第53話 天使の望み

 買い物とはいっても、特に目的があるわけではなくぶらぶらと俺たちのストレス解消に綴さんが付き合ってくれているという感じ。


 人目につく場所は避けたほうがいいのではとも思ったが、むしろ人混みのほうが向こうはなにもしてこないだろうという綴さんの考えに俺たちは同意した。


「ねえ、もう少しで夏だけど二人で海とかいかないの?」


 綴さんは何気なくそう話すが、天使は少し顔が曇る。


「……私、傷がひどいし」

「あ、ごめん……でもさ、足は傷つけられてないし上着とか着たらどうかな?ね、工藤君も天使ちゃんの水着みたいでしょ?」

「ま、まぁ……」


 こういう時にもっと気の利いたことを言えればいいのだろうが、相変わらず俺はこういう人間だ。


 あとで天使につねられながら「私の水着は不満かしら?」なんて睨まれるのも仕方ないこと。


「とりあえず、二人の服を買わないとだね」

「いえ、俺たちは今のままでも」

「お母さんにちゃんとしろって言われてるから。大丈夫、カード預かってるから買っちゃえ買っちゃえ」


 結局私服や寝巻きを何点かずつ、まるで親戚の人のように彼女は俺たちに買ってくれた。


「さてさて、お昼にしましょ。なに食べたい?」

「……」


 天使が小さな声でラーメンと言ったのを俺たちは聞き逃さない。

 

「ほんとラーメン好きなんだね天使ちゃん。じゃあせっかくだから近くの美味しいところ行こっか」


 買い物袋を下げて少し歩いてから、俺たちの知らないラーメン屋さんに案内された。


「へえ、こんなところあったんだ」

「おいしいんだよー。ささっ、入ろう入ろう」


 少し汚い店内と無愛想な大将だけの空間は案外落ち着いた。


 そして天使好みの豚骨ラーメンをみんなで食べて、また家に戻ることにした。


「なんか楽しいね」


 綴さんは子供のようにはしゃいでいる。


「ええ、綴さんのおかげです。なぁ天使」

「はい……でも本当に何から何まで」

「いいんだってー。それよりさ、帰ったらゲームしよう」


 買い物袋を両手に俺が持って、真ん中に天使を置いて三人で綴さんの家に向かう。


 しかし彼女の家の前に、誰か人が立っていた。


「あれは……」


 俺は一瞬、天使の親の使いかと考えたが風貌は茶髪のチャラ男という感じ。

 そして綴さんが眉間にシワをよせている。


「綴さん、知り合い?」

「最悪……元カレだよ」


 ぽそっと、そう答えたあと一息ついてから彼女はその男の方へ向かう。


「ちょっと、何しにきたのよ」

「おい、お前いい加減連絡しろよ。無視されんの俺が嫌いだって知ってるだろ」

「あのさ、私たち別れたんだからいい加減に」

「俺はうんとは言ってない。ぶっ殺すぞ」


 この物騒でわがままな物言い、誰かに似ていると思ったが……東だ。


 なぜかわからないが俺は天使の方を見ることもなく足を前に出した。


「あの、ちょっと彼女とこの後大事な話あるんでもういいですか?」

「……高校生か?おいカナメ、おまえ高校生に手ぇ出してんのかよ」

「工藤くん、いいから」

「いいえ、こういうやつ嫌いなんです。帰ってください」

「……工藤?ああ、カナメが好きだって言ってたサッカー少年か。ふーん、おまえがねぇ」


 男は何か納得したような顔をして、さっさと帰っていく。


「工藤君……ごめん助かったよ」

「ちょっと俺の嫌いな奴に似てたから。あれが……綴さんに酷いことしてたやつ、ですか」

「うん、東ユウジって言ってね。なんか親が金持ちらしいんだけど」

「東……まさか?」

 

 綴さんに聞いてすぐにわかることとなったが、綴さんの元カレはなんと東の兄だった。

 あの家はどこまで人に迷惑をかければ気が済むのだ?

