第57話 天使のご挨拶

 今日は、より一層天使の様子が慌ただしく弱々しい。


「ねぇ、この服でいいと思う?それともやっぱりジャケットとかの方がいいのかな?」


 今から、俺の実家へ天使と二人で帰省するわけだが別に今から結婚のご挨拶をするわけでもないのに天使は服だの髪型だのを一生懸命気にしている。


「いいってなんでも。うちは田舎だしあんまり派手な恰好してたら目立つぞ」

「そ、そうは言ってもこっちは気にするのよ!」


 まぁ、緊張するのも無理はない、か。

 今からあいさつした後、身寄りがないから一緒に住ませてくれなんて話をするわけで、その事情も複雑な上に天使の体には無数の傷跡。


 田舎の親からすれば、どうしてこんなややこしい問題を我が家に持ってきたんだと思うはず。

 それでも、俺は天使といる道を選んだんだしけじめはつけないと、だけど。


「なぁ、お前の母親って今どこにいるかとか知ってるのか?」

「知らない、幼い頃にいなくなってそれっきりだし。父は多分愛人とかもいるんでしょうから興味もなかったんだろうけど」

「そっか」


 天使の家庭状況は、あまり深く聞かなくとも想像できるレベルで最悪なようだ。

 家が金持ちで本人も美人で、それなのにこんな境遇になってしまうなんてやはり彼女は不運でしかない。


 でも、そんな逆境の中でよくこんなにぶれずに育ったものだと、なぜか親のような心境で天使に感心していた。


「じゃあ、そろそろ行くぞ」


 二人でバス停に向かう。

 実家はバスで約二時間ほど。隣の県の山の方にある田舎だ。


 早速バスに乗り込むと、天使はまだ緊張しているのか隣でずっと下を向いたまま黙り込んでいる。


「……大丈夫だって言ってるだろ」

「だって、私なんかが挨拶にいって本当にいいのかなって」

「むしろえらく美人を捕まえたなって驚かれるよ」

「もう、そんなんじゃないのに……」


 髪を指でクルクルしながら、もじもじうじうじしている天使は、これはこれで可愛くもあり思わずぎゅっとしたくなる。

 ただ、バスの中というのもあるのでそっと彼女の手を握る。


 多くは語らず、二人で寄り添ったままボーっと窓の外を見ながらバスに揺られ、少し眠ってしまったあと、起きたら家の最寄のバス停まで到着していた。


「ここから歩いて十分くらいだ」

「へぇ、なんかのどかでいい場所」

「田舎にしては便利なところだし、悪くはないよ。さっ、行こう」


 手を繋いで田んぼ道を抜け、大通りに出る。

 我が家はその大通りから少し細道を入ったところ。

 去年脱サラした父が食堂を始め、近くに飲食店が少ないこともあってか今は結構はやっているんだとか。


 他人事みたいな言い方になるのは、俺は父が開業したという知らせを去年聞いてから一度も実家に帰っていないため、一体我が家がどうなっているのかすら知らないのである。


「ええと……あれか?」


 我が家のあった場所には確かに食堂ができていた。

 おおきくかんばんに『しょくどう』とひらがなで書いているのは、多分苗字とかけているのだろうが、そのセンスの無さは間違いなく父親のものだとわかる。


「……なんか忙しそうだな」

「あー、あー、あー」


 天使はなぜか急に喉の調子を確認し始める。


「昨日は酒も飲んでないんだから大丈夫だって」

「そ、そうだけど……ねぇ、煙草臭くない?」

「大丈夫だって」

「……」


 こんなに女子っぽい天使は新鮮で、まぁ結局どんな彼女でも可愛いと思ってしまうのが俺で。

 頭をぽんぽんとしたあとに、二人で店の暖簾をくぐる。


「いらっしゃい……ああ、遊馬か」


 調理白衣に身を包んだ父親が、カウンターの中からこっちに気づく。

 実家の一階部分はそれはまぁ見事に食堂になっている。


 カウンター数席、テーブルが三つほどだがどこも埋まっていて、知らないアルバイトのおばちゃんたちが慌ただしく食器を運んでいる。


「とりあえず忙しいから二階にあがれ。母さんもいるから」


 そう言われて客の間を縫っていき、俺と天使は奥の階段から二階へ。

 

「なんか悪いな、こんなんで」

「い、いいえ。私、変な目で見られてないかな……」

「あんな親父だから大丈夫だよ。母さん呼んでくるからそこにいてくれ」


 二階はほとんどそのままで、ようやく実家に帰ってきたという懐かしさがこみあげてくる。


「母さん、帰ったよ」

 

