第56話 天使の幸福

 今日は朝から天使がせわしくしている。


「ねぇ、お金これで足りるかな?あとあと、顔変じゃない?」


 昨日、綴さんの家に行ってお礼を済ませたあと、学校での経緯を離したら綴さんは泣きながら喜んでくれた。

 それを見て天使も号泣して大変だったのだが、まぁそれは置いておいて。


 まだ目が少し腫れている天使は珍しく化粧をしながら必死に目の周りを加工している。


「そんなのしなくてもいいって」

「ヤダ、せっかくの、その、デートなんだから!」


 女子はこういう時にはりきるものなのだと散々説教された挙句、天使と着替えを済ませてから外へ。


 今日は遊園地に出かけるのだ。


「いい天気だな」

「うん、よかった」

「天使、うちの親には連絡しておいたけど、そしたら明日帰って来いって。当分学校もないんだからたまには顔を出せとさ」

「……緊張するから今は言わないで」


 ニコニコしていた顔が一変する。さすがの天使も彼氏の親と会うのは気まずいということ、なのだろう。


「大丈夫。少し話したけどなんかわかってくれそうだったし」

「ならいいけど。でも、息子が連れてきた彼女が傷だらけって親としてはやっぱり嫌だと思うの」

「そんなことを言う親なら俺は縁を切る。まぁあり得ないけどな」

「……どうして」

「だって、お前可愛いんだし」

「か、可愛いって……もう、バカ!」


 俺の背中をバチンと叩いてから、また天使は手を繋ぎ直す。

 昨日からずっと俺の傍を離れない。


「……暑くないのか?」

「いい、こうしてたい。ずっと、こうしてたいの……ヤダ?」

「……いやなもんか」


 俺も少し強く手を握り返す。

 もう、絶対にこの手は離してはいけない。そんな気持ちで彼女の細い指の間に、俺のゴツゴツした手を絡める。


 電車に乗ると一息。隣で天使が俺に「お昼はサンドイッチ作ってるから」なんて言うものだから俺も少し浮かれてくる。


 ようやく彼女と高校生カップルらしいことができている。

 こういうのが一番幸せなのだと、色んな事があった俺たちだからこそ実感できるわけで。

 そういう意味では今まで散々迷惑をかけられた連中にも感謝だな。


「見て、いい景色ね」

「ああ、でもうちの田舎はもっとひどいぞ」

「工藤君の実家かぁ。なんか楽しみかも」


 明日、彼女を実家に連れて帰ると思うと俺の方が緊張してきた。

 少しの間、無言で景色を楽しんでいるとやがて電車は遊園地前に到着する。


「今日は平日だし、人も少ないな」

「高校生が何してるんだって話だけどね」

「いいんだよ。今頃先生らはもみ消しに必死だろ。ざまぁみろだ」

「あはは、どうせならそのまま全員クビになったらいいのに」


 天使を巡っての全校生徒を巻き込んだ大騒動。

 そんなことが前日にあったなんてそれを引き起こした当人の俺でさえまだ嘘のようである。

 でも、天使のことを散々に言っていた連中や見限ったやつらも心のどこかで天使のことを思ってくれていたのだと思うと、まぁそこだけは悪くない学校だと少しは思うことができてよかった。


「お、見えてきた」


 平日の遊園地は閑散としている。

 大学生が数組フラフラしているだけでどの乗り物も乗りたい放題な状況だ。


「じゃあ、まずはジェットコースターからいこっか!」


 天使のテンションがグッとあがる。

 彼女に手を引かれながら、俺は次々とアトラクションを回ることになる。




「ふぅ」


 午前中のうちに全て回りきる勢いだったのでさすがに疲れた。

 今はベンチで天使の作ったサンドイッチをいただくところだ。


「はい、早起きして作ったんだからね」

「お、相変わらずうまそうだな」

「……いいお嫁さんになれそ?」

「あはは、天使以上のやつなんてそうそういないよ」

「なによ、じゃあいるかもってこと?」

「いないって。少なくとも俺にとってはな」


 天使の頭をぽんぽんと。すると猫のように俺にくっついてくる。

 自分がどれだけ惚気てるかなんて自覚はあるが、可愛い彼女を前にはどうも自分が自分でなくなったようにデレてしまう。


「うん、おいしいよ」

「ふふっ、当然よ。私の作ったものだもん」

「そういう自信たっぷりなところ見ると、もう大丈夫そうだな」

「うん。だって工藤君がいるもん」


 遊園地デートは終始楽しかった。

 お化け屋敷を思った以上に天使は怖がっていたり、逆に高いところは平然と楽しんでいたりと、天使の怖がるポイントというのがイマイチつかめなかったのも笑い話で。

 夕方、へとへとになるまで楽しんだ後俺たちはまた電車に乗り、アパートに帰る。


「帰り、綴さんのとこ寄るんだろ?」

「うん、店長にもお礼と、あと来週からのシフトも出さないとだし」

「俺もバイトしないとな。店長に紹介してもらおうか」

「それならこれ、どうかな?」

「ん?」


 天使がスマホを見せてきたので覗き込むと、そこにはサッカー教室の講師募集という内容が書かれていた。


「あのね、私昨日ずっと探してたんだけど、やっぱり工藤君って、その、サッカーしてる時が一番かっこいいなって……」

「天使……。でも足、大丈夫かな?多分走ったりはできないぞ」

「でもさ、小学生に教えるとかは……無理かな?」


 天使も俺に訊くのが辛いのか、時々浮かない顔をする。

 でも、せっかく彼女が言ってくれてることを俺は無駄にしたくはない。


「まぁ、行くだけ行ってみる。無理なら別のことやればいいだけだし」

「う、うん。でも無理は、しないでね?」

「なんかお前らしくないな。足ちぎれてもボール蹴ってこい!くらい言うのかと思ったよ」

「バ、バカ……私だって心配くらいするもん」

 

 また。頭を撫でてやった。

 するとまた、猫のように俺にもたれかかる。


「私、工藤君と会えてよかった……」

「俺も。ベランダで煙草吸ってるところ見た時はビビったけどな」

「さ、先に吸ってたのはあんただし」

「まぁ、ゴミを蹴らなくなっただけ進歩だな」

「また、バカにして……」


 俺たちを乗せた電車はゆっくりと、時々ガタンと揺れながら俺たちの住む場所に戻っていく。

 その揺れで時々体の距離が空くが、すぐにその距離を埋める。

 もう触れあっているところがくっついてしまうのではと思うくらいに、俺と天使はずっと、ずっと手を繋いだまま離さなかった。

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