 それに、俺のことを知っていたようだけど……


「ごめん工藤君……ちょっとだけ、手借りていいかな」

「は、はい……ん?」


 よく見ると綴さんは膝が震えて、立っているのもやっとという様子だ。

 顔も青ざめて、さっきまでの明るかった彼女とはまるで別人のようになっていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「……やっぱりまだ、怖いなぁ。でも、天使ちゃんの方が大変だから、いつまでも怖がってたらダメだって思ったんだけど……あはは、まだまだだね私も」


 俺が彼女の手を取ると、すぐに天使も反対から彼女を支える。


「綴先輩は……強いですね」

「天使ちゃん……ありがとう天使ちゃんのおかげだよ」

「私なんて、そんな……」


 二人で綴さんを家の中に。

 そして天使が急いで飲み物を用意して、綴さんが落ち着くのを待った。


「ふう。もう大丈夫だよ。それより、何でこんなタイミングでくるかなぁ」

「しつこいんですね、あの男」

「うん、でもまさか彼の弟が工藤君の因縁の相手なんて、皮肉だなぁ」

「東家はバカしかいないみたいです、別れて正解ですよ」


 最後に天使が吐き捨てるように言った。

 そして


「綴先輩、私も先輩みたいに勇気出します」


 天使が決意新たにといった様子で目力を強めた。


「天使ちゃん……うん、そうだね。工藤君、天使ちゃんにあの話、もうしてみてもいいんじゃないかな」

「……そうですね」


 俺は、明日学校である策を講じようと考えていた。

 それは、天使にとっては辛い、しかも失敗すれば学校にはいられなくなるかもしれない賭けのようなことだが、俺にはそれしか思いつかなかった。

 

 だから天使が嫌だといったらまた別の策を考えるつもりだった。


 しかし


「わかった。私やるわ」


 説明を一度聞くと天使はすぐにそう言った。


「……大丈夫か?」

「それしかないって、私も思うし。それに」

「それに?」

「……それに、工藤君がいるもん」


 天使は隣に腰かけると、俺の手を握る。


「……自信ないぞ」

「そんなこと言ってもちゃんと守ってくれるって知ってる」

「お前も、やっぱりバカだな」

「でもそんなバカが好きなんでしょ?」

「……ああ」

「じゃああんたもバカだ。お互い様ね」


 少しだけ引きつったように笑う彼女の手は、さっきの綴さんのように震えていた。

 ……しかし天使も、綴さんもみんな闘っている。

 だから俺も……


「よし。やろう」

「うん、やるわ」

「よーし、そうと決まれば……私ちょっとお風呂に入ってくるから二人はゆっくりしてて。明日から大変だもんね」


 綴さんは「しばらく戻らないから」といって、少しにやけながら席を外した。

 気を利かせてくれたつもり、なのだろう……


「はぁ……とりあえず明日は学校だし、今日は早めに寝よう」

「……ねぇ」

「どうした」

「今回の件がね、もし解決したら、だけど……」

「綴さんにお礼しないとな。それに、両親にも」

「う、うん。でも、そうじゃなくて、ね……」

「なんだよ」

「い、一緒に住まない?」


 真っ赤っかの天使は振り絞るような声で、俺の目どころか明後日の方向を見てそう話す。


 一緒に……まぁ、それもいいな。


「うん、いいよ」

「あの、そうなると、ええと、親にも挨拶、とか……」

「ああ、すぐに紹介するよ。ていうかしたい、させてくれ」

「で、でも家出少女とか、い、いやじゃない、かな……」

「いいよ。誰が何と言おうとお前がいい。お前が好きなんだ」

「……私、も」


 自然と、天使とキスを何度も交わす。

 多分今、誰かが戻ってきても気づかないくらいに俺は真っすぐに天使を見つめてキスをした。


 彼女のぬくもりや感触が伝わるたびに、明日からの不安が少しずつ大きくなっていく。

 絶対に失敗できない、したくないという思いが俺を包む。


 でも、同時に絶対にやってやるという気持ちも沸いてくる。

 隣で安心しきった様子で俺にもたれかかる彼女が可愛くて、もう絶対に離したくないと、そう思うからだ。


 この日は、風呂に入って夕食を食べてからすぐに寝た。

 天使と二人で向かい合って、お互いを確かめるようにして眠った。


 そして翌日。綴さんの家から俺たちは学校へ登校する。

 

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