第49話 天使の失踪

 俺は膝を怪我した時、人生でこれ以上の挫折を味わうことはもう二度とないと思っていたが、今はそれ以上に絶望している。


 天使に連絡しても繋がらない。

 痛む足を懸命に前に出して、近所中を探したが彼女の姿はなく、結局学校に行ってもただ彼女が無断で休んでいるとだけ先生に告げられたので俺も早退した。


 そして頼るところが他になく、取り乱したように綴さんに電話をかける。


「どうしたの工藤君?」

「天使が、天使がいなくなったんです」

「え?どういうことそれ」

「わかんないです、あの、天使が」


 もう声も震えてまともに話ができない。

 そんな俺を心配してか、綴さんは大学からこっちに向かってくれると言ってくれた。


 彼女を待つ間も俺は何度も吐いて、綴さんが来る頃にはもうボロボロだった。


「何があったの工藤君」

「それが……」


 俺は天使と付き合ったところから、今朝に至るまでを正直に彼女に話した。

 加えて天使の体の傷の事も、彼女には悪いと思いながらも正直に全部伝えた。

 そして黙ってそれを訊いてくれた綴さんは、俺が話し終えるとスッと立ち上がる。


「行こう、工藤君」

「……どこに?」

「探しに行くのよ。天使ちゃんを」

「でも、あてがないしあいつの実家も知らない」

「……それでも、行くのよ」


 綴さんも、泣きそうになっていた。

 心も体もボロボロになった俺の手を引いて、彼女は俺を外に連れ出した。


 すると


「あの、こちらに天使という女の子は住んでいませんか?」


 実に聡明な感じの、どこか東の親父である理事長のような雰囲気の金持ちそうな中年が、天使の部屋の前に立っていた。


「あなたは……」

「すみません、私はこういうものです」


 渡された名刺には「代表取締役 天使幸三」と書かれている。


 会社名は、それはそれは誰でも聞いたことのあるような大企業。

 この人が、天使の……


「あの、天使の父親って」

「ああ、君はうちの娘と知り合いかい?お隣さんということで彼女が迷惑をかけたのなら代わりに謝罪するよ」

「……何しに来た」

「いえ、彼女が家出してしまったから。心配で探していたのだよ」

「心配、だと……」


 俺はその瞬間に拳を握った。

 それをわかってか、綴さんは俺の少し前に出て代わりに話をしてくれる。


「あの、事情はよくわかりませんが彼女はいないようですよ。だからお引き取りください」

「そうか。邪魔したね」


 目の前に止めてある、このアパートには似つかわしくない高級車の後部座席に乗り込もうとする男を俺は呼び止める。


「待て!お前のせいで天使は、天使は!」

「君が彼女の何を知っているかはわからんが、彼女は私の娘だ。親が娘に何をしようと他人が口出しする問題ではないだろう」

「なんだと貴様!」

「やめて工藤君!」


 俺の呼びかけもむなしく、車は男を乗せて去っていった。

 そして、その場で俺はしゃがみ込んでしまう。


「……あいつのせいで、天使が」

「あんなまともそうな人が、天使ちゃんにそんなひどいことするなんて」

「なんだよ、あいつは親の所有物なんかじゃない。あいつは……」


 また泣いてしまった。

 ここ最近、涙腺が緩いのかよく泣く。


 そんな俺が泣き止むまで、じっと綴さんは俺の傍で待ってくれていた。


「工藤君、やっぱり彼女を探さないとダメだよ」

「でも、あいつは頭いいし俺に見つかるようなことはないと思います」

「だけど、探してみないとわかんないしさ」

「無駄です、もう無理ですよ」

「……やる前から諦めんなバカ!」

「!?」


 ぱちんと、俺はビンタされた。

 

「天使ちゃんならこうしそうだよね。ごめんね、殴って」

「いや、すみません相談しておいてこんなうじうじで……」

「とにかく、今日は私も店休むから。店長にも知り合いに訊いてもらったり協力してもらえばきっと見つかるよ」


 その後、すぐに二人で手分けして天使を探した。

 駅前や、彼女が立ち入りそうな店もくまなく、恥を忍んで聞き込みをしながら必死で探した。


 赤い髪の女の子なんてそうそういない。だから目立つこともあり、見たことがあるという人は何人もいたがそれでも具体的な話はなく、夜になるとひと気も減り、店も閉まっていった。


