありすぎたせいかマイナス思考がどうしても勝ってしまう。

 

 ただ、となりで霞は「やったのかな……」と少し嬉しそうに呟いた。


「大丈夫、なのか?」

「あの人は、自分で言ったことを曲げるのが死ぬほど嫌いだから。だから、大丈夫だと信じたい、かな」

「そうか。じゃあ、これであの父親に追い回されることはなくなった、のかな」

「うん、でも……」


 彼女のためらいは、父親の名誉に傷をつけたなんて心配ではもちろんなく、これからは世間に好奇の目で見られるという不安からだろう。

 ただ、それを覚悟でやったことだから今更後悔しても遅い。

 これから先、彼女が誰に何を言われても支えてやるのが俺の仕事だ。


「大丈夫、有名人になった気分でいろよ」

「そうだね。じゃあ遊馬は有名人の彼氏だね」

「いっそこのままアイドルでも目指せよ」

「嫌よ」

「なんでだよ」

「だって……忙しいと遊馬に会えなくなるから」

「……そうだな」


 この問題が本当に終わったのかどうか、今の時点ではわからない。

 でも、やることをやって俺たちはあの強大な権力者を退けた。

 その事実をかみしめるようにして、霞と抱き合っていると柳原さんから電話が鳴る。


「もしもし、すごかったね今朝の会見」

「ええ、全て柳原さんたちのおかげです。今度お礼させてください」

「いいってことよ。僕は僕で復讐なんてもんじゃないけど一矢報えた気持ちはあるから満足してるし」

「その……霞のお姉さん、会えるといいですね」

「こればかりは縁だね。彼女が戻ってきてくれることを祈るよ」


 お兄さんにもよろしくお伝えくださいと告げたところで「とりあえず明日は祝賀会だ」といわれて電話が切れた。


 ◇


 少し期待外れなこともあった。


 学校は再開されなかった。

 もうあの学校に通うことはない、ということだ。


 しかしあれから世間での天使ブームは続き、もう誰も通っていない学校に多くの野次馬が押し寄せているという話をニュースで見て驚いた。


 彼女の容姿に惹かれた男連中や、境遇に同情して支えてあげたいとファンを気取る中年が後を絶たないそうだが、そんな状況で外には出れずにこの数日間、ほとんど外出することはなく部屋でゆっくりと過ごした。


 そして週末になる前に、それぞれの家に通知文が来る。

 次の学校の事についてだ。


「……特例?」


 今回の件を教育委員会が問題視したことで、それぞれの学校の偏差値に沿ったランク付けを行い、そのランク以下の学校になら申請を出せば自動的に編入できるという特例処置の説明がつらつらと。ちなみに俺はCランク、霞はAだった。


「どうする?俺に合わせる必要はないけど」

「一緒の学校に行く」

「いいのか?」

「逆に訊くけど嫌なの?もしかして次の学校で出会い求めてるんじゃ」

「んなわけないだろ」

「じゃあ一緒のとこにしよ」

「わかったよ」


 最近色々ありすぎて、あまりいちゃつく暇がなかった反動と、この数日間、家でひたすら彼女とべったりだったこともありすっかり霞は寂しがりな猫みたいになってしまった。


「でも、次の学校っていってもその前に夏休みだよね」

「結局期末試験も何もなかったな。いいのかこれで?」

「受験は来年だし、それまでに私の学力に追いついてくれたらいいわよ」

「自信ないな……」

「一緒の大学、行きたくないの?」

「……頑張ります」


 そう、本来は今週期末試験が始まって、来週からは夏休みだったはずだ。

 しかし少し早く、長い夏休みになってしまったこともまた、大人になればいい思いでにでもなるのだろうか。


「今日は雨だし人少ないから出かける?」

「いや、人のうわさも七十五日というけど、まだ熱は冷めてないし。そうだ、実家に帰って次の学校のこととか相談したかったし一緒に帰るか?」

「そうね、私も遊馬のお母さんに会いたい」


 あれから天使の父から何も動きがないというのは吉報だが、結局この平和もいつまで続くのかはっきりしない。

 やはりすぐには心のトラウマは解消されない。もしかしたら一生続くかもしれない。

 でも、いつかこんなことがあったと笑い話にできる日が来るのかもしれない。

 そう信じて今は、彼女との貴重な夏休みを満喫することとしよう。


「じゃあ、明日早速聞いてみるから」

「うん、お土産買わないとね」

「ああ、そうだな」


 雨のせいだろうか。

 少し部屋は蒸し暑い。


 そんな肌がしっとりとするような湿気の中でも、俺たちは決して離れることはなかった。


 

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