第36話 天使は待っている

 休日になった。

 今日は綴さんとの約束の日。


 朝から準備をしていると天使が、朝食のパンをもってやってきた。


「随分おしゃれするんだ」

「べ、別にただ私服着てるだけだよ」

「私の時よりおしゃれだ」

「は?」

「いい。それより告白されたら飯、奢れし」


 天使は不機嫌そうに自分で持ってきたパンをかじると、勝手に人の家のインスタントコーヒーを作って飲んでいた。


「朝から遊園地とか、まじ大学生って暇でいいわね」

「今日は土曜日だから大学生は関係ないだろ。それに彼女は日曜日もバイトしてるんだし」

「えらく庇うんだ。ふーん」

「……それよりお前、バイトしなくていいのか?」

「やばい、そろそろ」

「じゃあ綴さんに聞いてみてやるよ。どこかコンビニあったら紹介してもらうし」

「……」


 またパンを噛み千切るようにムシャッと食べる天使は、コーヒーをずずずと飲み干してさっさと部屋に帰っていった。


 寝起きのせいか?それとも金欠でイライラしてるのか。


 とにかく今日は休みだからあいつも家にいるだろう。


 そう思って俺が外に出たら玄関の前に天使が立っていた。


「うわっ、なんだよ」

「テレビ、貸して」

「は?」

「暇なのよ。テレビ見たいから貸して」

「……ケーブルがめんどくさいから勝手に見てろよ」


 俺は戸締りの為に取り出していた鍵を天使に渡す。


「……いいの?」

「いいよ、合鍵あるし。それに貴重品なんてないからな」

「泥棒みたいに言わないでよ」

「でも、買い物行く時はカギ閉めといてくれ。じゃあな」


 俺は天使に見送られる形で綴さんとの待ち合わせ場所に急ぐ。


 コンビニの前で、綴さんは煙草をふかしながら待っていた。


「あ、お疲れ様です」

「あら、早かったんだね。煙草吸ってるとこ見られちゃった」

「別にいいですよ。でも、店で怒られないんですか?」

「あはは、仕事中だとさすがにやばいけど今日はね。ちょっと落ち着かなくて」


 相変わらず綺麗と可愛いのいいとこどりをしたような見た目で、私服も何気ないジーンズとシャツなのにこの人が着ると映える。


 早速駅に向かい、電車で遊園地を目指すことにした。


「天使ちゃん、怒ってなかった?」

「天使?なんか機嫌悪そうだったけどどうしてですか?」

「彼女も苦労するなぁ……ま、私もだけど」

「え?」

「なんでもなーい。それより、どこ回ろっか」


 カバンからパンフレットを取り出し、嬉しそうに隣の俺に見せてくる。

 こういうところ、本当に年上っぽくないよな。


 ……いや、女子っていうのはそういうものか。

 俺が単に遊園地に興味が薄いだけで、世間の大学生なんてみんなそんなもの。


 そうじゃなければテーマパークにあれほどの人が押し寄せて行列を作ることなんてないわけだし。


「工藤君、顔が暗いよ?せっかくなんだから楽しもうよ」

「まだ到着してませんから」

「こういうのは入る前が一番ワクワクするんだよ?」

「そう、ですね」


 ふと。今俺の部屋でテレビを見てるであろう天使の事が気になった。

 あいつも、同世代の女子みたいに遊園地とか行きたがるのだろうか?


