第31話 天使の復帰

「おはよう。と言っても昼だぞもう」

「……なんかイライラする。腹も減ったし」


 ムクッと俺のベッドで目を覚ました天使は、目を擦りながらあくびをする。


「お前、よくあんなにすぐ眠れるな」

「ふぁー、なんか言いたいこと言ってスッキリしたら眠気がね」

「しかも人のベッドで」

「その気になれば人間どこででも寝れるわよ」


 そんな天使の言葉を、つい深読みしてしまう。

 

 どこでも。ということはこいつは色んなところで寝泊まりをしていた、ということなのか。


 家出して、道端でとか。それこそ誰か知らない人の家、ベッドでとか……


「今、変なこと考えてたでしょ」

「え?い、いや別に」

「私が言ってんのはネカフェとかそういうこと。ほんと、男ってすぐそういうこと考えるんだから」

「何も言ってないだろ」

「顔に出てる。あんた、わかりやすいのよいちいち」


 そう話す天使は、いたずらっぽく笑って羽織っていた上着を脱ぐ。


「お、おい」

「ほら、こんな身体で誰も抱きたいとか思わないでしょ」


 そう言って、半袖になり腕の傷を俺に見せてくる。


「抱きたいってお前……」

「中学の時はね、言い寄ってきた男子にこれ見せたら腰抜かしてたわ。怖いとか、気持ち悪いとか」

「……」


 多分だが、こいつにも好きな人がいたりしたはずだ。

 ただ、その体の傷のせいで誰にも心を開けずにいて、辛い思いをずっとしてきたのだろう。


 それでも、なんで俺には惜しげもなくその傷を見せるのだ?


