第29話 天使の歌声
せっかくだからと。天使の方から文化祭を回ろうと提案してきた。
「ほら、停学中って家でじっとしててもストレス溜まるしちょっと付き合いなさいよ」
「いいけど、どこいくんだ?」
「そうねぇ。あ、ライブやってるって。行ってみない?」
大学の大きな体育館で、軽音部のライブが始まるそうだ。
多くの学生がそれを見るためか、そっちは向いて足を運んでいる。
「そういや、お前歌手になりたいとか言ってたっけ」
「昔の話よ。こんなズタズタな体じゃ水着も着れないどころか半袖も無理よ」
「……すまん変なこと言ったな」
「はは、いいわよ。夢なんてまた見つければいいんだし」
天使の最後の一言は、俺の胸に重くのしかかる。
次の夢、か。
果たして俺に、そんなものが見つかるのだろうか。
……天使と違って俺はサッカー以外何もない。
唯一の取り柄を奪われてなお、新しい目標を探せというのは不器用な人間からしてみれば酷な話だ。
「お、いいところ空いてるわよ」
中に入ると、まだ空席も目立つ様子で俺たちは最前列の真ん中。一番いい場所に座った。
俺は正直ライブみたいな騒がしい場所は好きではないのだが、天使はどうやら楽しみなご様子。
室内のBGMにあわせて少し足でリズムを取っているのがその証拠、か。
やがてパッと照明が消えてから、最初の組がステージに出てきた。
「始まるわよ」
天使は膝に肘を置いて前のめりに。
そして観客が静まり返ったところでギターの音がジャンと鳴り響く。
……しかしまぁ、素人とはこんなものなのだろう。
下手だ。
観客はワーワー湧いているが名前を呼びかけるところを見るとどうやら身内ばかり。
特にボーカルがひどくて、何を言っているのかすら聞こえない。
「……なによこれうるさいだけね。下手くそだし」
「ああ。他のところにいくか?」
「そうね、耳が死にそう」
そう言って天使が席を立とうとした時に、ボーカルが彼女を指差してキザっぽく「おいおい、まだ終わってないぜ」と言いながらウインク。まぁキモいなこれは。
それを無視して出ればよかったのに、イラついた天使は大声で「うっせえんだよ下手くそ」と喧嘩を売ってしまったからさあ大変。
一人が演奏を止めると、ザワザワする会場でベースのやつがマイクを通して「おい姉ちゃん、偉そうなこと言うなら歌ってみろや」と挑発。
なんともまぁ民度の低いことをやっている。
俺は知らん顔を決めていたが、なんと天使が舞台に上がりだした。
そしてボーカルのマイクを奪うと「歌ってやるから弾けよ下手くそどもが!」と言い出してもう会場はプチパニックだ。
思わず俺も「やめとけって」と言って止めようとしたが天使には届かない。
壇上で何か話をしているかと思うと、別の曲の演奏が始まってしまった。
そしてもちろんその中心には天使。
何やってんだあいつはと呆れながら席についたが、彼女が発声した瞬間にどよめく会場が静まり返った。
うまい、の一言だ。
さっきゴミのようなオープニングアクトのせいもあるが、透き通るその声は会場にいる全員を魅了する。
やがて、静寂から歓声に包まれる会場は彼女の歌に一つとなる。
俺も。勝手に立ち上がりただ彼女が歌う姿をじっと、ただ見守るように見つめていた。
そして、彼女が歌い終わると凄まじい歓声で突然現れた歌姫を皆が祝福する。
「うおー!すげー、プロだよプロ」
「めっちゃ可愛いし!あの子何?特別ゲストの子?」
両隣の男が見合わせて興奮している。
まぁ……ただの通りすがりの高校生、なんだけど。
やがて歓声の中を歩くようにステージから降りる彼女は、何も言わずに俺のところにやってきて
「行くわよ」
と言って俺の手を握る。
「お、おい」
「走るわよ。なんか大騒ぎなってるし」
急いで俺の手を引いて彼女は走りだした。
「お、おい」
「いくわよ、ついてきなさい」
無茶苦茶な女だ。
喧嘩売って勝手に歌って騒ぎを起こして勝手に逃げて。
まぁ、でも天使が笑ってるから……いいか。
楽しそうに体育館の外に逃げた俺たちは人の少ないところまで駆けていき、やがて足を止める。
「はぁ、はぁ……全く。なにしてるんだよお前」
「だらしないわよこんなんで息切らして。運動不足なんじゃない?」
「……もう勝手なことはするなよ」
「その前に、歌の感想聞かせなさいよ」
膝に手をついて息を切らす俺の前に仁王立ちしながら天使がすごむ。
「……うまかったよ」
「相変わらず、語彙力ないのね」
「お前。やっぱり歌、やりたいんじゃないのか?歌ってる時のお前の顔」
「やめて。そんなつもりじゃない、から」
天使は。そう言って目線を自分の腕の方に移す。
多分自分の体にある傷のことを気にしているのだろう。
……一度だけ見せてもらったきりだが、あの傷は酷いものだった。
あれを気にするなとは、女性である天使には特に言えないことだ。それでも……
「別にさ。露出しなくてもお前の歌ならやれるんじゃないか?」
「そんなに世の中甘くない、わよ。いつか誰かが私の傷を見て幻滅する。だから華やかな道なんて、目指さない」
「……俺は気にしない」
「へ?」
「俺は、気にしないって言ったんだよ。別になんとも、思わない」
これは嘘、である。
気にしないわけはない。気になる。
ただ、多分だけど今彼女の傷を見たら、以前よりももっと、愛おしくなってしまうだろう。
だから気にならないなんて嘘だ。
気になって、気になって仕方がない。
「なにそれ。あんたが気にしなくても意味なんて」
「一人でもそう言う奴がいるってことじゃ、ダメか?」
「……なによ、かっこつけて」
天使は。少し俺から目を逸らすと何か考えるように黙り込み、そして俺を見上げながらいう。
「今の言葉……嘘じゃない?」
「ああ……本当だ」
「……じゃあ。ちょっとだけ考え直してあげる。あんた、私の歌気に入ったみたいだし」
「でもあんなゲリラライブは二度とごめんだ」
「あはは、かっこよかったでしょ」
天使が。
ケラケラと、楽しげに笑う。
今までで一番。楽しそうに笑いながら天使は嬉しそうにしている。
その笑顔は、今まで見た彼女のどの表情よりも綺麗で、華麗で……可愛い。
……可愛い顔、できるんだなこいつ。
「……」
「なに?私に見惚れでもした?」
「そう、かもな」
「な、なによそれ……変なこと言わないで」
照れるこいつもまた可愛い。
……そう、可愛いと。思ってしまった。
参った。完全にいつかクラスメイトの連中に思ったことがブーメランのように返ってくる。
見た目に騙されて、か。
いや、ちょっと違う。
俺は、こいつの本性も知った上で思うんだ。
天使は可愛くて愛おしくて、守ってやりたいか弱い女の子なんだと。
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