 二階の奥の居間の方へ声をかけると、久しぶりの母の姿がゆっくりと現れた。


「遊馬、おかえり。それに、その子が天使さん?」

「は、はい。はじめまして、天使霞です。今日は突然お邪魔して」

「そうかしこまらなくてもいいわよ。部屋で待ってて。遊馬、案内したらあんたも手伝いなさい」


 俺は天使を俺の部屋に案内してから、すぐに居間へ。

 そこには増設した形で簡単なキッチンがついていて、どうやらここで家の食事なんかは作っているようだ。


「あんた、可愛い子じゃない。どうしたのよ」

「まぁ、色々あって」

「ふーん。でも礼儀正しそうだし、いいところのお嬢様とか?」

「あとで話すから」


 久々の親というのはなかなかに気まずい。 

 母さんは十八の時に親父と結婚して俺を生んでるからまだ若く、どちらかというと姉のような感覚で接してくる。

 息子の恋愛事情にも興味津々な様子で、変なことを訊かれないか心配にすらなる。


「おまたせ」


 部屋にお茶と菓子を持っていくと、正座して天使が待っていた。


「かしこまるなよ。楽にしてくれ」

「だ、だって……」

「改めまして、初めまして天使さん。私は遊馬の母の圭子けいこです」

「は、はい!」


 母さんの挨拶にまた天使の背筋が伸びる。

 今日は疲れてすぐに寝るなこいつ。


「遊馬がお世話になってるようですが、愚息が何かご迷惑をかけてないかしら」

「いえ、むしろ私の方こそ……遊馬さんには迷惑かけっぱなしというか」


 こんなにたじろぐ天使を見るのもまた新鮮。

 しかし”元”優等生とあってか天使の対応は実に丁寧で礼儀正しい。


「でも、遊馬にこんな可愛い彼女ができるなんて。それなら県外に行かせた甲斐もあったってことね」

「……母さん、話があるんだけど」


 俺は早速だが本題にうつろうとする。

 すると


「なんか話があるのはわかったけど、それは後で聞くから」


 母さんは俺に掌を向けて制止した。

 そして


「天使さん。今日の夕食作るの手伝ってくれる?」


 と彼女に向けて笑う。


「はい、わかりました」


 天使も緊張しながらではあるが頷き、部屋を出る母さんに慌ててついて行った。

 俺はしばらく寝とけと言われたので、不安はあったが部屋にいることにした。


 あまり天使の様子を伺いに行くなどの女々しい行為は母さんが好まない。

 それに、何か二人で話したいことでもあるのだろう。

 そう思って部屋でテレビを見ながら、時々聞こえる一階の店の声をうるさく思っているとぼんやりと意識を失っていた。



「遊馬、ご飯できたわよ」


 起こされたのは夜になってから。

 一階の店も閉店作業をしているようで、母に起こされた俺は目をこすりながら居間へ。


 そこではエプロン姿の天使がせわしく夕食の盛り付けをしていた。


「あ、おはよう。ゆっくりできた?」

「う、うん。なんかすまんな働かせて」

「いいのよ、なんかしてる方が落ち着くし」


 手を止めずにせっせと準備を進める天使に母さんが近づいていくと、彼女の横でニヤニヤと笑う。


「あんたたち、同棲したいんですってね」

「なっ……もう話したのかよ」

「いいわよ、一緒に住みなさい」

「……え?」


 あまりにあっさりと。俺たちの希望が通ってしまった。


「い、いいの?」

「天使ちゃんとゆっくり話したけど、いい子だもん。だからちゃんとアルバイトして生活費くらい稼ぐんなら文句は言わない。これも怪我の功名だって思って彼女を大事にしなさい」

「母さん……」


 そう話すと母さんは天使の手伝いを始めた。

 すっかり天使とは打ち解けたようで、その後は二人で談笑しながらやがて夕食がテーブルいっぱいに並べられた。


 遅れて、父親が一階からあがってきた。


「おお、今日はご馳走だな。これ、天使さんが作ったのか?」

「そうよあなた、天使ちゃんってすごく料理上手なの。それにね、頭もいいみたいだし。だから逃げられないように遊馬と一緒に住んでもらうから」

「おいおい急だな。でもまぁいいんじゃないかお前がそこまで言うんなら」


 ここもあっさり。まぁどこの家でも大体決定権は母親が握っているものだけど、うちも例外ではない。

 母さんが認めた人なら異論はない、というのが親父の結論、のようだ。


「さぁ、食べましょう」


 今日は刺身から肉からとにかくご馳走だった。

 ガツガツと、みんなで食べ進めていく途中で天使の箸が止まる。


「どうした?」

「……いいのかな。こんなによくしてもらって」

「いいんだよ。むしろ喜んでくれてるんだし」

「……うん」


 小さく頷くと、天使はまた食事を口に運ぶ。

 そして彼女の目から涙がツツッと流れる。


「遊馬、あんたしっかり守ってあげなよ。ていうか浮気したとかだったら私が勘当するからね」

「わかってるよ」

「天使ちゃん。もう、うちを実家くらいに思ってくれていいのよ。なんか娘ができたみたいで私も嬉しいから」

「は、はい……」


 また少し、天使は泣いた。

 そして、目に涙を浮かべたまま、天使はゴクリと口の中の食べ物を飲み込むと、俺の方を向いてニッコリと、大きな目をくしゃくしゃにして笑いながら俺に話しかける。


「みんなで食べるご飯って楽しいね、遊馬」





 

 


 


 

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