 ……ないな。

 やれ喫煙所がないとか、酒が高いとか文句ばかり言ってそうだ。


 まぁ、俺とあいつが遊園地に行こうなんて話になるわけもないが。



 しばらくすると、遊園地の最寄り駅に到着。

 ここで大勢の乗客が降りていく。大半が遊園地の客だろう。


「人多いねー。でも楽しみ!」

「結構近くなんですね。大学生とか多そう」

「私は結構友達と行くよ。工藤君も……ごめんなんでもない」

「なんですかその気になる感じは」

「いいのいいの。それより早く行こ!」


 自然に俺の手をとって、引っ張るように電車を降りて行く彼女はまるで子供のように楽しそうにしている。


 なんか、この人といると日常を忘れられるというか童心に帰れるというか。


 たまにはこういうのもいいかな。


「ほらほら、見えてきたよ!入ろ入ろ」


 隣町にあるテーマパークには休日ということもあり多くの客が押し寄せていた。


 俺は正直人混みは好きじゃないのだが、綴さんは有無も言わさずに中に入り勝手にアトラクションに並び出す。


「三十分待ちだって。どうする?」

「別に待ちましょうよ。全部なるわけじゃないんだし」

「じゃあ待ってる間に写真いいかな?」

「ええ。是非撮りましょう」


 彼女の携帯で。前に並んでいた人に頼んで一枚写真を撮ってもらった。


 多分、この人らから見たら綴さんと俺はカップルのように見えたに違いない。


「あはは、工藤くんの顔変だよ」

「笑顔って難しいんですよ。昔から苦手で」

「ふーん」


 実際、少し緊張しているというのもあるがやはり作り笑顔というのは難しいもの。


 本気で楽しい時とか嬉しい時に自然と溢れる笑みというもの以外に、無理に笑うなんてどこかしんどい。


 もちろん今こうして綴さんといることは楽しいのだけど、こうして来てみてわかったことが一つある。


 ……天使が気になって仕方がない。

 あいつが今何してるか、ちゃんと昼飯食べたのか、もう部屋に帰ったか。


 そんなことばかり気にしてしまうのだから俺は本当に失礼極まりない男である。


 ……でも、今はせっかくの好意だし楽しむこととしよう。


「ここのジェットコースターやばいよー。工藤君は高いのとか平気?」

「まぁ苦手ではないですけど」

「私はちょっと怖いんだ」

「じゃあやめときます?」

「……こうしてていい、かな?」


 列に並んでいる俺の後ろから、俺の手をキュッと綴さんが握る。


「え、あっ……」

「ちょっとだけ、ね?」

「……」


 遠慮気味に、軽く俺の手を掴む彼女の手は柔らかくて小さい。


 彼女を見ると、頬をぽりぽりとしながら顔を赤くしている。

 そんな姿を見るとこっちまで照れくさくなってしまう。


 やがて、手を繋いだままジェットコースターの席に案内される。

 その時も、ずっと俺の手を握ったままの彼女は横で「離さないでね」と呟いた。


 ガタガタと、静かに俺たちは高い場所まで上げられて静かに落ちて行く。


 他の客の悲鳴と共に、隣で綴さんもきゃーっと大きな声をあげていた。


 その時、さっきまでフワッと繋がれた手にぎゅっと力を込められた。


 俺は、そっちの方に気を取られて全くスリルも景色も楽しむことはなかった。



「はぁー、怖かったねー!」

「気持ちよかったですよ」

「工藤くんってほんとクールだよねー、でもたまには騒いだりしないの?」


 今、ジェットコースターを降りた後、二人で飲み物を買ってベンチで休んでいる。


 普段から騒ぐことに慣れていない俺はずっとこんな感じ。

 それがいいことではないとわかっているけれども、なかなか綴さんみたいに子供っぽくはしゃぐことは難しい。


「……まぁ、高校上がってから根暗生活長かったし」

「天使ちゃんといる時もずっとこんな感じなの?」

「ま、まぁそうですね。あいつに気をつかう必要なんてないんで」

「へぇー、仲良いんだねやっぱり」

「なんでですか。あいつとは同級生なだけですよ」

「ふーん」


 天使もそうだけど、女子がたまに使うふーんという言葉は一体どういう意味があるのだろう。


 口を尖らせて、少しつまらなさそうにする綴さんは立ち上がると俺に次のアトラクションへ行こうと声をかけてきた。


「まだまだこれからだよ。今日は目一杯私に付き合ってね」

「今日って俺へのお返しじゃなかったですっけ?」

「もー、細かいこと気にしないの!いいじゃんパーっとやったら」

「そう、ですね。じゃあ次に、いきますか。」


 再び、彼女とアトラクションの列に並ぶ。

 今度もまた絶叫系だ。


 彼女はまた、俺の手を握る。

 それを俺は静かに受け入れる。


 少しだけ、胸の辺りが熱くなった気がしたが多分それは彼女がいたこともない俺が、女性に不慣れだから緊張しているのだろう。

 

