第64話 天使の家族

 霞の父の会社は日本有数の大企業。

 その代表たる人物にアポイントをとるなど、よほどの得意先くらいでないとまず無理で、あとは秘書や他の担当社員に対応されてしまう。


 ただ、それでは意味がないのでまずは父親のもとにこちらからたどり着く術を考えるわけだが。


「……思いつかん」

「私も。電話しても受付の人で止められちゃう」

「向こうから出向くのを待つか?」

「それだとタイミングもわかんないし準備万端でこられたらそれこそ、だと思う。さすがに飛び込みは無理にしてもある程度こっちからのタイミングじゃないと不利だって」


 これから俺たちがやるのは親への挨拶でも顔合わせでもなんでもない。

 天使親子の絶縁、だ。


 もちろんそんなことは向こうの意思が関係するわけで、ただ闇雲に絶縁状を叩きつけたところで無駄ではある。


 せめて、誰か影響力のある人の前で決定打になる話ができれば……


「ねえ、遊馬はメディアに知り合いとかいないの?」

「ん?まぁ、取材はよく受けたけど中学生だし名刺とかはもらってなかったな」

「そっか……そうだ、柳原さんは?」

「あっ」


 柳原さんは日本代表にまでなったサッカー選手だ。

 当然、メディアに知り合いの一人や二人くらいいるだろう。

 しかし。


「あの人まで巻き込むことになる、からなぁ」

「そうね。今せっかく頑張ってる人をにまで迷惑かけるのはちょっと、ね」

「うーん……」


 結局、天使がバイトにいくまでの時間に答えはみつからなかった。


 焦れば焦るほど、だんだんと視野が狭くなり同じような考えがぐるぐると巡る。


 俺があの男を……いや、それじゃ柳原さんからもらったアドバイスが無駄になる。

 やっぱり相談だけでもしてみようか。



 夜になり、俺は柳原さんに電話をかける。


「もしもし、どうしたのこんな時間に」

「夜分にすみません。ちょっと相談がありまして」

「仕事のこと?」

「いえ、プライベートです」

「うーん、じゃあそっちいくから一時間後にこの前のファミレスでいいかな?」


 俺の相談だというのに、柳原さんは近くまで出てきてくれる。

 その親切心に甘えないようにと、駅前で菓子折りを買ってから待ち合わせ場所にいく。


「すみません遅い時間に」

「いいよいいよ、それよりどうしたんだい?」


 ファミレスでさっき買ったお菓子を渡すと断られた。

 彼曰く「社員の悩みを聞くのも経営者の仕事だから」だそう。


「ええと、彼女の家のことでちょっと……」


 俺は天使家の実情と、学校が閉校に追い込まれるまでの流れを説明する。

 すると向かいに座る柳原さんは少し笑いながら俺に答える。


「要するに、その親父さんとやらと彼女の縁を切らせたいんだね」

「そ、そうですが。何か変なこと言いました?」

「いやいや、ごめん。なんかいいなぁって」

「いい?」

「うん、彼女のために精一杯になれるとかすごくいいじゃん。かっこいいよ工藤君」


 クスクスと笑いながら、それでいて穏やかな目で俺を見つめる彼の瞳の奥には、まだ俺の知らない事情が隠されていると、そう感じる。


「柳原さんは、過去にお付き合いした女性と何か?」

「あら、お見通しかな。うん、僕も結婚する予定の彼女がいたんだけどねぇ。フラれちゃったんだ」

「……やっぱり事件のことですか?」

「うん、彼女は俺のステータスが好きだったんだよ。だから丸裸になった僕には興味なかったみたい。寂しい話だろ?」

「そんな……」


 この人は、一体いくつの挫折を抱えて生きているのだろう。

 平然と、何事もなかったかのように話す柳原さんを見ていると、自分の悩みが大きいのか小さいのか、それすらわからなくなってくる。


「……辛くなかったですか?」

「辛いよー。今でもちょっと引きずってる。でも、君たちみたいな純愛もあるんだって見せつけられるとさ、僕のやってたことは恋愛じゃなかったんだって、そう思わせてくれるからむしろ感謝だよ」


 ニコニコしながら、柳原さんはそう話すと俺に対して一言。


「力になるよ」


 そう言って、真剣な表情になる。


「ほんとですか?でも、迷惑じゃ」

「失うものがない人って強いんだよ。君は守るべきものがある人だから、やっぱり弱いし脆い。でもそれは彼女さんの父親にも言えることだ。こういうのはね、保身に走った方が負けるって相場は決まってるんだ」


