第30話 天使の気遣い
天使が騒ぎを起こした大学の文化祭は盛況で、俺たちが帰る時にも多くの人が次々と出入りしていた。
綴さん達に挨拶を済ませてから、二人で大学を後にする時に天使がもう一つだけどら焼きを買っていた。
「お前、本当に好きなんだな」
「甘いものは嫌いじゃないし。それに禁煙したら食欲がね」
「将来、お前の方こそ太るぞ」
「別にあんたに関係ないっしょ」
と言いながら、天使はどら焼きをかじりながら歩いている。
帰ったらもう夜だ。
明日も休みだけど、これからどうしようか。
「さっさと帰ってゆっくりしたいわね。疲れたし」
「あんな無茶苦茶なことするからだよ」
「あれはあれでスッキリしたから。まぁ、ギターとか反吐が出るくらい下手くそだったけど」
「……」
歌のことを話す時の天使の顔は、心なしか生き生きしているように見える。
やっぱり歌が好きなんだなと思わせると共に、誰かにつけられた傷のせいで夢を諦めなくてはならないという理不尽な境遇がまるで誰かさんとそっくりだと思えて仕方ない。
帰りの電車に乗った時、俺は天使に質問する。
「……なぁ。もし体の傷が目立たなくなったらもう一回音楽やってみたいとか思うか?」
「逆に聞くけど、あんたこそ足治ったらあのサッカー部に戻るの?」
「……それは、まだなんとも言えんな」
「じゃあ私も一緒。でもこんな体だとやっぱり人前に立つような仕事は自信ない、かな」
そう言って。天使はまた腕のあたりをみる。
いつも長袖を着ている彼女の腕や体には無数の傷。
彼女自身それをずっと背負って生きていかないと覚悟はしているのだろう。
ただ、やっぱり少し悲しそうな目をしている。
何か言ってやれることは……いや、俺が言いたいことがあるはず、だ。
ただ。その言葉を探す前に天使が言う。
「……あんたは気にしないんでしょ?」
「ま、まぁそうだな。俺は別に、気にしない」
「はは。でもあんたみたいな物好きは珍しいから、やっぱり却下ね。普通の人が見たらドン引きするもの」
「俺が普通じゃないみたいな言い方するな」
「特別よ、あんたは……」
最後に、小さな声で天使が何か言ったが俺は聞き取れなかった。
やがて、俺たちはアパートの最寄駅まで帰ってきた。
「やれやれ、着いたな」
「お腹空いたわね。工藤君は?」
「俺も。ていうかどら焼き食べてまだ食うのか?」
「別腹よ。じゃあ何かコンビニで買って帰りましょ」
二人でいつものコンビニに寄り、適当に買い物を済ませてからアパートに着くと彼女は自然と俺の部屋にくる。
「なんだ、話でもあるのか?」
「テレビ見せてほしいのよ。食べてる間退屈だし」
「ああ。好きに使えよ」
今日はずっと一緒だ。
まぁ、学校がある時でもある意味では四六時中一緒ではあるけど、こうして一日中こいつと話しているのは初めてかもしれない。
でも、なんだろうな。
以前ならこんな状況鬱陶しくて仕方なかったのに。
今は少し落ち着く。
「お湯、沸かすけどいい?」
「ああ、勝手に使えよ」
もう。こいつと俺の関係はただの隣人の枠は超えている。
でも天使と、これから俺はどんな付き合い方をしていくのだろう。
「コーヒー、あんたも飲む?」
「ココアにしてほしい」
「口がお子様ねほんと。まぁいいわよ」
煙草や酒、なんでものを抜いても天使は随分と大人だ。
俺なんてスポーツだけを親の過保護の中で真っ直ぐやってきただけ。それに比べて天使はその間もずっと一人で……
なにもそっくりなんかじゃない。
俺と天使はあまりにも、違いすぎる。
あいつは俺といることを良しとしてくれているが、果たして俺なんかが、あいつに相応しい人間なのか。
天使といればいるほど、俺は自分に自信がなくなってしまう。
「はぁ……」
「ため息なんかついたら幸せが逃げるわよ」
「それなら、俺の幸せなんてとっくに枯れてるよ」
「まぁ、それもそうかも。幸せがそんなもので得られるなら苦労しないし」
天使は俺にココアを出してくれて、自らのコーヒーを飲みながら熱そうに舌を出す。
「あっち」
「お前も舌が子供じゃんか」
「猫舌なだけよ。それよか、チョコとかないの?」
「あるぞ。そこの棚に」
結局。天使は俺の部屋でくつろぐだけくつろいで夜遅くに部屋に帰っていった。
文化祭で疲れたのか、俺もそのまま眠ってしまい風呂に入ったのは翌朝になってから。
まぁ、たまには朝風呂というのも悪くはなく一人でくつろぎながら天井を見上げていると玄関をノックする音がする。
……今日はなんの用だ。
朝っぱらからの天使様の訪問に、急いで風呂からあがる。
そして玄関をかあけると、そこには天使様ではなく渋いおじさんがスーツ姿で立っていた。
「……あなた、理事長?」
「工藤遊馬君だね。突然お邪魔して申し訳ない」
まさかの来客は東理事長。そう、あのにっくき東和久の実の父であり俺たちの通う学園の経営者だ。
「どうぞ」
と。彼を部屋にあげてからコーヒーを出す。
ただ、あまりに予想外の出来事に俺は思考がまとまらない。
「……なんの用ですか?」