「ダメだ、手掛かりが全くない……」

「少しあそこのベンチで休もう」


 奇しくも綴さんが指さした公園のベンチは、俺が天使に告白をした場所だった。


「俺、ここで天使に告白したんですよ……」

「あれ、惚気話かな?それなら訊きたい訊きたい」

「あいつも、俺のこと好きって言ってくれたんですよ」

「うんうん」

「俺が守るからって、そう言ったら頷いてくれたんですよ……」

「うん」

「でも、やっぱり俺なんか必要じゃなかったんですよあいつには……」

「……工藤君に迷惑かけられないって、思っただけよ」

「そんなの優しさじゃないです、わがままです」

「でもわがままな天使ちゃんが、好きなんでしょ?」

「……はい」

「だったら、彼女のわがままは想定内だよ。だからこそ、見つけて怒ってあげないと」

「……」


 もうどれくらい歩いただろう。

 へとへとで足が動かないし、汗で服も髪もぐちゃぐちゃだ。

 それに綴さんもこんなに引っ張りまわして、一体何をしているんだ……


「ねぇ、彼女はまだそう遠くには行ってない気がするんだけど、どこか彼女が行きそうな場所とかある?」

「……ラーメン屋」

「さすがにそれはねー。他には?」

「……遊園地?」


 いつか綴さんと行った、今度天使と行こうと言っていた遊園地。

 もうここくらいしか心当たりはない。


「じゃあ行ってみよう」

「でも、着いた頃には閉館だし」

「出てきたところに会えるかも」

「いや、そもそもいるかどうか」

「行ってみないとわかんない、でしょ」


 しかしバスが来るのは三十分後。

 それまでに天使がまた遠くに行ってしまうかもしれないと、居ても経ってもいられなくなっていたところに一台の車が公園の前に止まる。


「綴ちゃん、遅くなったね。乗って乗って」

「店長、今から遊園地行くから頼むよー」


 コンビニの店長さんが迎えに来てくれた。

 綴さんが呼んでくれたようだ。


「あの、仕事は……」

「従業員が行方不明とかその方が心配だろ。彼女を心配なのは君だけじゃないぞ」

「……すみません」

「さっ、早く乗りなさい」


 古い軽自動車の後部座席に綴さんと二人で乗せてもらい、ブーンと大きなエンジン音を立てながら車は発信した。


「店長ぶっ飛ばしてよー」

「わかってる、車なら三十分もあればつくさ」


 これでもかというくらいアクセルを踏んで、車は遊園地に向けて走る。

 そんなことをさせている罪悪感で黙り込む俺に、綴さんはそっと話しかけてくれた。


「あのね、私、今だからいうけど工藤君のこと好きだったんだよ」

「……そんな気休めいらないですよ」

「ほんとだよー、じゃないと遊園地とか誘わないし。でもね、天使ちゃんと工藤君見てるとさ、ほんと羨ましくて。私みたいなおばちゃんが邪魔したらダメだなって」

「……おばちゃんじゃないですよ」

「あはは。遊園地が最後のアピールの場所だったんだけど、工藤君っていつも天使ちゃんのことばっかり考えてたから。あー、入る隙間ないなーって。でも、そこまで思ってもらえて彼女はきっと幸せだよ」

「……じゃあなんで逃げたんですか」

「彼女も、まだ自分が幸せになったらいけないって考えてるんだよ。私も、元カレにボコボコにされた時とか、そんな気分になったよ」


 綴さんは、腕まくりをして細い腕を俺に見せてきた。

 すると、肘から二の腕のあたりに無数のあざがある。


「これって……」

「私は腕だけだから。でも、やっぱり辛いよ女の子には」

「……」

「だから天使ちゃんってやっぱりすごいんだよ。誰にも負けない、そんな強い子が頼ってくれてるんだからもっと自信持ちなさいって」

「……」

「きっと、工藤君が探し出してくれるのを待ってると思うから……」


 俺たちを乗せた店長の自家用車は、やがて遊園地の近くまで到着した。


 そして時刻は夜の九時前。十時で閉館になる前に、最後のパレードがあるためか遊園地の前は多くの人であふれていた。


「車止めてくるから、二人は先に行ってて」

「店長またあとで、工藤君行くよ!」

「……はい」


 夜の遊園地に、俺は綴さんと入っていく。

 人混みを割いて天使を探す。


 やがて店長も合流して、三人で手分けするが何せ敷地が広い。


 いるかどうかもわからない彼女をこんな人混みで探し出すなんて絶対に不可能だ。

 俺は何度も諦めそうになる。


 しかし、綴さんに言われたことを思い出しながら、何とか懸命に彼女を探した。

 足が痛む。まだ病み上がりですらないこの足は酷く俺の足を引っ張る。


 それでも、俺は必死に走った。


「天使!」


 時々大きな声で名前を呼ぶので周りの客から変な目で見られていたが、そんなことはもちろん気にしない。

 お願いだからいてくれ。


 しかしいない。

 もしかしたらここには来てないのではと、不安が頭を埋め尽くす。


 体力も限界になり、足も動かなくなった俺はゆっくり歩きながらパレードに向かう人の列を逆行し肩を落とす。


 もう、会えないのかもしれない。

 でも、やっぱり彼女に会いたい。

 もっと話して、もっともっと彼女と色んな所へ行きたい。


 そう、ここにだって。一緒に来たかった。


 だから頼む。もう何もいらないからせめて彼女だけは。


 そう強く願った後、ふと見上げた先にあるベンチには、一人で座っている姿があった。


 

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