 柳原さんはそう話すと席を立ち、俺に「早速行くよ」と声をかける。


「い、いくってどこに?」

「彼女のとこにだよ。そろそろお迎えの時間なんだろ?僕も話したいことがあるし」

「は、はい……でもどうして迎えだと」

「さっきから時計見過ぎ。洞察力って結構サッカーでも大事な要素なんだよ」


 俺からすればこの人はスーパーマンか何かに見える。

 やはり一つの国の期待を背負って闘った人というのは、そこら辺の上手いと騒がれるレベルの選手とは何もかものレベルが違う。


 ここまで理解力があって、周りが見えるような人が暴力沙汰なんて、ほんと信じられない。


 さっさと会計を済まそうとする柳原さんにお金を払おうとすると「年上が奢るのは見栄もあるんだから」なんて言われて財布を出そうとする手を止められる。


 そして二人で霞の働くコンビニへ。

 するとまず、綴さんが俺を出迎えてくれた。


「あ、工藤君おつかれー。天使ちゃんならもうすぐあがるから……って隣の人、もしかして柳原選手!?」


 そうだった、綴さんは中学生の俺のことすら知っているようなサッカーマニアなのだ。

 だから元日本代表の柳原さんなんて知ってて当然だった。


「はじめまして、工藤君の先輩かな?柳原です」

「うわ、うわわ、本物だぁ!」


 あまりの興奮にもうどうしたらいいかわからない様子の綴さんを見ると少しだけ柳原さんに嫉妬した。

 別に今更綴さんの気持ちがどうとか言わないが、俺と初めて会った時とは当然ではあるが、随分とリアクションが違う。


 柳原さんを見て目がハートになっている綴さんを置いて、俺は霞の方へ。

 するとこっちに気がついて遠慮気味に手を振ってくれる。

 ああ、やっぱり可愛いなぁ。


「工藤君、今彼女を見てほっこりしたでしょ」

「い、いやそんなことは」

「可愛いよね彼女。高校生じゃなかったら僕も狙ってたかもねー」

「や、やめてくださいよそういうの……」

「あはは、ジョーダンだよ。でも、自分に自信がないのかい?」


 俺を揶揄う柳原さんだが、彼の言った通り俺は自信がない。

 ここまで彼女のために頑張って、尽くして、それでももしかしたらこの先俺は彼女に見捨てられるかもしれない。

 いや、それ以前に俺が彼女を支えきれずに勝手に降りてしまうかもしれない。


 今の自分で、この先もずっと彼女といられるかと聞かれたら不安しかないのは当然。

 柳原さんや、他にも俺なんかより魅力的で実力も上で、そんな人は腐るほどいる。たまたま出会ったのが俺だというだけのこと、だ。


「……」

「ごめんごめん、そう悩まないでよ。大丈夫、君は彼女にとっても必要とされてるよ」

「なんでわかるんです?」

「ほら、あんなにしっかりした彼女なのに、君がきたらソワソワしてる。可愛いなぁほんと」

「……」


 言われた通り、霞は急に落ち着きをなくしていた。

 奥から店長が出てくると、少し早いが上がっていいよと言われているのが聞こえたところで霞の顔が緩む。


 ……可愛いな、ほんと。


「おまたせ……って今日は柳原さんも一緒なんだ」

「ごめんね天使さん。ちょっと君たちの事情を聞いたから協力しようかってことになって」

「そ、そうなんですね。すみません私のことなのに」

「いいよいいよ、工藤君はうちの社員だから。悩みを解決するのも福利厚生だね」


 三人でアパートに戻ることとなり、戻る途中に綴さんからメールで「柳原選手のサインお願いします」と送られてきたのに対して返信しようとしていたら霞に「何メールしてるの」と怒られた。


 そんなやりとりを見ながらケラケラ笑う柳原さんは、アパートの前に着くと、少し神妙な顔つきになり俺と霞が部屋に入るところで「ちょっといいかい」と呼び止めた。


「はい、なんでしょうか?」

「天使さん、君に聞きたいことがあるんだけどいい?」

「え、ええ。大丈夫ですけど」


 一体どうしたのだろうと、心配そうに見つめていると、柳原さんが一度俯いてから前を向き、彼女に向かって尋ねる。


「君、お姉さんのことは知っているかい?」



 

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