「わかっているとは思うが、まずは謝罪させてほしい。息子の件は本当に申し訳なかった」
さぞ高かったであろうスーツに身を包んだ大人が、俺に対して俺の前で土下座をした。
「ちょっと、やめてください……」
「息子が、まさかそんな酷いことをするとは思わなかったのだ。しかし、君のファンから私の自宅宛にこんなものが届いてな」
そう言って彼の差し出す携帯を見せられると、そこには俺が怪我をした瞬間の映像が鮮明に映し出されていた。
見た瞬間、俺は心が沸騰しそうだった。
してやったりの顔で俺に滑り込む東の顔が、俺の中の殺意的な何かを駆り立てる。
「……」
「す、すまない急にこんなものを見せて。だが、これでは息子は終わりだ。だから今は謹慎させている」
「話が見えません。ただ、謝罪にきたのですか?」
「……息子と、和解してはくれぬだろうか」
正座のまま、俺を見上げるようにその男は言う。
和解。つまり、あの男と仲直りしろとそう告げた。
「……それは、聞けません」
「君の気持ちはわかる。大変失礼なことをお願いしているとも承知はしている。ただ、息子にも未来がある。だから君さえ許してくれればそれで」
「少し黙ってもらえますか……」
俺は。彼の言葉を遮った。
要するに、ただ自分達の身が可愛くて仕方ないという、そんな話だった。
言いたいことがなんとなく伝わってきて、吐き気を覚えると共に目の前の中年の顔面を蹴り砕いてやりたくなっていたその時、鍵の開いていた玄関から天使が入ってきた。
「あんた、さっきからノックしてるのに……ってその人」
「君は、天使君かね?そうか、君たちはそういう仲だったのか」
息子のことすらろくに見ていなかった、いや、見て見ぬふりだったのかもしれないがそんな理事長でも天使のことは知っているようだ。
まぁ、さすがに学校一の有名人であり愛息を殴り飛ばしたやつだから知ってて当然ではあるか。
「工藤君。君が息子と仲直りさえしてくれれば彼女の停学も明日にでも解く。それに学費だって構わない。頼む、君の気持ちはわかるがなんとか」
「おいおっさん」
と。俺が歯を食いしばっている時に天使が割り込む。
その顔は、いつぞやの時と同じように怒りに満ちているようだった。
「おっさん。話がよく見えないけど、なんで工藤君があんたのボロ息子と仲直りしないとなの?どーせあいつの悪事が世間にバレて息子もろとも失墜するのがいやなんでしょ?ふざけんなクズ、帰れよ」
天使は吐き捨てるように言った。
その時、理事長は下を向いて震えていた。
当然だ。自分の息子と同級生の若造に学校を経営する理事長がこうもボロクソに言われて怒らないわけがない。
「天使君……言いたいことはわかるがしかし」
「わかってない。わかってたらそんなお願いしに来ない。まじであんたら親子、自分のことしか見えてなさすぎ。ちなみに私、そんなことで停学解けるくらいなら学校辞めるから」
そう言った後、天使は理事長の胸ぐらをグッと掴んで
「二度とくんなカス」
と続けた。
これ以上は正気を保つ自信がなかったのか、理事長はなにも言わずに帰った。
「天使、お前」
「ね、大人ってカスばっかでしょ。もしかして手紙を偽造したのって理事長自身かもね。あーあ、もうしばらくは停学ね私」
天使は明るく振る舞うようにそう言いながら勝手に人の家の冷蔵庫からペットボトルの水を出してグッと飲み干す。
「はぁ。工藤君、ごめんね勝手なことしちゃって」
「いや、いいよ……俺も応じるつもりはなかったし」
「でも、サッカー部にはもう戻れないね」
「……お前はまず自分が学校に戻れるかを心配しろ」
「あはは、そうだった。あーあ、朝からしけたわね」
今日は日曜日。
しかもまだ朝だというのに最悪な休日になってしまった。
暗い雰囲気を残す部屋で、天使がさっき飲み干した空のペットボトルをクルクルと回しながら、こっちを見る。
「なんかストレス溜まったし買い物でも行く?」
「いや、いいよ。なんか疲れた」
「ふーん。じゃあ朝飯でも作ろうか?」
「俺に気を遣ってんならいいよ。大丈夫だ」
「……バカ」
「は?」
「知らない、寝る」
そう言って天使はなぜか俺のベッドにそのままドサっと寝転んでしまう。
「お、おい」
「……」
本当に眠ってしまった。
の○太かこいつ。どんだけ寝るの早いんだよ。
……ふて寝?いや、どこに不貞腐れる要素があるんだ。
と言いながらも、俺は天使に布団をかけてから音量を小さくしてテレビをつける。
スースーと寝息を立てる彼女の寝顔。
それはとても純真無垢な、あどけない可愛いものだ。
しかし、袖口が少し上がっているところから彼女の傷が少し覗く。
それを見ないように、俺はもう一度布団をかけ直してからテレビを見る。
……ベッド取られたから寝れないじゃないか。
そんな文句を眠る彼女にぶつけてやりながら、しばらく静かな時間を過ごす。
天使が目を覚ましたのは、昼を過ぎてからのことだった。
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