第51話 天使の居候

 翌朝は、綴さんが俺たちを優しく起こしてくれた。


「二人とも学校でしょ?休むなら休むでちゃんと連絡しないとだから一回起きなさい。朝ご飯もできてるし」


 二人そろって昨日の疲れのせいか目が腫れていた。

 まぁ、あれだけ泣いたらそうなるよな。


「うう、すっごいブス……」

「別にいいだろ。今日は休むって連絡、あとでしとけよ」

「うん……でも今日からどうしよう。ずっとここにいさせてもらうわけにもいかないし」


 アパートは既に天使の父親に突き止められた。

 しかしすぐに転校なんてできないし、俺だって引っ越しするにも親の許可やらで面倒ごとが多い。


「……私、色々考えたけどやっぱり一生逃げ続けるのは嫌。それにあのアパート気に入ってるし、もう少しここにいたい」

「俺もだ。そうなれば……あの親父をなんとかするしか、ないのか」


 朝食を待つ間、二人でため息を吐く。

 そりゃそうだ。社会から何の信用もないガキの俺たちと、社会的に絶対の立場を持つ権力者が戦って何ができるという話だ。

 天使曰く、自分の体の傷を見せて裁判を起こせたとしても、せいぜい慰謝料が少し出るかどうか、その程度のことだそうで。

 しかも弁護士だって向こうは一流を用意してくる。だからそんな戦い方は不毛だと、彼女は悟ったように話す。


 きっと、何度も戦おうと天使なりに考えてきたのだろう。

 でもどうすることもできずに逃げた。

 だからこいつはただ逃げ回っているだけじゃない。


「はい、二人ともいっぱい食べてね」


 綴さんとお母さんが作ってくれた朝食は温かかった。

 味噌汁を飲むだけで心がじんわりと和らぐ。


「今日も泊まってっていいから。私は大学行くけど夕方には戻るし」

「すみません。次の行動が決まるまでは、お世話になるかもです」

「それに、ちょっと天使ちゃんと女子会してみたかったんだー。ね、天使ちゃん帰ったら今日は私の部屋に来てよ」

「は、はい……」


 なんか成り行きとはいえここまでよくしてもらっていることに天使も俺も申し訳ないというか少し気まずい気持ちにはなる。


 ただ、高校生の自分たちは誰かに甘えるしか術はない。

 今は力になってくれる人の好意に素直に甘えることにした。


 綴さんのお父さんは昨日の夜は早くに寝ていて今朝は早くから仕事に出ていたので挨拶はできず。

 お母さんも仕事と言って出て行った後、綴さんも程なくして大学へ行くことに。


「リビング好きに使ってね。あと、冷蔵庫のものも勝手に食べていいからー」

「い、いいんですか?俺たちだけ家に残して」

「あはは、気にしないでいいよ。でも今日は家で大人しくしといたほうがいいかもね。ちょっと不便だけど」


 しっかり戸締まりしててねーと言い残して綴さんも家を出て行った。

 

「……とりあえず夕方まではおとなしくしてるか」

「せっかくだからゆっくりさせてもらうわ、昨日歩き疲れて足痛い」

「自業自得だよ」

「……ごめん」


 二人きりになると、さっきまでの綴さんたちの明るさが消えたこともあり天使は再び下を向いてしまう。


「なぁ、遊園地に行ったのって、やっぱり」

「……ほんとは今日には街を離れようって思ってたから、最後にどんなとこかなって」

「……今度こそ、あんな形じゃなくてちゃんと行こうな」

「うん、行きたい」


 二人で、しばらくはじっとテレビを見ていた。

 綴さんの家、というのもあるし少しぎこちないところもあったわけだが、それでも肩を寄せ合って手を繋いだまま天使と二人でいると少しばかり変な気持ちにはなるわけで。


「……やっぱりここにずっとってわけにはいかないよな」

「あんた、エッチなことしたいからでしょ」

「……したいよ、そりゃ。お前、可愛いし」

「バカ……でも、今は我慢しなきゃ」


 そう言いながら、天使はそっとキスをしてくれた。


「お、おい……」

「これくらいなら……いいけどさ」

「……やっぱり早く何とかしないと、だな」


 テレビを見ながら、時々キスをしてまたテレビを見て。

 束の間の休息を俺たちは満喫して、気が付けば昼飯も食べることなくリビングで眠っていた。



「二人とも、もう夕方だよ」


 綴さんの声で俺たちは目を覚ます。

 手を繋いだまま眠っていたようで、起こしてくれた時の綴さんの顔はそれはもうニヤニヤとなっていた。


「今日はお母さんも遅いから、私が料理するね」

「は、はいすみません」

「天使ちゃん、手伝ってくれる?」

「も、もちろんです」


 女子二人が料理を作ることになったので、俺は図々しくも先に風呂をいただいた。

 


