第54話 天使様

「いってきます。本当にお世話になりました」

「いえいえ。でも本当にいいの?今日もうちに帰ってきていいのに」

「いえ、またどうしてもならお願いしますが、いつまでもというわけにもいかないので」


 朝、綴さんにお礼を伝えてから天使と家を出た。

 そして一度アパートの近くに様子を見に行くとやはり車が止まっているので、回り道をしてから学校へ向かう。

 道具や着替えは昨日の夜に、綴さんが持ってきてくれていた。

 何から何までお世話になりっぱなしだったので、今度は何か俺をもって伺おうと天使と話しながら、学校に着く。


 すると


「おはよう工藤君。急に休むからどうしたのかと思ったよ」


 斉藤がこっちに来る。

 隣の天使を見ながら少し緊張気味だったが、こいつには昨日連絡をして頼みごとをしてあった。


「それで、昼休みいけそうか?」

「うん、結構な人が集まってるよ。なにせ工藤君の呼びかけだからね」


 そう。俺は昼休みに学年中の生徒を集めてをする。

 それは、天使の体の傷の事を公表して、その上で生徒全員で学校に抗議して、そこから天使の父親へ訴えてもらおうという話だ。


 多分無駄だと思う。

 むしろ天使の傷だらけの体を晒すだけの結果に終わるかもしれない。

 でも、やらなければ今日にでもあの父親は学校に乗り込んでくると、俺はそう確信していたので早速動くことに。


「とりあえず工藤君から重大発表があるって話だけど……僕にも教えてよその内容」

「昼休みになればわかるから。それまで待てって」


 こういう時に、初めて俺はサッカー部の連中に感謝した。

 筒井、東と俺にバカな勝負を仕掛けてくれたおかげで俺の学校での知名度や株が上がって、そのおかげでこうして学年中の生徒に声をかけることができたのだから。


 教室に行くと早速今日のことを何人かに質問された。

 思わせぶりな態度をとるつもりはなかったが、俺は明言を避けた。


 そして授業が始まると、天使は少しだけ落ち着きを取り戻した様子でじっと教科書を見つめていた。


 しかし


「天使さん、先生が呼んでます」


 大人はいつも子供の先を行く。

 休み時間、天使が呼ばれて職員室に向かったので俺もついて行くことに。


「先生からの呼び出しって、一体なんなんだ?」

「さぁ。最近休みが多いから心配なんじゃない?」


 そんなことを話す余裕があったのは職員室の扉を開くところまで。

 失礼しますと、入室した瞬間に天使の足はピタッと止まった。


「おお、霞。ようやく会えたな」

 

