第47話 天使霞
案の定、天使は二日酔いになっていた。
俺のベッドで目覚めた彼女はボサボサの髪の毛もそのままに俺が作った朝食を食べている。
「あー、お酒強くなりたい……」
「未成年がそもそも飲むからこうなるんだ。身体大事にしろよ」
「わかってるわよ……」
彼女は今日も半袖だ。
生々しい傷が腕中にあるのも俺はもう見慣れた。
しかし、いくら俺が良かったとしてもだ、天使はこれから俺以外の人間とも付き合っていく中で一生この傷を隠しながら過ごすなんて不可能だろう。
どうにか治す手段なんてものはないのだろうか。
「なぁ、お前はその傷治せるとしたら治療するのか?」
「当たり前でしょ。でも、そんなお金ないし」
「そう、だよな」
多分、現代医学ならお金さえ積めば治せるのだろう。
ただ、親元を離れた一人の高校生がそんな手術代なんて工面できるはずもない。
「なによ、やっぱりこんな身体の女とは一緒にいたくないってわけ?」
「そんなこと言ってないだろ」
「じゃあいいの?こんなままでも」
「……気にしないさ」
昨日、俺の気持ちは吹っ切れた。
それに改めて今日告白をするといっても、もう俺の気持ちなんて天使には見え見えなわけで、今更恥ずかしがって隠すこともない。
だから俺は今のままの天使で構わないのだと、それだけはちゃんと伝えておきたい。
「俺は何も気にしないから、だからそういう心配はするな」
「な、なによえらそうに。別にあんたにどう思われたって……知らない!」
プイッと顔を背けて、天使は朝食の残りを食べ切った。
そのあと、天使は甘いものを買ってこいというので渋々コンビニへ走る。
今日は日曜とあって綴さんも昼間から忙しそうに仕事をしていた。
「あ、昨日はありがとー!天使ちゃんとあのあとラブラブしたんでしょー」
「しませんよ。それより何か甘いものと……あと二日酔いに効くやつ、またください」
天使が間違えて酒を飲んでしまった、ということにして栄養ドリンクを買って帰ると、また天使は部屋で眠っていた。
ほんとよく寝るやつだ。
しかしあまりに気持ち良さそうに寝ているので俺は起こさないようにそっと布団をかけてから再び外に。
少しブラブラと、何もない住宅街を歩いていると同級生たちがワイワイとコンビニの前で騒いでいた。
「あ、工藤くんじゃん!」
俺は名前も知らないが、向こうは俺のことを知っている様子。
まぁ顔くらいは見たことある気がするが、誰だ?
「足、大丈夫だった?あの後東君がめちゃくちゃでさー」
聞いてもいないことをベラベラと。天使から同じ話を聞かされていたので驚くこともなく淡々と彼らの話に相槌を打っていると、気になることを言いだす。
「東君、連れていかれる時にしきりに天使様の方に何か言ってたよな。絶対またなんかする気だよ」
その話に不安が頭をよぎる。
まさか、あれだけ醜態をさらしておいてまだやるかと思いたいところだが、追い詰められたネズミは何をするかわからないともいうし。
東は退学になったとも聞いた。
さすがに理事長の息子といえどあれだけのことをしたし当然だと誰もが納得していたが、社会的に立場を失った東が何をしでかすか、という不安は消えることはない。
ちなみに理事長は後任に立場を譲って退任予定だとかなんとか噂はあるようだけど真相はわからない。
実際形だけのものだろうと思うし、大人なんてまぁそんなものなのかもしれない。
一度部屋に戻り、一人で部屋に残している天使の元へ。
もちろん施錠もしてあるし、彼女はぐっすりと寝ていたが、いつこんな生活が脅かされるかわかったものではない。
一体、いつまで東に迷惑をかけられたらいいのだろうか。
そんなことを天使の寝顔を見つめながら考えていると、やがて彼女が目を覚ます。
「……喉カラカラ」
「声ひどいな。水、飲めよ」
朝よりもひどい状態になっている天使は、キッチンで水を飲んだあと、こっちに戻ってきて「お腹空いたからでかけよ」と言ってくる。
「いいけど、まだ晩飯には早いだろ」
「いいじゃん、昼夜兼用で」
「夜に腹減ったとか言うなよ」
「その時はその時。早く行こ」
さっさと部屋を出ることになり、お互いラフな格好のままでとりあえず駅前を目指す。
「なぁ、なにか食べたいものあるか?」
「そうねぇ、ラーメンは?」
「お前さぁ……」
「え、何よラーメンの気分じゃない?」
「……」
昨日の夜、散々と雰囲気がとかちゃんとした場所でとか言っておいてそれはないだろうと、俺は首を振る。
しかしラーメンが食べたくて仕方ないという彼女に負けて、結局いつものところではなく比較的綺麗な店を選んで入ることにした。
「ここ、私初めてなのよね」
「そうか、でもうまいぞここも」
二人で注文した品を待つ間、水を飲みながら何でもない会話をする。
……これから告白しようってのに、なんでラーメンなんか食ってるんだ俺?
