第66話 天使の告白
柳原さんが来たのは昼過ぎ。そしてもう一人、知らない男性を連れて俺の部屋に入ってきた。
「初めまして、柳原です」
と名乗ったのはなんと柳原さんのお兄さん。現在新聞社で働いているそうで、今回の俺たちの件に協力してくれるとのこと。事情はある程度伺っているという。
「よろしくお願いします。ええと、とりあえず座ってください」
二人を部屋に案内して、俺と霞はお願いするように説明を始めた。
霞の父は言わずと知れた大企業の社長で、でも家庭内暴力がひどくて霞の体には無数のあざがあって。
それに彼女を連れ戻すためには手段を選ばないという非道な人間。
それが世間に伝われば……いや、伝わらなくともせめてそれを盾に交渉ができれば勝ち目はあると思うことも話した。
すると柳原さんのお兄さんは、少し悩んだ後で俺の方を見ながら意見をくれる。
「言いたいことはわかるよ。でも、マスコミにだってコネはあるだろうしそんなに甘くはないんじゃないかな」
「……わかってます。でも、それしか方法が」
「脅すなら、もっといい方法があるんじゃないかと思うんだけど、聞くかい?」
「え?」
彼はそう話すとスマホを手にした。
そして動画サイトのページを開くと、そこには自分のチャンネル、更には登録者数が二十万人と書かれている。
「これは?」
「いやぁ、実は配信をやってて結構人気があるんだけどね。これに天使さんの独白という形で父親にされたことを赤裸々に語るというのはどうだろう?チャンネル登録者数もある程度いるから世間に広まるにはこっちの方が早いと思うんだけど」
「で、でもそんなことしたら」
「僕は記者として真実を伝えたいんだ。でも、会社での立場は若いからまだないし、悪いものは悪いと正確に伝えるために開いたページだからそのために使えるのなら本望だよ。それに、向こうからは僕の身分はわからない。どうかな?」
予想外の提案に俺は迷った。
もちろん魅力的で、かつ有効な手段であるとはすぐに理解したが、それでいて大袈裟な言い方ではあるが、全世界に向けて霞の傷やこれまで受けてきた仕打ちを公表するというのは、実際そうできるところまでくると躊躇うものだ。
当初は公表すると脅す程度にしか考えていなかったのだが、やはりそんな揺さぶりが通用する相手ではない。
実際に公表して世間を巻き込まなければこの問題に終止符は打てないと、この場にいる誰もがそう理解した。
「……霞、お前はどうなんだ?」
「やるわよ。別に誰にどう思われても構わない。あの父親と縁が切れるなら」
「そうか。じゃあ、お願いします」
俺たちは正座し直してから、柳原さんたちに頭を下げる。
「ああ、わかった。じゃあ明日には撮影できるように準備しておくから、今日はゆっくりして。あと、どう話すかも考えておいて」
二人が部屋を出て行ったあと、俺と霞は顔を見合わせる。
「……なんかすごいことになっちゃったな」
「いいじゃん。私もこれで全国区よ」
「……強がるなよ」
「バカ、こういう時は黙って優しくするもんよ」
「そう、だな。よしよし、いい子だ」
「こら、子ども扱いしないで」
もしかしたら俺たちが穏やかに過ごせる最後の日になるかもしれない今日を、精一杯噛みしめるように彼女と二人、昼間からずっと離れることはなかった。
◇
翌朝、柳原さんから連絡があり早速お兄さんが機材をもってやってくるとのことだった。
敢えて制服に着替えた霞は、珍しく髪を結ってから気合を入れていた。
「力むなよ」
「こういうのは力んだ方が伝わるのよ」
「……いよいよだな」
「うん、ちゃんと見ててね」
やがて柳原さん兄弟がカメラやマイクを持って家に来る。
まるで彼女の記者会見の場のようにセッティングされた俺の部屋で、彼女はカメラの前に立ち息を吸う。
そして
「いつでもいいです。始めてください」
と、力強く答えた。
柳原さんのお兄さんが「じゃあいくよ、三、二、一……」と声をかけだしたので皆が息をのむ。
天使の独白が始まった。
「私は、あの天使幸三の娘です。端的に告白します。私は幼少期より父から激しい暴行を受けて育ちました」
そこからの彼女のスピーチは圧巻だった。
聡明で力強く、一度も言葉を詰まらせることなく生々しい話をずっと。俺もまだ訊いたことのなかった過酷な家庭環境を赤裸々に語る。
途中、彼女は制服の上着を脱いで、両腕にある痣を見せる。その傷は身体中に続いており、毎日毎日何度も繰り返し受けた傷として体にしみこんでいると話す時も、彼女は表情を変えない。
しかし
「こんな私を愛してくれる人も、います。私は、彼とずっと一緒に生きていきたい」
だからどうか自分を追いかける父との縁を切らせてほしい。という話をする時だけ、少し照れくさそうな顔をしていた。
もう、彼女の雄姿を見ていると俺は泣かずにはいられない。
それを見て柳原さんも感極まっていたが、彼女だけはまだ涙は見せない。
「お願いします、どうかあの父から私を解放してください」
そう言って頭を下げた時、ようやく霞の目から涙がこぼれた。
話は三十分以上に及び、それを取り終えた後すぐに霞は泣きながらこっちにやってきた。
「おつかれさん、すごかったよ」
「私……こんな人間だけど、いいの?」
「まだそんなこといってんのか、バカだな」
「だって、だって……」
「いいよ。よく頑張ったな」
「うん……がんばったよ、私」
俺の前で自分の壮絶な過去を語るのは辛かったのだろう。
しかもそれを、これから多くの人間に晒すことになるわけで。もちろん世間の追い風が欲しくてやったことだが、必ず批判する人間や彼女を色物として扱う輩も出てくるだろう。
だから、ここまで頑張った霞を守るのは俺の仕事、だ。
「二人とも、お疲れ様。でもまだ喜ぶのは早いよ」
少し涙ぐんだ柳原さんが、優しく笑いかけながら俺たちに言う。
そうだ、まだ終わったわけではないのだ。
「ええ、ここからですね」
「うん、今日の夜兄さんに配信してもらってからどんな反響があるか。喜ぶのも悲しむのもそっからだ」
「はい、お願いばかりですみませんがよろしくお願いします」
これから二人は編集作業をしてから夜に向けての配信に備えるということで、機材を片付けると部屋を出て行った。
俺たちはやることをやった。頼れる限りを頼った。だから後は待つだけだ。
「大丈夫、かな?」
「信じて待とう。霞の想いは伝わるよ」
「うん、絶対大丈夫だよね?」
「大丈夫。もし何か言うやつがいても……俺がいる」
「あはは、かっこい」
「からかうなよ」
「んーん、ほんとだよ」
慰め合うように、霞の心の傷をそっと包むように彼女を抱きしめた。
俺たちは夜まで、普段通り過ごそうと気丈に振る舞った。
ぎこちない会話が続き、お互い固い笑顔で見つめ合いながら緊張を隠せない様子だったが、それでも彼女の頑張りは無駄にはならないと信じたいからこそ、精一杯笑うようにした。
そして夜の九時。いよいよ今日撮影した動画が、配信された。
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