「もういいから服着ろよ」

「やっぱり、あんたも見てて気持ち悪い?」

「は?そんなことないよ。最初は驚いたけど、慣れれば気にならんし」

「そっか……」


 そっかと。つぶやいてから天使は、ベッドから立ち上がり俺に迫る。


「な、なんだよ」

「じゃあさ……あんたは私、抱ける?」

「……はぁ?」


 急に何を言い出すのだと、俺は顔を歪める。

 天使は照れるわけでもなく、無愛想に寝起きの顔のまま、試すように俺に尋ねる。


 そう、試しているのだろう。

 そうとわかってはいても、何と答えたらよいかわからずに口籠もってしまう。


「そ、それは……」

「冗談よ。そんなに困らなくてもいいでしょ」

「あ、ああすまん……ただ」

「いい、急にごめん……」


 天使は、最後にぽそっとなにかを呟いてから静かに部屋に戻っていった。


 パタンと閉まる玄関の音をきいたあと、俺はふぅと息を吐きながらさっきまで天使の眠っていたベッドに腰掛ける。


 冗談、だとしても笑えない。

 変なこと聞くなよ。


 ……天使を抱く、か。

 そうできたらいい、なんて思ってしまった自分が恥ずかしい。あいつはそんなつもりで訊いたわけじゃないはずなのに。


 朝の来客から今日は変な一日だ。

 明日からの学校がやはり憂鬱だな。



 翌朝、まだ薄暗い時に玄関を叩く音がして目が覚めた。


「はい……ってどうしたんだよ」

「学校。今日から復学だって」

「なんだと?」


 天使が寝起きの姿のまま俺の部屋に来て、さっき学校から連絡があったと告げる。


 あれだけの暴行事件を起こしてたった数日で復帰とは予想外だった。

 まぁ、一番驚いているのは天使自身のようだが。


「どういうことかしら。理事長に楯突いたのに」

「もしかして、その理事長の仕業、か?」

「さぁ。でも、復帰した以上は学校行かないといけないわね」

「……大丈夫か?」

「ええ、まぁなんとかね」


 あまりに急なことというのもあって、天使を部屋に通すということまで気が回らず、玄関先で立ち話となってしまっていたので、慌てて部屋に入れる。


 そして改めて天使に、学校に行くことについて尋ねる。


「学校、今日はまだ休んでもいいんじゃないか?」

「そんなの言ってたらいつまでもこのままよ。何日か我慢したら慣れるでしょ」


 我慢。という言葉が少し引っかかる。

 こいつは多分、我慢強いのだ。


 だから大抵の問題から逃げずに我慢してしまう。

 誰にも頼らずに自分で解決しようとしてしまう。


 ……そんなのしんどいだけだろ。


「今日は、一緒に学校行くか?」

「何それ、心配してくれてんの?」

「そうだよ。悪いか?」

「……仕方ないから行ってあげる」

「素直にありがとうくらい言えよ」

「……ありがと」


 天使は、少し目を逸らした。

 その仕草に俺もなぜか照れてしまった。


「……と、とにかく朝飯でも食うか」

「じゃあ着替えてくる。パンがいいわ」

「はいはい」


 ったく。なんで礼ひとつで照れるんだ。

 まぁあいつらしいけど。


 少し朝が早かったせいだろう。

 ぼーっとして、パンを焦がしそうになってしまう。


 ……しかし、一緒に登校しようとは言ったものの、皆に噂されている状況でそんなことをして騒ぎを大きくしないだろうか。


 しかし今更だ。

 なるようにしかならないし、天使が一人で孤立しているよりはいい。


 それに、噂は噂。誰が何を言おうと気にする必要はない。


 少ししてから、制服に着替えた天使が部屋に来て焦げ臭いパンに対して嫌味を言いながらそれを食べていた。


 そして久しぶりの天使の登校を見守るように、二人で通学路を歩く。


 いつもより早く家を出たのは自然なこと。

 やはり、できることならあまり人と会いたくはなかった。


 それでも教室に行くと否が応でもクラスメイトはいるわけで。


 俺と天使が一緒に中に入ると流石に先に教室にいたクラスメイトの誰もが同様していた。


「なんか、見られてるな」

「いいわよ、覚悟してたし」


 そうは言っても天使も目が泳いでいる。

 俺たちは静かに席に座ったが、やはり見られている雰囲気に落ち着かない。


「……外、いくか?」

「いい。私は逃げない」


 見ているこっちまで胃がキリキリしそうなほどに、天使が珍しく緊張している。

 ただ、ここで俺だけが席を外すこともできず、結局異様なまでのクラスの雰囲気に包まれたまま、授業が始まるまでじっと耐えた。


 休み時間、一人の女子生徒が気まずそうに天使のところへ駆け寄る。


「あ、あの……天使様」


 どうやらいつも取り巻きにいた一人のようだ。

 怯えている。


「なにかしら」

「え、えと……東君のことは、その、何かの間違い、ですよね?」


 そう来たか、と横で聞きながら思った。


 天使様の一時の気の迷い。

 それもこれも俺のようなやつが惑わしたせいで、天使の本性はいつもの天使様であるはずだと。


 そう信じたい輩がいることも納得だし、それで周りが納得するのならそれもよしかと思った。


 しかし


「ごめんなさい。あれが私の本心なの」


 と天使はサラリと言いのけた。


 それを訊いてその女子は泣きそうな顔で去っていく。

 天使様のブランドを繋ぎ止めていた僅かな糸を天使自ら切ってしまった。


「……いいのか?」


 思わず教室なのに声をかけてしまう。

 俺と天使の会話なんて、皆が見ているというのに。


「いいの。取り繕うのはやめるって決めたから」

「でもさ」

「あんたも、天使様の方がお好みなわけ?」


 こっちを向いて、少し笑いながら天使が言う。


「……俺は。いつものお前の方が慣れてる」

「そ。じゃあやっぱりこのままでいい」

「は?」

「授業、始まるわよ」


 と言って天使は前を向く。

 

 さっきまでの緊張した表情ではなく、頬杖をついて退屈そうにしながらもその横顔はどこか優しい。


 それを見て俺も少し笑ってしまった。

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