第44話 天使の抱擁

 人生の正念場なんてそう何度も迎えるものではないし、簡単にそんな言葉を口にするのもどうかと思う。

 

 それでも今日は正念場だ。本来であれば俺は全国の舞台でそれを迎える予定だったのだが、今俺がいるのは学校に隣接する小さなフットサルコート。


 今から行われる試合が、俺の人生で最も重要な、そしてひとつのけじめをつける試合である。


 ……一日中、騒然とする学校で一人考えた。

 今日もし東に勝てば、東がそれで大人しくなれば、もしかしたらサッカー部に復帰できるかもしれない。

 それに、そうすることで俺の地位は昔みたいに戻り、いい大学に行けていいところに就職できて、もしかしたらプロなんてこともあり得るかもしれない。


 ただ、今俺がやりたいことかといえばそれは違う。

 過去の栄光にとらわれてすがって甘えてという人生を俺は脱却したい。


 得意なことを伸ばすというのも選択だが、やりたいことをやるというのも選択だ。

 やりたいことが何か、と言われれば明確に固まっているわけではないが。


 それでも、サッカー部には戻らないとだけ決意した。

 もったいないとか、まだやれるとか、そんな気持ちはない。

 スポーツには、もっと別の形で携わっていこうと。

 競うのではなく楽しむものとして。そんな形もいいじゃないかと思った。


 ただ、今日だけは自分の為に、天使の為に全力でボールを蹴る。

 勝つことだけを考えて、サッカーをする。


「お、色男が来たぞ」

 

 東は、先にコートで待ち構えていた。

 そして、放課後の部活動はどうしたとツッコみたくなるほどに多くのギャラリーがコートの周りを埋め尽くしている。


「早く始めよう」

「指図すんなクソが」


 東は俺にボールを蹴ってくる。

 それを足で受け止めると


「先に十点とったら終わりだ」


 と言い出した。

 

 もともと不利な条件なのでそれは飲んだ。

 そしてコートの中央に向かう時、天使の姿が目に入った。


 ……なんでそんな心配そうな顔してるんだ。

 

 いつもとは違って随分と不安そうな彼女を見ると、俺は少しおかしくて笑ってしまう。


「おい、何笑ってんだよ」

「ああすまん、なんでもない。それより、準備はいいぞ」

「うっさい。おい審判!」


 彼女を安心させてやりたい。

 そんな一心で、笛と同時に俺は走り出した。


 おおー!と歓声があがるのを冷静に受け止めて、俺はまずゴールを決めた。


 動いてみてわかったことは東も高校に入ってから全く成長していないということだ。

 自分の立場にふんぞり返っていて、ろくな練習もしてなかったのだろう。

 

 そんなレベルの人間ならと、俺は立て続けにゴールを決める。

 破竹の勢いだった。


 あっという間に九点。

 自分で言うのもなんだがワンサイドゲームとなり、観客も静まり返っていた。


 その時


「なぁ、一回くらいボールくれよ」


 と東が大声で言った。

 

 周りの空気も、一度くらいいいじゃないかという雰囲気に包まれていたので俺は渋々東にボールを渡す。


 そして、もちろん一人しかいない俺は黙ってゴール前に立つ。


「なぁ、手は使っていいのか?」

「何言ってるんだお前?サッカーで手使うとかマジでバカだな」

「……わかった」


 つまりは黙ってゴールを決められろということだ。

 まぁ、足で止めれば済むわけだが。


 五人がかりで俺の守るゴールの前でパス回しを始めた。

 そして東にボールが渡ると俺めがけてシュートが打たれた。


「おらっ!」

 