 綺麗なグレーのスーツに身を包んだ、ペイズリー柄の派手なネクタイの男性。

 実に聡明な雰囲気で、笑顔でこちらに近づいてい来るその男は、天使の父。


「ど、どうして……」

「なに、ここの学校に通っているとわかったので先生に事情を説明してだな」

「いや!帰って!」


 喉が裂けるようなほどの声で天使は拒絶するが、それを見て先生からも話しかけてくる。


「天使さん、お父様からご事情は伺いましたので。やはりご実家に戻られた方がいいかと思いますよ」


 何も知らない連中が、天使に地獄へ帰れと囁く。

 他の先生たちもうんうんと頷く。


 そして


「霞。私と一緒に帰ろう」


 その言葉に天使はたまらず職員室を飛び出した。

 慌てて俺も追いかける。


「ま、待て!」

「いや、もうダメ!」


 泣きながら走る天使を捕まえたのは学校の裏門のところ。

 そこで息を切らす俺たちは、へたり込むようにその場にしゃがむ。


「はぁ、はぁ……天使、逃げても一緒だぞ」

「でも、こうなったらどうしようもない……父は多分先生まで抱き込んでると思う」

「じゃあ、俺が話してくるよ」

「無理よ、もう私は」

「逃げないって決めたんじゃないのか?」

「……」


 泣きそうな彼女に、今厳しいことを言うのは俺も辛い。 

 ただ、今だけは彼女に踏ん張ってもらうしかない。

 それが俺のわがままでも、もう天使を失うのだけは御免だ。

 死んでも……なんとかする。


「昼休みとか言ってたのが甘かった。今から全校に呼び掛ける」

「そ、そんなこと……もう授業が」

「いい、こうなったら退学覚悟だ」

「……なんでそこまでするの?」

「なんで?彼女を守るんだよ、普通だろ」

「……やっぱりバカだ」

「でも、好きなんだろ?」

「うん、好きだよ」


 もう、やるしかない。


 俺は天使と二人で放送室に向かった。

 そして授業中の学校に響くように俺は放送を始める。


 ……緊張するな。

 しかし、不安そうな俺の隣で天使が手を握ってくれる。

 やるしか、ないな。


「皆さん、二年二組の工藤です。今、天使霞が暴力を受けている親に拉致されそうになっている。助けてくれ!」


 急にこんな放送が流れて、皆は何を思うだろうか。

 話をしている間、ずっと不安で仕方なかったがもう話は止まらない。

 天使が親から酷い暴力を受けて逃げていること、体に無数の傷があること、その傷をつけた張本人が職員室にいて天使を連れ戻そうとしていること。


 そんなことを洗いざらい話した。

 もちろんすぐに先生が駆け付けたが、鍵をかけて箒で扉を閉めている。

 まぁ、そんなのも時間の問題。中に入られるまでに言える限りを伝えようと俺は声を搾る。


「みんな、天使はみんなが思ってるようなお嬢様でも清楚でも可憐でもない傷だらけの女子だけど、いいやつだってみんな知ってるよな!?だから助けてくれ、頼む!助けてくれ!」


 そう叫んだところで、中に流れ込むように先生が入ってきた。


 もうぐちゃぐちゃだった。

 全てがスローモーションに見えた。



 必死で抵抗する俺と、観念したようにおとなしく連れ出される天使は引き離される。


そしてマイクの前から引き剥がされて、俺と天使はそれぞれ別の場所に連れていかれた。



「おい、何を考えているんだ!」


 職員室で、まず俺が学年主任に説教される。天使の姿はない。


「天使は……どこですか?」

「今は別の部屋だ。それに、もう親に引き渡す」

「おい、話聴こえてただろ?なんでそんなことができるんだよ」

「口の利き方に気をつけろ!それに、お父様は立派な方だ。何かの間違いに決まっている。きっと親子で話し合えばわかるはずだ」


 大人とは、一体どこまで子供をバカにすれば気が済むのだろう。

 きっと先生もあの父親も、子供なんて所詮自分たちの手でどうにでもなる持ち物くらいの感覚しかないのだろう。

 それに、所詮は他人事。余計な問題に巻き込まれたくないというその考えが、あんなことがあったのに平然と机で談笑する他の先生の姿を見てよくわかる。


「天使に会わせてください」

「ダメだ。もう会わせられない。彼女は父親と帰るのだ」

「それでも人間かよ……頼む、頼むから」

「まだ反省できていないのか?反省できるまでここにいなさい」


 そう言われて、俺は絶望した。

 もう終わってしまったと。これで天使が父親のところに連れ戻されたら、本当にもう二度とあいつに会えないのだろうと、俺はそう考えると立っていられなかった。


 もう自分を支える力すらも俺の傷んだ足には残っていなくてその場にしゃがみ込んだ時、慌てて一人の先生が入ってくる。


「た、大変です!全校生徒が、その、正門のところで!」


 何事かと、次々に先生が廊下に出る。

 俺も一体何が起きたのかと外を見に行くと、学校中の生徒がグラウンドに飛び出して、職員室に向けて大声で叫んでいる。


「おい、人でなし!天使様を解放しろ!」

「全員退学すっぞボケ!ついでに息子のいじめのこともネット晒すからなクソ理事長!」

「天使様を渡さないと警察呼ぶからね!」


 なんと。圧巻の光景だった。


 学年のみならず学校中の生徒が皆、先生に抗議をしてくれている。

 もちろん今はまだ昼休みにもなっていない。全員が授業を飛び出してきてくれたのだ。


「お、おいやめさせろ!天使さんはどこにいる?」

「彼女は応接室の方です。呼んできます」



 慌ただしく先生たちが散る。

 そして俺は、フラフラと、まるで夢の中にいるようにそっと階段を降りてから集団のところに向かう。


 すると


「工藤君、絶対負けるなよ!天使様を絶対連れ戻せ!」


 とみんなから大きな声援をもらった。

 

 その声に安心したのか、俺はふっと力が抜けた。

 そして、その場にしゃがみ込んで泣いてしまった。


 先生が飛び出してきても騒ぎは収まらない。

 そしてしばらく生徒と先生のやり取りが続いた後、ざわつく群衆が急にしんと静かになる。


 何事かと振り向くと、天使が一人でこっちに歩いてきた。


「天使!」


 思わず駆け寄ると、またひどい顔になっている彼女は震える声で


「帰って、くれた……」


 と言った。


「ほ、本当か?」

「うん……でも、あきらめたわけじゃないって。それでも、しばらくは好きにしろって」

「そ、そうか……」

「こんなことになって、大丈夫、かな……」

「大丈夫だって。ほら」


 生徒たちの方を見ると、みんなこっちを見ながら「天使様ー!」と地鳴りのような歓声をあげていた。


 勝った。とは言えないこの勝負だが、俺は天使を守ってやることができたようだ。


 そして、学校に使が戻ってきた。

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