第46話 天使のダダ

 天使はしばらく戻ってこなかった。

 代わりに、綴さんから昼頃に連絡が来る。


「もしもし、今日本当にお邪魔してもいいの?」

「ええ、天使がその方がいいってことですから」

「そっかぁ。じゃあいっぱい食べ物買っていくね!」


 一旦天使への告白のことは忘れよう。

 そうでなければせっかくみんなで食事だというのに楽しめる気がしないからだ。

 それに、多分次に天使と二人きりになったらもう我慢なんてできない。


 だからその時までは下手にあれこれ考えすぎないようにしようと、自分に言い聞かせながらだらだらと休日の午後を過ごした。


 夕方になり、まず天使から連絡が来た。


『綴先輩と買い物中だけど、何かいるものある?』


 と聞かれたので、任せるとだけ。


 そして連絡が来てからしばらくして、天使たちが家にやってきた。


「お邪魔しまーす。ってけっこう中は綺麗だね」


 まず綴さんが。続いて店長さんが入ってきて最後に天使が気まずそうに中に入る。

 

「すみません、今日は俺のせいでこんな感じになっちゃって」

「ううん、それより足大変だったね……やっぱり私が無理させたからかな」

「そ、そんなことないですよ!自業自得というだけの話で」


 綴さんには、怪我の詳細は伏せている。いらぬ心配もかけたくないので、少し傷みが再発した程度で天使と口裏を合わせた。

 だから別に構ってほしいわけでもないのだが、よたよたと足を引きずる俺はどうも湿っぽい空気を作りがちになってしまう。


 それを察してか、店長さんが「早くビール飲ませてくれよ」と大きな声で言う。

 そして狭い部屋に四人。意外でもなんでもなく、天使以外の人が初めて俺の部屋に来た日になった。


「じゃあ、かんぱーい」


 綴さんの掛け声で、食事が始まった。

 食事は、スーパーの総菜ばかりでほとんどがつまみ系。

 それだけじゃ物足りないからと、天使が今から何か作るそうだ。


「いいなー、一人暮らしって。私もしたいよー」

「お金かかるし良いことないですよ。なぁ天使」

「まぁ、そうね」

「でも、お隣さんだったとは驚いた。うん、やっぱり二人は運命で結ばれてるんだよ」


 綴さんがそう言った時、ガチャンと台所でお皿が割れる音がした。


「だ、大丈夫天使ちゃん?」

「だ、大丈夫です……」


 顔はよく見えなかったが、どこか声が震えていた。

 まぁ、さっきあんなことがあったから意識するなというのが無理な話か。


 ……いかん、俺まで緊張してきた。


 店長と綴さんの飲みっぷりは素晴らしく、ガンガンと買ってきたビールの空き缶が積まれていく。

 それを見ていた天使は小さな声で「私も飲みたい」と呟いたのを俺だけが聞いていた。


「できました」


 と天使が運んでくれたのは餃子と野菜炒め。

 そしてようやく席に着いた彼女は、そっとビールに手を伸ばそうとして綴さんに「それはお酒だよー」と言われてジュースを渡されていた。


「……酒飲みたい」

「今日は我慢しろ」

「あとで飲む」

「好きにしろよ」


 改めて乾杯。そして天使の料理を食べた二人は驚いていた。


「おいし……お店の味だよこれ!」

「うまいなぁ、天使ちゃんの手料理を食べられる彼氏君は最高に恵まれてるよ!」


 さすがにこれには天使も照れる。

 謙遜しながらも、はっきりと「料理は得意なんです」というあたり、天使の自信のほどがうかがえる。


 酒を飲めないことには不満だった様子だが、天使は楽しそうにみんなと話していた。


 俺も食事と片付けをしながらみんなの話に加わる。

 職場も良い人が多いそうで、天使の仕事っぷりもいいからシフトを増やしてくれとかお願いされていた。


 やがて楽しい時間が終わる。

 ヘロヘロに酔った店長を連れて、綴さんがタクシーに乗り込む。


「今日はありがとう。二人とも、何から何までごめんね」

「いいえ、こちらこそ全部ご馳走になりましたし」

「じゃあまたね。あとは若い二人でゆっくりと」


 最後の一言が少し余計だった。

 今朝の一件で少しだけ気まずい空気なのに天使と二人きりになるとその気まずい空気が蘇ってくる。


「……片付け、しようか」

「そ、そうね」


 部屋を片付けている間、俺たちは無言だった。

 そしてようやく最後のゴミをまとめたところで、余っていたビールを天使が勝手に開ける。


「やっと飲めるわ」

「おい、もう遅いからやめとけよ」

「いいじゃん別にー。それとも、わたしが酔ったら困ることでもあるわけ?」

「いや、別に」


 本音を言えば、酔ってない天使に告白をしたかった。

 しかしそんな俺の思惑など知るわけもなく、ぐびぐびとビールを飲みだす天使は実に幸せそうな顔をしていた。


「はぁー、うまっ」

「また明日二日酔いになるぞ」

「明日は休みだからいーの」

「高校生だからそもそもよくないだろ」

「あーつまんないこというわねー」


 一本空けた時にはもう天使はへべれけだった。

 顔を赤くして目が据わっている。


「……今日はその辺にしとけよ」

「なんで?」

「話があるんだけど、いいか?」

「……どうぞ」


 天使はすとんとベッドに座り直す。

 俺もその横に腰かけて、改めて話を切り出す。


「あ、あのさ」

「うん」

「まぁ、俺たちって色々あった、よな」

「なによ今更」

「いや……」


 あー、言えない。

 どうやったら告白なんてできるんだ?


 ……いや、一言だけ。言いたいことを、伝えたいことを口にするだけだ。

 これくらい男を見せないと天使に笑われてしまう。


「あのさ、俺」

「やだ」

「へ?」

「やっぱヤダ。こんなところでとかヤダ!」

「は?」


 酒のせいか顔を真っ赤にした天使は、少し拗ねたような顔で俺を見る。

 そして


「場所と雰囲気考えろ!ノリと勢いとかヤダって言ってんの!」

「い、いやまだ俺はなにも……」

「甲斐性なし!ちゃんとデート誘え、ちゃんと雰囲気作れ!」


 そう言って彼女は俺の胸に頭をぽすりとうずめる。


「お、おい」

「……酔った」

「……飲みすぎだろ」

「酒臭い女、嫌いでしょ」

「別に、気にならん」

「変な奴。趣味悪い」

「……いいだろ別に」

「バーカ」

「……明日、出かけるか?」

「足は?」

「歩くくらい平気だ。飯でも行こうよ」

「……仕方ないから行ってあげる」


 静かに。夜は過ぎていった。

 俺の胸の中で天使は眠ってしまい、俺は彼女をベッドに寝かせてから一人考える。


 一瞬やだって言われた時は死ぬかと思ったな……。

 でも、彼女の言う通りこんなぐずぐずな感じではなくちゃんと、彼女の目を見て告白をしよう。


 明日はどこに行こうか。

 

 あーあ、気持ちよさそうな顔で寝てるよ。人の気も知らないで。

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