 そのボールを俺は足で防ぐ。

 その時だった。


「おい、また足元がお留守だぞ」


 東が俺めがけて滑り込んできた。

 そして俺の膝に、彼のスパイクが思いきりめり込む。


「っ!!?」


 俺は激痛に耐えかねてうずくまる。


 しかしボールの行方をと前を見た時、東が俺に手を差し伸べてきた。


「ごめんごめん、サッカーじゃよくあることだけどさ。うまくよけてくれないとこっちも困るよ」


 実に爽やかに、清々しくも卑しい笑みを浮かべる。


「お、お前……」

「ほらほら、あと一点取ったら勝ちなんだから。ほい、ボール」


 ころころと。ボールが俺のところに来たので立ち上がろうとするが激痛で立てない。

 やっぱり膝は万全じゃなかった。

 ただ、使ってなかったので傷みが緩和していただけの事。

 そしてわかる。さっきの蹴りで完全に膝の怪我は再発した。


 ……東の目的はこれだったというわけだ。


 全くあの頃の反省が生きていない。

 あんなクズを信用して勝負を引き受けて、加えてボールを渡すなどという恩情まで施してしまった。


 こんな甘ちゃんだからまたこんな羽目に合うんだ。


 そう考えると自分が嫌になる。


「あれ、ボール蹴らないの?それならもらうぜー」


 そこからは、全く足が言うことをきかずに東に何度もゴールを決められた。

 もうボロボロだった。

 

 あっという間に向こうも九点。ついに同点になった。


「はい、ボール。最後だから悔いなくやろうぜ」


 東の顔は、勝ったと言わんばかりの満足そうなものだった。

 他の連中もヘラヘラと同じような気持ちの悪い笑い方で俺を見る。


 周りの人間はというと、俺の心配をする声とゲームが面白くなってきて盛り上がる声が半分半分。

 

 ただ、天使だけはじっと俺を睨んだまま無言だ。


 

 ……最後だ。

 多分、ボールをろくに蹴ることもできずに東にとられて負ける。

 そんな弱気が俺を襲った時、声がした。


「おい!もう遊園地のチケット買ったんだから無駄にすんな!」


 天使が。顔を真っ赤にして叫んでいた。

 

 何事かと皆が彼女の方を見た。

 その瞬間、俺は思いきりボールを蹴った。

 ボールをとらえた瞬間、足がちぎれたのではないかと思うほどの激痛が走り、俺はその場に倒れ込んだ。


「あっ!」


 と東たちが振り返った時には、ボールがネットを揺らしていた。

 それを見届けた後、俺は痛みで気を失った。


 


 目が覚めたら保健室だった。


 ずきずきと、足の痛みがさっきの試合が夢ではなかったと教えてくれる。


 あー、終わった。

 

 色々と、全部が終わった。 

 サッカーも、多分これで二度とできないだろう。

 自分の体だからよくわかる。膝から下の感覚がほとんどない。

 そのくせに、傷の部分の痛みだけははっきりわかる。


 ……もうやめるって決めてたけど、それでもきついな。


 誰もいない保健室のベッドで、体を起こしてから自分の足を見た。

 すると


「お、起きたんだ」


 天使が部屋に入ってきた。

 息を切らして、手には濡れたタオルを持っている。


「いきなり気絶したから心配したわよ……」

「すまん。痛みで死にそうだった」

「今は?」

「まだ痛い。でも、まぁ」

「そっか」


 俯いて。手に持っていたタオルを机に置いて、彼女は俺の傍に来た。

 そして目線を合わせるように傍の椅子に腰かけると、俺の方を泣きそうな顔で見てくる。


「あんたもバカだね、こんなくだらない勝負で怪我なんかして」

「いいよ。それより東は?」

「暴れ出して何人か殴って先生に警察呼ばれた。もうダメね彼」

「……俺ももうダメだよ」


 決別するはずだった。

 いや、したはずだったのに。


 もう足が言うことをきかないと自覚すると悔しさと悲しさが一気に俺に押し寄せてきた。


 しかし天使の前で泣くまいと、必死にこらえていると彼女が


「泣きなよ」


 と言った。


 それがとどめだ。

 俺は泣いた。

 大声を出して、天使にすがるようにして泣いた。


 多分、強がっていたもののサッカーは好きだったんだ。

 それに最近、綴さんたちのおかげで嫌いだったサッカーをまた好きになれそうになっていた。


 もうそれを失うのが怖くて、だから現役復帰はやめようと思っただけで。

 できなくなるとは意味が違う。


 だから悔しかった。


 でも、わめきながら泣くみっともない俺を天使は優しく、何も言わず見守ってくれた。


「ぐっ、ううっ……」

「さっきの。かっこよかったよ」

「す、すまん……」

「ほら、鼻水。それより遊園地、その足でいける?」

「……行ぐ」

「うん、じゃあ今日はゆっくり休も」


 いつになく優しい天使に、俺は甘えた。

 傷だらけの彼女の腕の中は。

 とても心地よくて温かかった。

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