第43話 天使の期待

 天使と手をつないだ時のことを一人になると思い出してしまう。

 多分俺って女々しい男なんだと思う。


 恋愛なんてろくにしてこなかったし、学生の間はサッカーに集中して、適当に寄ってくる女の子と遊んでいればいいやなんて、随分とかっこいいことを考えていたせいで真面目に誰かを好きになったことなんてなかった。


 でも、今は天使のことを考えると少し胸が苦しい。

 これが、人を好きになるって感覚なのかな……


 はぁ……こんなところを天使には見せられないな。

 毎日ずっと、あいつとつないだ自分の手を見て天使の顔を思い出すとか、マジでかっこ悪い……



 学校では今日も東が元気に暴れている。

 俺にはっきりと拒絶されたことで機嫌が悪いのか、他の連中に対して当たり散らかしている。


「おい、お前ジュース買ってくるの遅いんだよ」

「ごめん東君、自販機が混んでて」

「うっせー言い訳すんな!お前ら誰のおかげで学校通えてると思ってんだよ!」


 聞けば聞くほど聞き苦しい話だ。

 この学校がこうして運営されていることに東自身の成果など一個もない。

 それどころかむしろお前のせいで評判を下げかねないレベルですらあるというのに、なぜそこまで堂々と、親の功績を自分の事のように威張れるのか。


 ほんと、平和な頭をしている。


「朝からうるさいわねあのぼんくら息子」


 天使が隣でぽそりと呟いた。

 片肘をついてつまらなさそうに語る彼女は、軽蔑するような目で東を見つめている。


「ああ、あいつは金持ちだから庶民の感覚とずれてるんだろ」

「金持ちもあんなのと一緒にされたら困るわよ。誰かさんがぎゃふんと言わしてくれたら少しは大人しくなるかもだけど」


 言うと同時にチラッと俺の方に視線を移す。

 俺に何かを期待している様子だが、それは無駄というもの。


 筒井の時は成り行きだったけど、さすがに何度も校内で目立つようなことを率先してやるほど俺もバカではない。

 ああいう輩とは極力関わらないのが賢い選択。生きていくうえで最良の行動なのだと俺は思っている。


 しかし俺がいくらそう思っていても向こうから近づいてくる分にはどうしようもない。

 逃げ場のない学校という狭い箱庭の中に詰め込まれた俺たちは、関わる人間も選べないということだ。


「おい工藤、この前は随分とエラそうなセリフ吐いてくれたな!」


 教室に東が入ってきた。

 頼むから昼休みくらいは静かにさせてほしいと願ったがそれも無駄。

 結局こいつは俺を痛めつけないと気が済まないらしい。


「部活に戻る根性もない奴が俺にナマいってんじゃねえよ!」

「……どうしろって言うんだよ」

「俺に蹲え。あの時みたいに地面にのたうち回ってな!」


 笑えと号令でもあったかのように、東が言い切った瞬間に取り巻きがドッと笑う。

 さすがにイライラするが、隣の天使が今にもエンゼルパンチを繰り出しそうなので場所を変えることにする。


「ちょっと、廊下にこい」

「命令すんな。殺すぞ」


 じゃあ殺してみろよ、と言いかけてやめたのはその場で大乱闘が勃発しそうだととっさに感じたから。

 廊下に出ると、イライラする東が俺に対して聞いてくる。


「なぁ。お前天使と付き合ってんだろ?」

「付き合ってない。何回もおんなじこと聞くな」

「嘘つけよ。みんな言ってるぜ」

「じゃあみんなが勘違いしてんだ」

「それなら、俺があいつをどうしてもお前には関係ないんだな?」

「どうにかできるならしてみろ。またボコボコにされるのがオチだよ」


 言いながら少し笑ってしまい、東はカッとなる。


「バカにすんなや!」

「してない。で、話は終わりか?」

「お前がチヤホヤされてるのはむかつくんだよ。だからさ、俺とサッカーで勝負しろや」

「……」


 結局こいつの発想も筒井と同レベルというわけか。

 サッカーで俺に勝ってかっこ悪いところを皆に見せつけてしまえばそれで満足という実に短絡的な話を東は嬉しそうに続ける。


「前はへたくそばっかりだったけど俺は違う。なんなら一対一でもいい」

「条件は前と同じでいい。人選も好きにしろ」