 そう、思うことにした。



「楽しかったねー、ほんと」

「まぁ、色々と回れてよかったですよ」

「じゃあ帰ろっか」


 夕方になり、俺と綴さんは遊園地を出た。

 帰ったらもう夕飯時だ。


「今日はありがとうございました。なんか色々奢ってもらったし」

「いいのいいの、ほんとは私のわがままだったし付き合ってくれてありがとね」


 電車の中で、今日のことを振り返りながら笑う綴さんはお土産売り場で買ったキーホルダーを見ながら嬉しそうに笑う。


「なんかさー、私こういうの憧れてたんだ。ほら、前の彼氏なんてずっと家でゴロゴロしてるだけだし全然恋人っぽいこととかもしてくれなかったし」

「別に俺も恋人っぽいことはできてませんよ」

「あ、ごめんそういうわけじゃないんだけど……ま、まぁとにかく男の子とこういうことしてみたかったのよ」


 綴さんの過去の話は以前聞いたことがある。

 しかし、こうして話を聞いているとよほどひどかったのだろう。


 まぁ、その傷を俺みたいなやつで癒せるというのならお安い御用だ。

 お世話になっていることへの恩返しが出来たかなと思うと少し気が軽くなる。


 やがて自分たちの街に帰って来た時、ふと天使のことを思い出す。


「あ、そういえばですけど天使がバイト探してるんでどこかあれば紹介してくれませんか?」

「あの子が?そうだねぇ」


 うーんと綴さんが悩んで見せたあと、あっと声を上げてから


「うちで働いたら?」


 と言った。


「綴さんのとこのコンビニですか?」

「そうそう、ちょうど募集してたしどうかな?私が色々教えてあげるよー」

「まぁここなら安心かもですね。早速聞いてみます」

「あ、工藤君それとね」

「は、はい」

「……ううん、なんでもない。天使ちゃんには、よろしくね」


 最後に、少し作ったような顔で笑う彼女はそのままコンビニの裏手に消えていった。


 ともあれ、色々とあったけどストレス解消にはなったようで少し気が楽になった。

 綴さんといると楽しい、というより俺がこんな調子でも勝手に向こうが盛り上げてくれて気が楽だ。


 あの人が同級生とかだったら、もしかしたら惚れてたかもななんて思って部屋に帰ると、まだ天使がテレビを見ていた。


「おかえり、遅かったわね」

「た、ただいま……お前、まだいたのかよ」

「それより、告白された?」


 ギロッと睨むように俺を見ながら天使が聞いてくる。


「されてないよ。あるわけないだろ」

「でも手は握られたでしょ」

「え、いやそれはだな……」

「ほら、されたんだ。飯おごれ」

「いやいやそれは約束が」

「奢れ、じゃないと出て行かない」


 立て篭もってやると言わんばかりに、天使は俺のベッドに深く腰掛ける。

 結局、どうあっても俺が飯を奢る羽目になるというわけか。


「……ラーメンでいいか?」

「駅前の屋台がいい。おでん食べたいし」

「ほんとおっさんだよなお前の好みって」

「ふんっ、どーせあんたは女の子っぽい人が好みなんでしょ」


 なんの話だよと、プイッとする天使に声をかけたが無視された。


 この日の天使は朝からずっと機嫌が悪い。


 部屋を出て駅前に着いたが、屋台の前でもまだ天使は不機嫌そうだ。


「コンビニギャルの手はどうだった?」

「別に。高いところにいたときにちょっと握られたくらいだよ」

「チャラ男め」

「なんでだよ。それよりラーメン頼まないのか?」

「大盛りにして」


 最後までイライラしている天使に付き合うように大盛りを二杯頼んで静かに並んでラーメンを待つ。


 その時天使が隣で、小さな声で


「もっと早く帰ってこいよ……」

  

 と呟いたのが聞こえた。

 

 多分独り言だったのだろう。

 だから俺は敢えて反応はしなかった。


 ただ、それが誰に向けられた言葉なのかくらいは俺にだってわかる。


 天使は俺を待ってくれていた、のか?


 そう思うと、少しだけ申し訳ない気分になると同時に彼女に何か埋め合わせしないといけないような気持ちになる。


「……帰り、コンビニでも寄るか?」

「じゃあ、デザート奢って」

「太っても知らんぞ」

「あんたは細いギャルが好きなんだよね、はいはい」

「だからなんの話だよ」

「知らない」

 

 結局天使の機嫌がよくなることはなかったが、大盛りのラーメンを必死で食べる彼女を見て少し和んだ。


 やっぱり、遊園地とかよりもこんな方が俺は落ち着く、かな。


 

 


 

 

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