第48話 天使の父

 彼女ができたからといって、特に俺の何かが変わることはなかった。

 ただ、天使の様子は少し変になっている。


「おはよう」

「ああ、今日は学校だな」

「ね、ねぇ……学校行く時は、手とか繋ぐ、の……?」

「は?いや別にどっちでも」

「もう!なんでそんなにさばさばしてんのよ!」


 なんか急に天使がデレだしたのだ。

 もちろん日常的に使う「死ね!」とか「知らない!」とかは多投するものの、明らかに昨日までより女の子っぽさが増している。


「別に、そんな慌てなくてもいいだろ」

「よくない」

「なんでだよ」

「訊くなバカ!」


 朝からずっとこんな感じ。

 照れたり怒ったりを繰り返す彼女は、それでいて本当に俺の彼女になったのだと時々実感させてくれる。


「今日は飯食いにいくか」

「どうしたのよ急に」

「ほら、付き合ったんだろ俺たち?一応、記念というか、さ」

「なんでそんなとこだけ気が利くのよ……バカ」


 もじもじと、手をこまねきながら隣を歩く天使はとても可愛い。

 昨日、天使に気持ちを伝えて本当によかったと、そう思いながら一緒に登校し、その後は何事もなく穏やかな時間が過ぎた。


 昼休みには、天使の方から一緒に昼飯をと声をかけてきたので、二人で屋上に向かう。


「なんか変な感じだな」

「……別に、私は今まで通りだし」

「でも、お前も俺のこと好きだったんだな」

「ちょっ、からかわないでよ!」


 自分の気持ちに素直になってみるとよくわかるが、本当に天使は可愛い。

 つい惚気てしまいそうなほどに仕草も態度も何もかもが本当に可愛いのだ。

 ……相当参ってるな、俺。


「で、でも私、誰かと付き合ったこととかないから……」

「俺もないよ。だからお互い様だな」

「ふ、ふーん。そっか、ないんだ」

「嬉しそうだな」

「べ、別にそんなことない!」


 弁当を食べながら終始照れる彼女をからかうのが楽しくて、ついいじわるをしてしまう。


 そんなこんなで学校生活は終始平和だった。

 足を痛めた俺に幻滅したやつもいれば、気を遣って話しかけられないやつも多いみたいで、俺は少し前のようにチヤホヤされることもなくなった。


 だから平和だ。

 さらに言えば東は本当に退学となったようで、取り巻きたちもまるで一緒に退学になったかのようにどこかに姿を潜めてしまった。


 放課後、天使と二人でゆっくり歩いて駅前に向かう。

 足は踏み込む度にズキンと痛みを走らせるが、まぁ我慢できる程度だ。


「なぁ、そういえば遊園地結局行かなかったな」

「別に、今度の休みでも行けばいいじゃん」

「じゃあいくか」

「行く……ていうか今日なんだけど……」


 改まった様子で、彼女が足を止めてからこっちを見る。


「なんだよ」

「その……家言っていい?」

「は?いつも勝手に来てるだろ」

「じゃなくて、その……泊まり、とか」

「とま、り?」


 俺も喉が詰まりそうになった。

 泊まりとは、つまり……


「それって」

「それ以上訊くなバカ」

「す、すまん」

「それで、どうなのよ」

「いい、けど」

「嫌そうね」

「そうじゃない、嬉しいから困ってんだよ」

「そ、そう」


 ちょうど駅前に到着した頃には、天使は顔が真っ赤で汗もダラダラかいていた。

 そんなに恥ずかしいなら言わなけりゃいいのに。


「は、早くなにか食べましょ。ね、私ラーメン食べたい」

「記念日にまでラーメンってどうなんだよそれ」

「好きなもの食べるのが一番でしょ」

「……わかったよ」


 俺が頷くと、天使はにこっと隣で笑う。

 いい笑顔だ。くそ、可愛いな。


 結局外食はいつもラーメン。

 付き合ってもやはり俺たちは何も変わらない。


 まぁそれが一番いいのかなと思いながら帰宅すると、天使が一度部屋に戻ろうとした時にがたんとその場に崩れ落ちた。


「ど、どうしたんだよ」

「……これ」

「ん?」


 天使の部屋の玄関に、張り紙が張ってあった。

 そこには『明日迎えに来ます。 父』と書かれていた。


「お、おいこれって」

「……居場所、バレたんだ」


 目が虚ろになっていた。

 やがてその目には涙がにじむ。


「なんで……やだ、私、やだよ……」

「おい、とりあえず部屋に戻るぞ」


 俺は天使を抱えて部屋に入る。

 そして泣き止まない彼女の肩を抱いて、しばらく彼女が落ち着くのを待つことに。


「どう、しよう……どうしよう……」

「なぁ、お前の親ってのはさ、なんでお前にこんなひどいことするんだ?」

「……」

「言いにくいかもだけどさ、その、一応彼氏として、知りたいんだ」


 しばらく沈黙が続く。

 やがて天使が、声を震わせながら語り出す。


「……父はね、大企業の社長してるんだけどさ」

「だ、だからなんなんだよ」

「だけど暴力がひどくて。母は逃げたけど私は逃がしてくれなかった。でもそんなこと警察に相談したところで誰も信じてくれない。父はそれだけ社会的にはすごい人、なの……」

「だから逃げたのか?それにそこまでお前の体を痛めつける理由は」

「仕事のストレスの発散、ね」

「……そんな理由で?」

「でも、父は私にどこかのお金持ちと結婚させたいとかは考えてる。だから逃してくれない」

「……最悪だな」


 どんな親なんだよ。

 嫁がせたい大事な娘をどうしてそこまで痛めつける必要があるんだ?

