第35話 天使様の立場

 昨日はご機嫌斜めだった天使様だが、翌朝は普段通り俺の部屋にやってくる。


「おはよう」

「ああ、今日も一緒に行くか?」

「……あなたはそれでいいの?」

「今更だな。別にいいよ」


 この期に及んで遠慮してるのか?

 と思ったがそういう意味ではなかったようだ。


 天使と一緒に学校に行くと、まるで俺と天使の立場がそっくり入れ替わったかのように、俺に大勢の人間が群がってきた。


「工藤君、昨日の見たよ!すげーな、まじぱねぇ!」

「かっこよすぎっしょ。なんでサッカーしないの?」

「工藤君こっち向いてー!」


 なんだこれは。

 昨日まで俺の事なんてゴミのように見下していたやつらが俺を崇めるように押し寄せてくる。


 ここまで気持ちの悪い光景だとは、いざ自分が体験してみないとわからないもので、こんな空間にずっと天使はいたのかと思うとゾッとしない。


「ちょ、ちょっと退いてくれ」


 俺はそいつらを振り払って校舎裏に逃げた。


 そして気づくと天使を一人で置いてきてしまった。


 ……まずかったかな。

 そう思いながらも騒ぎのおさまらない校庭に出る勇気もなく一人で階段に座り込んでいると天使がトボトボとやってくる。


「あー、工藤様だー」

 

 と、わざとらしく声をうわずらせて俺をからかってくる。


「やめろ気持ち悪い」

「はは、まじあいつらのキモさ半端ないでしょ」

「ああ、身に染みた……」

「でも、嫌われ者よりはいいんじゃない?」


 俺の隣に腰かけながら、天使は空を見上げるようにしてぽつり。


「これなら嫌われてる方が、気楽だよ」

「でも、今なら人気者の工藤遊馬に戻れるのよ?」


 また。煙草でもふかしているようにフーっと深い息を吐きながら彼女は呟く。

 人気者の工藤遊馬。あの頃の、俺……


「……」

「ほら、未練はあるでしょ?私だって天使様だった自分に一切未練がないかと言われたら嘘。やっぱり優越感に浸るって気持ちいいもの。でも、私はもう無理だから諦めてるだけ。あんたは今、あっち側にいくことができるのよ」


 私さえ見捨てればね。と最後に彼女は付け加えた。


 その余計な、本当に余計な一言がなければ俺はそうしていたかもしれない。

 ただ、その邪魔な言葉が俺に不毛な選択をさせる。


「じゃあいい。このままで」

「……なんで、なの」

「もう騒がれるのはしんどいから」

「それだけ?」


 実に悲しそうな、風の音で消えてしまいそうな小さな声で、天使はこっちを見ながら尋ねる。


 それだけか、と聞かれればそうじゃないのが本音。

 お前を見捨てるつもりがないのだと、一言そういえばいいだけのことのはず。


 ただ、言葉が続かない。


「……まぁ」

「あ、そ。別にいいけど」


 実につまらなさそうな声でそう答えた後、彼女は立ちあがり「さっさと教室いくわよ」と俺を睨むようにして言った。


 ほんと、人の事は言えないな。

 いつになったら俺は素直になれるのだろうか。


 天使の昨日の予想は当たり、俺は学校ですっかり「工藤様」になってしまった。


 元々サッカーの名門校であるこの学校に来る生徒は、サッカーに興味のある連中が多いようで俺のプレーはあまりに衝撃的だったようだ。


 謙遜するわけではないが、あれでも全盛期とはくらべものにならないくらい俺の動きは悪かったのだし、多分筒井たちの下手さ加減がより一層俺のプレーを引き立ててくれたのだろうがそんなことを誰に話したところで騒ぎは収まらない。


 休み時間はずっと寝たふりを決めていたが、それでもわーわーと俺の名前が教室中に飛び交っているのが自然と耳に入る。


 中学の時は、こんな光景を見てひとりでほくそ笑んでいたというのに。一年もあれば人間って変わるものなんだな。


 それでもすっかり空気になった天使は気楽そうに本を読んでいたのでそれだけが救いとも言える。


 あの頃の天使様の状況を追体験するかのような一日はめまぐるしく過ぎていき、俺が解放されたのは放課後を過ぎてしばらく経ってからだった。


「あー疲れた……」


 天使は放課後すぐにどこかに消えていくのが見えたが、俺はすぐにクラスの連中に囲まれて追うことができなかった。


 一人でアパートにつくと、天使がまた階段の前でうろうろしていた。


「何やってんだお前」

「な、なんでもない。それより、早かったわね」


 後ろに手を組んで、天使は何か言いたそうにソワソワしているのが見て取れる。


「なんか用か?」

「あのさ、土曜日遊園地行くんでしょ?」

「ああ。せっかくの誘いだし断る理由がな」

「断る理由、か。ねぇ、もし私がその日遊園地に行きたいって言ったら、どうする?」


 何か苦いものでも噛んだような、そんな複雑そうな顔をして天使は俺に尋ねてくる。


「な、なんの話だ?」

「もしもの話よ。あんたがどれだけあの女の事を本気か試してるの」

「……いざそうならないとわからん」

「ふーん」


 なんだよその反応は。

 もしかして、綴さんに嫉妬してるのか?


 ……いや、こいつに限ってそれはないか。


「ま、行って来たらいいわよ。それではっきり気持ち確かめてきたら」

「俺はそんなんじゃないって」

「でも、向こうに告白されるかもね」

「そうなったら飯奢ってやるよ、賭けてもいい」


 そうだ、俺が彼女に告白されるなんてことはまずありえない。

 

「とにかく。礼をきちんと受けるだけだよ」

「そっか」


 どことなく明るい表情を浮かべた気がした天使は、返事をした後階段を昇りだして途中でこっちを向く。


「お腹空いてるでしょ。今日もカレーだから」

「あ、ああ。でも昨日のは辛かったぞ」

「そう思うのなら自分の胸に手を当てて見なさいよバカ」

「は?」

「さっさとして。虫が多いのよここ」


 さっさとあがっていく彼女は自分の部屋に戻って、すぐに俺の部屋に鍋を持ってくる。


 今日のカレーはとてもうまかった。

 そして今日は天使が食事の時によく笑っていた気がする。


 ……綴さんと天使の約束が被ったらどうするか、か。

 

 こんな言い方すると綴さんに失礼だけどさ。


 俺は断って天使のところに行くんだろうな、多分。

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