第52話 天使のやすらぎ


「天使ちゃん、足きれー」

「あ、あんまり見ないでください……」

「うんうん、スタイルいいの羨ましい!工藤君は幸せ者だなぁ」


 風呂場で綴先輩と私は二人、背中を流し合っている。

 最初は傷の事もあり服を脱ぐことに抵抗があったが、ここまでよくしてくれている彼女に今更隠し事をする方が失礼だからと、「見苦しかったらすみません」と謝ってから服を脱いだ。


 最初はさすがに驚いたのか、言葉を失っていた先輩だったけど、その後は何もなかったかのように彼女も服を脱ぎだした。


 彼女の腕にもひどいあざがいくつも。

 これは元カレからのものといって笑っていたが、私はまだ笑って済ます過去にまではできていない。だからすごいと、素直にそう思った。


「天使ちゃんってすごいよね。美人だしなんでもできるし、工藤君に訊いたけど頭もいいんでしょ?」

「こんなんだから、立派になってせめて大人になったらいい思いをしようと必死だっただけです」

「でも、普通ならこんなに傷ついてまで頑張れない。すごいよほんと」

「先輩こそ、学校行くの嫌にならないんですか?」

「元カレもいるから怖かったけど。でも仲間が助けてくれたんだ。天使ちゃんだって、工藤君がいるから頑張ろうって思えるでしょ?」

「……まぁ」

「うん、それでいいと思うよ。私はね、いっぱい誰かにあまえて大人になって、いつかそれを返すために一生懸命働くの。そして次に頼ってくれた人がいたらその人を甘やかしてあげられるような人間に、その時になれてたらいいなって。私はそんな気持ちでいるかな」

「そう、ですね」

「とか言って、私も言い訳ばっかりで親のすねかじりまくってるんだけどね、あはは」


 先輩はやっぱり優しかった。

 今、この家に迷惑をかけている私たちに気を遣うなと、それを言葉を選びながらずっと話してくれた。


 ……こんな人たちだからこそ、やっぱり巻き込みたくない。

 ちゃんと、ケリをつけないといけない。


「さてと、お風呂でたらゲームしよっか」

「ゲーム、ですか?」

「私、家に人が来ることないからさ。相手してよー」

「は、はい」


 風呂を出て、先輩の部屋に案内された。

 工藤君の様子を見に部屋を覗いてみたけど、彼は先に眠っていた。


「ふふっ、工藤君が気になるんだ」

「ち、違います……」

「もう、かわいいなぁ天使ちゃん」

「……」


 いつも私が先に寝てしまうので、もう少し彼の寝顔を見ていたかった、なんて話はやっぱりからかわれるからしないでおこう。


 結局ゲームを始めてから一時間ほどして、私が眠そうにしていたこともありすぐに布団にはいることになった。


「じゃあおやすみ。明日は土曜日だからどこかみんなで買い物でも行く?」

「いえ、お金ないしそれに……」

「たまにはリフレッシュしないとだよ。あ、それとも工藤君と二人で行きたい?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「じゃあ決まり。明日が楽しみだね」

