第50話 天使への気持ち

「天使!」

「……!?」


 驚いたように俺を見る彼女の顔は、おそらく泣いていたのかぐしゃぐしゃだ。

 逃げようとはしない。というより彼女も疲れているのか、足が動かないようだ。


 でも、天使だ。天使がいた……

 ……いや、まだ泣くな。


「お前、どうして」

「そっちこそ……なんでここにいるって思ったのよ」

「お前、案外未練がましいところあるからな」

「こ、こないで!」


 必死に顔を隠す。しかしそんな彼女の言うことなど無視した。

 俺は今すぐにでも泣きたいくらいに彼女の姿に安堵するとともに、怒っていたからだ。


 だから傍にいき、隣に腰かける。


「なんで逃げた」

「だって……絶対に迷惑かける」

「俺がいたら大丈夫って、言ってくれたのはお前だろ」

「それは……父に見つからずにいられたら、あんたといたら嫌なこと忘れられるかなって……」

「でも逃げてなんになるんだ?いなくなるなって、俺にはそう言っておいてお前の方こそどういうつもりだよ」

「だって!」

「俺にはお前しかいないんだ」

「なんでなのよ……」


 我慢も限界だった。俺も勝手に、涙がこぼれだす。

 もう、俺も天使も涙で無茶苦茶だ。 

 きっとこんな場所で泣きながら話す俺たちのことを見てる人は、別れ話でもしてるに違いないと思うだろう。


「俺は何があってもお前を離さないからな」

「……でも、このままあの街にはいられない」

「だったら俺も一緒に逃げる」

「そんなの……ダメだよ」

「お前がいなくなるよりはいい」

「バカ……そんな簡単な話じゃない、のに……」

「簡単な話だ」

「……」


 嘘だ。全く簡単な話ではない。

 天使が言いたいことも、考えてることもよくわかる。

 多分俺の方が非現実的だとも思う。


 生活力もなく、ただの高校生が彼女と二人でずっと放浪なんて、そんなことは無理だとわかっている。

 でも、やっぱり彼女と一緒にいたい。


「……あの親父さえどうにかなればいいんだな」

「父に会ったの?」

「今朝……お前の部屋に来てた」

「あの人は……多分なんでもする。あなたのことも潰すかも」

「お前がいないとどうせ潰れる。だけどいてくれたら大丈夫だ俺は」

「……一緒にいたら、もっと好きになる……だから怖い……」

「俺は……もっと好きになりたいよ天使のこと」

「……どうなって知らないからね」

「いいよ」

「バカ……」


 天使と向かい合い、キスをした。


 周りの目も、騒がしいはずのパレードの音も、どれも遠く遠く離れたところのことのように感じるほど、俺は彼女と二人だけの空間に落ちた。


 長かったのか短かったのかもわからない。

 ただ、ずっとこうしていたいという気持ちだけが、俺の心を支配していた。


 ようやく、天使を捕まえた。



「おーい」


 しばらくして綴さんに連絡をとり、合流した。


「天使ちゃん!よかった無事だったんだ……」

「すみません心配かけました……」

「いいのいいのそんなこと!ほんと、よかった……」


 俺たちは店長さんの車で家に戻ることにした。

 しかしあのアパートのセキュリティでは心もとないからと、綴さんから提案があった。


「そうだ、二人ともうちに来ない?それなら安心だしうちの親はその辺緩いから」

「……いいんですか?」

「もっちろん。それにもし不安ならしばらくうちにいてくれてもいいし」

「いや、さすがにそれは」

「あ、それだと天使ちゃんとラブラブできないもんねー」

「……」


 この人の明るさに何度救われたらいいのか。

 天使も、綴さんの言葉にまた泣きそうになっている。


「やっぱり私のせいで迷惑、かけてる」

「お前のせいじゃない。俺も悪い」

「優しいね、あんたは」

「好きな奴には甘いもんだよ」

「バーカ」


 天使と寄り添うように、俺たちは後部座席で二人とも眠っていた。

 そして綴さんの家に到着したところで起こしてもらう。

 店長さんは、「明日また様子見にくるから」といってさっさと帰っていった。


「良い人、ですね」

「うん、いつも助かってるわ。ささっ、早く入ろ。お風呂も入らないとでしょ」


 綴さんの家は普通の一軒家。

 早速ただいまと綴さんが玄関を開けると、気の良さそうなおばさんが出迎えてくれた。


「おかえり。その子たちが言ってた子?ご飯もあるからね」


 挨拶もなく、戸惑う俺たちを中に案内してくれる。

 リビングはとても綺麗で、広々としている。


「なんか他人の家って緊張するな」

「……」

「どうした天使」

「いえ、なんでも」


 元気がないのも無理はないか。

 ついさっきまで、一日中不安と恐怖の中をさまよっていたのだから。


「カレー食べるー?」


 綴さんの問いかけに俺たちは小さく頷く。

 遠慮する余裕もない。ボロボロで空腹も限界だ。


 やがて運び込まれたカレーは、もちろんうまかった。

 普通の家庭の味といったところだが、なぜかこういう味が今は一番ほっとする。


「……うまいな」

「私、おうちのご飯とか食べた記憶ないから、すごく落ち着く」


 カレーを少しずつ、遠慮がちに口に運びながら天使の声は震える。

 そんな彼女の肩をそっと掴んで、俺は「大丈夫だって」と気休めにもならない言葉をかけた。


「二人ともお風呂も沸かしてるから入ってねー」


 何から何まで、今日は綴さんが世話をしてくれた。

 途中綴さんのお母さんが食器を片付けに来てくれたが、「ゆっくりしていきなさいね」とだけ、優しく微笑んでくれた。


 それを見て天使は、また少し泣いていた。



 お互い風呂を借りてから、服も綴さんのものと、彼女の父親のものをそれぞれ借りて寝ることになった。


「ごめんねうちもあと一部屋しか空いてないから、ここを二人で使ってね」


 布団を並べて、枕を二つ。

 なにか少し悪意というかいたずら心のある配置に見えたけど、綴さんが「ここ、音漏れしないから安心してね」とか言ってきたのでやっぱりそうなのだろう。


「……寝るか」

「うん、寝る」


 二人で布団に入る。

 さすがに人の家ともあって、少し落ち着かない感じがしたが疲れもあってすぐに眠気が襲ってくる。


「もう、起きたらいなくなったなんてこと、やめてくれよ」

「じゃあ、ちゃんと捕まえてて……」

「わかったよ」


 ぎゅっと、天使を抱きしめるようにして俺は眠りについた。


 もう離さない。そう決めて彼女を抱きしめたが、彼女もまた、もう離れないと言わんばかりに俺の服を強く握っていた。


 

 

 

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