いやまて、こいつ昨日のことをちゃんと覚えてるのか?
酒入ってたから記憶ありませんとか、今更言うなよ……
「なぁ、昨日のことだけど」
「なな、何よ急に」
「いや、なんでもない」
しっかり覚えているようだ。
あたふたして、顔を赤くしながらそっぽを向く彼女は実にわかりやすい。
となればだけど、俺はここで告白してもいいのか?
……いや、やっぱり夜まで待った方がいいのかな。
「おまたせしましたー」
運び込まれたラーメンを、二人で黙って食べる。
時々天使が「うん、うん」と言っていたのでどうやら味は気に入ったようだ。
先に食べ終えた俺は、一生懸命熱いラーメンをすする彼女を見て少し和む。
可愛いよな、やっぱり。
「な、なによ人の顔見てにやにやと」
「いや、お前って可愛いな」
「な、なに言ってんのよ急に!」
このまま耳から煙でも出るんじゃないかというほどに、天使が赤面した。
そんな姿がどうしようもなくいじらしくて愛おしい。
慌てふためいてラーメンを食べる天使は、時々「もう、最悪……」とか言っていたけど知ったことではない。
二人で店を出ると、どちらからともなく自然に彼女と手を繋いだ。
そしてあてもなくブラブラとしていると、公園があったのでそこのベンチに腰掛けることにした。
「なぁ、天使」
「な、何よ」
「ずっとこうしていたいって言ったら、お前は嫌か?」
「……」
彼女の手から伝わる体温のせいか、俺の気持ちは止まらない。
もう、場所も雰囲気も選ぶ余裕なんてない。
夕方にさしかかるなんでもないこの時間帯に、ひと気の少ない公園で俺は、彼女への気持ちをはっきりと伝える。
「俺はさ、お前が好きだよ」
「……なんでよ」
「なんでって。可愛いから?」
「な、なによその理由は」
「それにお前がいたから今の俺がある。それに俺が見てないとお前、煙草吸うし酒飲むし危なっかしくて見てられない。だから支えてほしいし、守ってやりたいって気持ちになった。それじゃダメか?」
「……でも私、昨日も言ったけど体こんなんだし」
「知ってる」
「それに、家族もいないし不良だし何もかも中途半端で放り出してるだけだし」
「だから俺がいてやりたいんだろ」
「そ、それに」
「いいんだよ。めんどくさいとこも含めて好きになった。むしろそういうとこがいいとすら、思ってしまってるんだから俺も大概だろ」
「な、何よその言い方、失礼、よ……」
俺の手を握る力が、ぎゅっと強くなった。
「お前の気持ち、訊かせてくれよ」
「……ど、どうしてもっていうんなら……じゃない。うう、このバカ、言わなくてもわかれバカバカ!」
「言わなきゃ伝わらないから今日までこんななんだろ俺たち」
「……」
俺の手を振り払って、天使がバッと立ち上がる。
そして俺の方を、逆光でもはっきりわかるくらいに顔を真っ赤にしながら指さす。
「あ、あんたのこと、その、ええと、あーもう……好きよ!」
天使のその一言を、俺はいつから望んでいたのだろうか。
もしかしたら、彼女と知り合った日からずっとその一言が聞きたかったのかもしれない。
そう思うとたまっていた感情が溢れて、なぜか自然と彼女を抱きしめていた。
「天使……」
「ちょ、ちょっと人がいるって」
「好きだ……ずっとこうしていたい」
「……バカ、もの好き、変態」
天使の罵声も今は心地好い。
今日の事を俺はずっと忘れないだろう。
何でもない休日の夕方、気も利かない場所で俺は天使と思いが通じ合った。
今日、初めて俺に彼女ができた。
天使霞。美人なくせにがさつで不真面目で、不器用だけど一生懸命な、そんな彼女と俺は、手を繋ぎ直してゆっくりと二人の家に戻っていく。
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