「はい……」


 多分。私は少し泣いていたと思う。

 でも、工藤君とは違うけど、違った意味で温かい彼女の腕の中に納まった私は、安心したままぐっすりと眠っていた。



「あ。おはようございます綴さん」

「おはよう工藤君、天使ちゃんはまだ寝てるから静かにしておいてあげて」


 目が覚めたら朝。

 もちろん部屋には俺以外誰もいなくて、天使の様子を確認しようと綴さんの部屋を探していたら彼女がそっと部屋から出てきた。


「ぐっすり寝れてるんですね、よかった」

「ほんと、二人ともラブラブだね。なんか邪魔してるみたいで気ぃ遣うなー」

「邪魔だなんてそんな……こうしていられるのも綴さんのおかげですよ」


 二人でリビングへ。

 両親は今日も仕事で朝から出ているそうで、綴さんが俺の為にココアを用意してくれた。


「天使ちゃんのお父さん、やっぱり毎日アパートに来てるみたいだよ」

「え、どうして知ってるんですか?」

「店長に様子見に行ってもらってたの。すると外車がいつも止まってて、決まって同じ人が出てくるって」

「そんなことまでしてくれてたんですか?いや、すみませんほんと」

「店長も天使ちゃんお気に入りだからね。早く仕事に戻ってもらいたいって」


 そんな店の人の協力もあって、俺たちは天使の父親の行動を知ることができた。

 決まって訪れるのは朝の八時前と夕方の六時頃。


 仕事の都合だろうと推測されるが今日は世間は休日。

 社長業の彼の都合なんて知らないがもしかしたら一日中アパートの前にいる可能性だってある。


「今日はそういうわけだから近づかない方がいいかな。それにコンビニにもいつ来るかわからないから、落ち着くまでは天使ちゃんも休みでいいって」

「何なんだよ一体。自分で暴力ふるっておいて逃げたら追いかけてくるとか、正気じゃない」

「……こんなこと言うのは天使ちゃんの親だし失礼だけど、自分の子供とか好きな人に暴力ふるう人なんて、みんな異常だよ……」


 綴さんもかつて、好きだった人から暴力を受け続けた。

 そんな経験があるから言える言葉なのだろう。なぜかとても重く響いた。


「でも異常者でも親と子の縁は簡単には切れないのがこの国だし。やっぱり納得して向こうが手を引いてくれるのを待つしか」

「待っていても多分無駄ですよ。だから、俺にも考えがあります」

「お、聞かせて聞かせて」

「……ちょっと天使にはきついかもしれないことなので、あいつが納得してくれたらの話ですけど」


 ここで俺の考えを綴さんに話した。

 最も、昨日寝る前にぼんやりと思いついた案なのでまとまってもいないし勝算もない。ただ、高校生である自分がやれることなんてこのくらいだろうという、そんな案だ。


「うんうん、それいいかもね。でも、確かに天使ちゃんにはちょっと辛いかも、ね」

「ええ。でもそれでもしあいつが何か言われたら……俺が守ります」

「きゃー、かっこいいねぇ工藤君。うん、君がついてるから大丈夫だよ。じゃあもうちょっと整理してから、彼女と相談しよっか」

「はい」


 ちょうど話が終わった頃、目をこすりながら天使が起きてきた。


「おはようございます……」

「あ、天使ちゃんおはよう。今コーヒーいれるから待っててね」


 綴さんがキッチンへ。

 入れ替わるように、綴さんの寝巻を着た天使がこっちに来て俺の隣に座る。


「おはよう天使」

「……朝から浮気?」

「バカ言うな、するかよ」

「だって、先輩可愛いし……」


 寝起きからヤキモチを妬いてくる天使が、とてもいじらしい。

 綴さんの家でなかったらこのまま抱きしめてしまいたいくらいに、愛おしかった。


「お前の方が可愛いよ」

「……言わせたみたいでヤダ」

「違う、本心だ」

「……バカ」


 照れくさくて彼女の顔なんて見れないまま、前を向いていると天使の顔が近づいてきた。そしてそっとキスをされた。


「ッ!?お前綴さんがそこにいるんだぞ」

「だからしたのよ」

「……バカだなお前も」

「ふふっ、ビビったでしょ」


 ニッコリ笑って、俺の手を握る彼女はそっと俺の肩にもたれかかる。

 キスを見られたかどうかはわからないが、そんな俺たちを見て「あらあら」といいながらコーヒーを運んでくる綴さんに少しいじられて、やがて朝食をとることにした。


 その後着替えて買い物へ。

 外に出るのは少し不安だったのか、天使が俺の手をキュッと握る。


「……」

「大丈夫、俺も綴さんもいるから」

「うん、わかってる、けど」

「らしくないぞ。なんなら煙草でも吸うか?」

「私をなんだと思ってんのよ」

「……俺の彼女だよ」

「は、恥ずかしいこというな、死ねバカ……」


 三人で。俺と綴さんとで天使を庇うようにしながら外に出た。


 久しぶりの外、というのも変な話だけどこうして外に出ることすらままならない彼女の為にも今が踏ん張り時。


 ただ、眩しそうに朝日に目を細める彼女との久々のお出かけだ。

 今日は、楽しい一日になるといいな。

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