「……後悔させてやるからな」

「で、負けたらどうしてくれるんだ?」

「二度とお前らには関わらないでいてやる。その代わりお前が負けたら天使とは二度と喋るな。いいな」

「……勝手にしろ」


 俺が勝負を引き受けたところで東はようやくおさまった。

 しかし、今度は矛先が天使に向く。

 東がまた教室に戻ると天使のところに行き、毒を吐く。


「おい天使様、お前の彼氏さんと勝負するからよろしく」

「誰それ、私彼氏なんていない」

「揃いも揃ってうざいなお前ら。ていうかあいつ負けたら俺と付き合えよ」

「誰か知らないけどあなたみたいなへたくそに負けるような人とは付き合わないから心配しないで」

「ああ!?」


 また東が暴れそうになるところを周りが必死に止めていた。

 もうここまでくればあいつは病気だ。


 多分サッカーでそれなりの成績を残して大学に行けたとしても、社会に出て色々と踏み外すだろう。

 教育は金だとか言うやつもいるけど、例外だってあるといういい例だ。


 こんな騒動に巻き込まれたせいで貴重な昼休みがつぶれてしまった。

 しかし午後の授業が始まってもまだクラスメイトは落ち着きを取り戻さない。


 皆が俺を見ている。

 何か期待するようにこっちを見ているのがよくわかる。


 ……また、サッカーをやるのか。

 もう何度目だ。いい加減俺はサッカーを卒業したいというかやめたいのに、なぜ周りは俺にサッカーをさせたがる。


 いや、これで最後だ。

 東に勝っても負けてもこれで俺が真剣にボールを蹴るのは最後。


 そう決めたところで放課後、使い魔みたいなやつが俺に東との勝負内容と日時について伝えに来た。


 勝負は明日の放課後。

 学校のグラウンドではなく、隣接するフットサルコートで正式に試合をするという。


 もっともらしい案内ではあったが、一対五の不公平な試合に何の意味があるのか俺にはさっぱりだ。

 ……まぁ、あいつらの考えることなんてわかるわけないか。


「それで、なんで勝負なんか受けたの?」

 

 帰り道。天使が不思議そうに隣で尋ねてくる。


「別に。いい加減絡まれるのが嫌だからな」

「勝ったら縁が切れるってことなのね。で、負けたら?」

「……お前と縁を切れ、だとさ」

「何それ、ほんと意味わかんないわねあいつ」


 平然とした様子の天使を見ると少し不安になる。

 こいつは、もし万が一俺が東に負けてしまって、本当に関わることができなくなったとしても何とも思わないのだろうか。


 天使は強いから、俺がいなくても生きていけるだろう。

 それに天使は綺麗だから、俺よりももっと立派な人間に好意を持ってもらえるだろう。

 天使は何でもできるから、きっと誰からも必要とされていつの日か遠いところに行ってしまうような、そんな存在になるだろう。


 でも、それでも俺は天使に必要とされたいし、これからも関わっていきたい。

 ……天使も、そう思ってくれていたら嬉しいけど。


「なによ浮かない顔して」

「……なぁ、もし俺が負けたらどうする」

「あんなのに負けるやつなんて知らない。言われた通り縁を切ろうかしら」

「はは、厳しいな」

「嘘よ……」

「え?」

「あーもう、あんなのギタンギタンにしてやってよ!負けたら許さないからね!」


 騒ぐなよ、となだめながらも天使の顔を見ると自然と口数が減る。


 なんて悲しそうな顔してるんだよ……


「おい、お前」

「……ってあげる」

「は?」

「勝ったら。遊園地に連れてってあげる。それが今回の報酬よ」

「……お前が行きたいだけだろ」

「うっさい私と行くのがそんなに嫌なの?」

「……いや、行きたい」

「そ、そう。なら仕方ないから連れてってやる。だから勝て」

「ああ」

「約束、だからね……」

「ああ……」


 男って単純な生き物だよな。

 さっきまで死ぬほど嫌だった東との対決が、今では早く来ないかと待ち遠しくなってすらいる。


 勝ったら天使と遊園地、か。


 絶対に勝たないと、だな。


 


 

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