第55話 天使の微笑み
その日、数日ぶりに俺たちはアパートに戻った。
おさまらない熱を帯びた生徒たちの群れはそれでも、自然と散っていったがまぁこの日は学校どころではなく休校となった。
俺と天使は、何も言わずにひっそりと学校から逃げるように帰宅し今は俺の部屋で一息ついている。
「……よかった、のかな」
天使はまだ、全校生徒を巻き込んでのこの状況に納得しているわけではない。
しかし、ああしなければ天使は今頃、父親の元に連れ帰られていたことだろう。
「いいんだよ。大人がどれだけ腐ってるかって話だったんだ」
「うん。でも、学校行きづらくなっちゃったね」
「まぁ、俺がいるから大丈夫だよ」
「……うん」
部屋で二人、ようやく得たいひと時の静寂をかみしめるように寄り添う。
しばらく、天使は俺にもたれかかったまま動かずにいたが、やがて立ち上がると満面の笑みで俺に
「ご飯食べよ」
と言ってキッチンに向かう。
天使と父親が、俺がいなかった時にどんなやり取りをしたのか多くは聞かなかった。
しかし、向こうも世間体がある以上大騒ぎになったら困るという状況に追い込めたのは大きい。
少なくとも高校にいる間、彼女の父親は迂闊に手出しできないだろう。
それをわかってか、天使もようやく少し安心を取り戻してきたようだ。
「はい、今日はロールキャベツ」
「おお、うまそうだな」
早速いただいた飯は、いうまでもなくうまいわけで。
でも、こうして天使の料理を食べられるのも今日勇気を振り絞った結果なのだとしたら、少しくらい自分を褒めてやってもいいのかもしれない。
「ね、ねぇ……あの話、覚えてる?」
俺の隣に来ると、天使が照れくさそうに俺に訊いてくる。
「……一緒に住むって話?ああ、もちろん」
「ええと、でもここって一人暮らし用だよね」
「ああ、だから引っ越しだな。となれば俺もバイトしないと」
「うん。で、工藤君の親は納得してくれそう?」
「さぁ。でも納得してもらうしかない。なに、あの父親と比べれば簡単なことだよ」
これは本音ではあるが少し強がりも混じっている。
他人の父親なんて所詮は他人。だからある程度開き直れば好き放題言えなくもないけど、自分の親は別だ。
散々なことをされてもなお縁を切れない天使もそうだけど、親というのはそれでも子供に対して絶対の発言権がある。
サッカーをやめて、学校の成績も振るわない俺が彼女を連れてきて同棲したいと、しかもその彼女が訳ありだなんて聞いてはいそうですかと納得する親はそうそういないだろう。
だから俺がしっかりしないと、だ。
「俺もお前と一緒に住みたい。それにまだ父親の事が全部終わったわけじゃないし、お前から目を離すわけにはいかないからな」
「……うん。じゃあ、週末一緒に挨拶に行かない?私、工藤君の両親に会ってみたい」
「……わかった、連絡してみるよ」
「あと、その前に……」
また。天使が何か恥ずかしそうに俺を見てくる。
「どうしたんだよ」
「ゆ、遊園地行きたいって言ったら、怒る?」
「なんで?」
「だ、だってこんなことがあった後、なのに……」
「別に。いいじゃんか行こうよ。その前に綴さんのところにお礼の品も買わないとだし明日早速出かけようよ」
「うん。明日も誰かさんのおかげで学校は休みになったもんね」
「うるさい。あんな学校はちょっとくらい頭冷やした方がいいんだよ」
学校は、再開の目途が立つまで休校だそう。
まぁ、全校生徒が暴動を起こして何もないわけとはいかず、騒ぎがどこかから漏れて明日は学校に取材がくるとか。
……これでいよいよ俺たちは学校を敵に回してしまったようだ。
「まぁ、どうしてもなら転校だな。それか学校辞めて働くとか」
「今の時代それはナンセンスよ。行かせてもらえるなら大学言った方が得だし」
「じゃあ、一緒の大学行かないとだな」
「うん……ちゃんと勉強しろ、バカなんだから」
しかし口調とは裏腹に天使はどうも甘えたいモードに入っている様子。
俺の隣をがっちりキープしながら、ずっと腕を掴んで離さない。
「あついって」
「……したい」
「え?」
「あれから、一回も触ってくれない」
「だ、だって綴さんの家にいたんだから」
「今は、違うもん……」
そんな様子の天使を見せられて、どうにかならないわけはない。
俺だって随分我慢したんだと、すぐに天使に抱きつく。
「今日くらい、いいよな」
「いっぱいして……じゃないとヤダ」
「ああ、頑張る」
「頑張るなバカ……」
しばらく。天使と俺は真昼間からイチャイチャと。夕方になるまでずっと、二人でベッドの中にいた。
そして
「……こんなに幸せで、いいのかな」
ふと、天使が呟く。
俺も、ずっとそんなことを考えていたので少し黙り込む。
確かに、今は高校生という身分でこんなふしだらに生活しているが、こんな生活が続くわけがない。同棲とかも、もしかしたら俺たちが舞い上がっているだけで親には猛反対される可能性だってある。
だから先の事を考えると不安だ。
学校だってどうなるか、もちろん俺たちへの風当たりは厳しくなるだろうしこれ以上何かあって退学なんてことになって、果たして俺たちは生きていけるのか。
今朝までは必至なのと勢いに身を任せていたので考えもしなかったが、しかし冷静になると不安になる。
しかし
「でもまぁ、工藤君がいるから私は……幸せだよ」
天使の微笑みを見ていると、そんな不安が吹き飛ぶ。
「なんだよそれ」
「工藤君は?私といるだけじゃ、不満?」
「……そんなわけないだろ。こんだけ必死に頑張ったんだし」
「じゃあ好き?」
「……好きだ、大好きだよ」
「ふふっ、私も」
ようやく。俺と天使は本当の意味で恋人みたいな時間を過ごすことができた。
明日は遊園地か。
行こう行こうと話をしてからずいぶん遠回りになったけど、でも明日は気兼ねなく彼女との時間を過ごすことができる。
「そろそろ、綴さんへのお礼買いに行くか」
「そうだね、私お腹空いたし帰りに何か食べよ」
「節約しないと」
「バイト代あるもんねーだ」
お互いに頬を触りながらしばらく余韻に浸る。
やがて着替えて、俺たちは外にでて買い物へ。
今日の天使はもう守ってやらなくても大丈夫なはずなのに、ずっと俺の手を握ったままそばを離れなかった。
恥ずかしかったけど、死ぬほど嬉しくて俺はずっと、表情が緩むのを我慢していた。
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