 いや、そもそも娘にそんな仕打ちをするやつの考えなんてわかるはずもない。


「大丈夫だって」

「なんでよ、あの人は金も権力もあって私なんかじゃ太刀打ちできない」

「……俺がいる」

「迷惑がかかる……むしろ工藤君は関わらない方がいいの」

「俺が守るって決めたんだから。守るよ」

「……じゃあ、期待していいの?」

「当たり前だ」

「……」


 その時、天使が煙草をポケットから取り出した。


「吸いたい……」

「吸えよ、いいから」

「止めないの?」

「今日だけは許す」

「うん……」


 カチッと火が付いた煙草を、深く吸い込んだ後で彼女は大きく煙を吐いた。


「ふーっ、このたばこもね。父の影響なんだ」

「そうなのか?」

「嫌煙家なの、父は。だから敢えて吸ってやって、そこから癖になって」

「……なんだそれ」

「でも暴力が増えただけだった。そんで煙草も増えて。私って、こんなんだよ」

「知ってるよ」

「……やっぱり私といたら迷惑かかるかも」

「いろって言ったのは誰だよ。俺がいたら大丈夫なんだろ?」

「そう、だけどさ……でも」


 部屋で涙ぐむ天使を見ていると、もうどうしようもなかった。

 俺は、無意識に彼女に顔を寄せる。


「天使、お前はそのままでいいよ」

「……待って、煙草臭いから」

「いい、なんかお前っぽい」

「バカ、褒めてない……」


 彼女もまた、そっと目を閉じた。


 そして、天使とキスをした。

 人生で初めてのキスは、別にレモンの味もサクランボの味もしない。

 少し煙草の苦い味がした。


「……しちゃったね」

「ああ、煙草の灰落ちそうだぞ」

「なんでそんなに冷静なのよバカ」

「続き、してもいいか?」

「……うん」


 灰皿代わりにした空き缶に置かれた煙草の煙が辺りに充満する。

 その煙たい部屋の中で俺は、初めて天使の全てを見た。


 まだ夕方の、少し明るさの残る部屋の中で今日、天使を、この腕の中に抱いた。

 傷は酷く、あまりに生々しいものだったがそれも含めて、全部ひっくるめて彼女なのだと、俺は心底そう思えるとこの傷すらも愛おしくなっていた。




「……しちゃったな」

「見ないで、恥ずかしい……」

「煙草、もういいのか?」

「いい、それどころじゃない……」


 裸のまま。二人で並んでベッドに横になりまた見つめ合う。

 恥ずかしさで今にも沸騰しそうだと言わんばかりに、天使はまた顔を真っ赤にするが俺はそれが可愛くて仕方なく、またキスをしてしまう。


 時々膝が痛むが、そんなことはどうでもよくなるくらいに、俺たちは何度も肌を重ねた。


 そして夜になる。


「何回するのよ、えっち」

「減るもんじゃないだろ」

「……サル」

「お前だって」

「今日だけ、だからね」

「はいはい」

 

 二人でベッドの中で、クタクタになりながらも寝るのが惜しいと言わんばかりに会話を続ける。


「今度はデート、だな」

「遊園地、行きたい」

「ああ、行こうよ」

「……そう、ね」


 ウトウトと、彼女はゆっくり目を閉じた。

 天使はそのまま先に眠ってしまった。


 夏前とはいえ、服を着ずに眠る彼女の為に、もう一枚タオルケットを重ねてかぶせてから、俺は服を着た。


 そして、天使が置いてあった煙草を見て、一本を取り出して火をつける。


 ふーっ、けほっ。まずいなやっぱり。こんなの吸って何がいいんだよ。


 ……いや、多分天使だって、元々吸いたくて吸ったわけじゃないのだろう。

 あまりにひどい父親のせいで彼女は……


 こんなに可愛い寝顔をする天使は、それでいて親は選べないという生き物の宿命みたいなものの被害者の一人というわけだ。


 俺が守ってやらないと。

 というより、こんなかわいい彼女を手放してやるものか。


 そう誓ってもう一度だけ煙草を吸ってから、火を消して俺も眠りにつく。



 翌朝、天使は横にはいなかった。

 部屋に戻ったのかと思いまってみたが、帰ってくる気配もない。


 なんだよ、昨日の事が恥ずかしくて顔見れないとでもいうのか?


 合鍵を使って、俺は彼女の部屋にいった。

 するとそこは、綺麗に片付けられていて何もない、空の部屋になっていた。


「な、なんだよこれ……」


 慌てて中に、靴のまま飛び込んだ俺の目に飛び込んだのは、机に置かれた紙切れ。


『工藤君、大好き。一緒に遊園地行きたかったね』


 そう書き残されたメモを見て俺は察した。


 天使が……いなくなった。

 

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