「天使ちゃんってほんと料理上手だよね。誰かに習ったの?」

「独学、です」

「器用なんだね。ふふっ、工藤君がうらやましいなぁ」

「……綴さんは、工藤君のこと好きだったんじゃないんですか?」


 綴さんは親切にしてくれる、とても良い人だ。

 それに私のことを必死で探してくれて、自分の事のように彼同様に泣いてくれて。

 そんな人の事を、私はまだ少しだけ敵対視してるなんて、さすがに自分の器の小ささが嫌になる。


「うん、好きだったよ。多分天使ちゃんより前から」

「そ、それで……それなら今は、辛くないんですか?」

「彼が天使ちゃんを好きってわかった時はショックだったかな。でもね、相手があなたなら仕方ないなって」

「私、そんないいものじゃない、ですよ。それに体の傷だって」

「工藤君は人を見た目で判断するような人じゃないから、だから好きになったんじゃないの?まぁ、私だってそうかもだけどね」

「そう、ですね」


 多分、少しだけ私はいけないことを考えてしまっている。

 やっぱり、工藤君は私なんかよりも綴さんみたいな、普通の家に育った普通の人と付き合った方が幸せになれる。だから私があのまま見つからなかった方が良かったんじゃないかとか、この期に及んでもまだそんなことを考えてしまう。


「あの、綴さん」

「天使ちゃん、何があっても自分なんか必要ない人間だとか、そんなこと考えたらダメだよ」

「……」

「私も、天使ちゃんほどじゃないけどそんな風に考えたことあった。親にも迷惑かけたし学校に行くのも怖かったりした。でも、自分を必要としてくれる人がいる限りは、その人のために頑張らないとダメ、わかった?」

「……はい」

「ほら、泣かないで。工藤君の為に美味しい料理作ってあげよ?」

「……そうですね」



「あがりました」

「ゆっくりできた?こっちも天使ちゃんのおかげでもうすぐできるから」


 何もしていないどころか世話になっているのに、風呂からあがったら飯が出てくる。

 この状況にひどく嫌気がさすが、今は先の事を、天使の今後を考えるのが先決。

 食事もしっかり食べて体力をつけておく必要がある、かな。


「はい、これで全部。とはいってもほとんど天使ちゃんが作ってくれたんだけどね」

「いえ、私は……」


 天使の目が少し腫れている?

 また泣いたのか?……いや、今は何も言うまい。


「いただきます」


 相変わらず天使の料理はうまい。

 ほんと、これが彼女の料理だと思うと俺はなんて果報者なんだ。


「うまいよ」

「そう、よかった」

「ほんとにうまい。毎日食べたい」

「……言われなくても作ってあげるわよ」

「じゃあ、ずっと頼む」

「……バカ」


 途中、綴さんが俺たちを嬉しそうに見つめる視線に気づき口籠る。

 あっという間に食事は終わって、片付けくらいはと俺が洗い物をしていると綴さんがうれしそうに天使に話しかけている。


「ねぇ、一緒にお風呂入らない?」

「で、でも私……」

「いいじゃんいいじゃん、今日は女子会でしょ?お風呂入って一緒のお布団で寝てー、楽しいじゃん」

「綴さんって、そういう趣味じゃないですよね?」

「あはは、私はかっこいい人も可愛い女の子も好き、かな」


 ちょっと否定になっていないような気もするが、それだけ天使を可愛がってくれているみたいだと思うと嬉しくなる。


 天使は、自分に損得なしで向けてくれる好意というものになれていないせいか戸惑ってはいたが綴さんに押し負けて一緒に風呂場に向かっていった。


 先に一人で部屋に戻ると、俺は明日からどうやって天使の父に対抗するかを必死で考えた。


 もちろん一般的に考えられること、というのは天使も一通り試しているだろうから、やれることは今の高校生という立場を盾にどう戦うか、ということだろうが。


 ……やはりいい案はない。

 どうやっても勝てる気はしないし、かといってずっとここにいればここにいることだっていずれはバレて綴さんたちにまで迷惑をかける結果になるだろう。


 だから時間もそう多くはない。

 

 ……一応向こうも立場がある人間だから、話は通じるだろうか。

 娘さんを俺にくれ、なんて結婚の挨拶みたいな交渉でも、向こうは聞いてくれるだろうか?


 まとまらない考えを巡らせていると、眠気が来た。

 部屋の外では綴さんと天使の話し声が聞こえてきたが、それに少しだけほっとして眠りにつく。


 こんな日がずっと続けばいいのに……。

 

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