第24話 天使様の乱闘

 東の公開告白があった翌日は、クラスの雰囲気もギスギスしていた。


 相変わらず天使に駆け寄るもの、東派閥のあからさまに天使を敬遠するものとで割れていた。


「天使様、東君の何がいけないの?」

「私は今からでも遅くないと思いますよ?」

「ねえ天使様」

「天使様」


 天使の取り巻きはこんな感じで朝からずっと、東をフッた件について質問責めだ。


 もはやスキャンダルを起こした女優のよう。さすがの天使もイライラしているのがよくわかる。

 作り笑いを浮かべてはいるが、目がピクピクしている……


「みんな、私だって好きな人とお付き合いしたいと思うのは普通ですよ。東君とはほとんど話したこともないし、いきなり交際というのは、ね。」


 天使も苦しい言い訳をしているが、そんなことくらいでは事態は終息しない。


「天使様はいるかい」


 昼休みに乱暴な言葉を吐きながら入ってきたのは昨日のもう一人の主役、東だ。


 そんなあいつを見て俺はとっさに顔を伏せた。

 ただでさえ機嫌の悪いあいつと関わって、また揉めたくはなかったからだ。


「はい、なんでしょう」


 と天使は俺の隣で答えてから立ち上がる。

 すると東が近くまで寄ってきて


「調子乗んなよブスがっ!」


 と一言。

 

 相当なまでに性格が悪いのは知っているが、それでも東がここまで激昂しているのはやはり昨日の件のせいだろう。


 さすがにそれはないだろうと言った空気が蔓延していたが、それに対して天使が反論してしまう。


「私はブスでも結構です。でも、あなたも大してかっこよくないですよ。サッカー部もお弱いようですしね」


 と挑発してしまったことで東は荒れた。

 「なんだとっ!」と言って思い切り机を蹴飛ばし、さらに凄んでいくところを取り巻きに止められている。


 そんな様子にクラス中が怯える中、奴は一人の標的を発見した。


 俺だ。


「お?おおっと、こんなところに落ちこぼれのクズがいるじゃんか。おい、もう膝はいいのか?ハイハイしなくてもちゃんと歩けるのか?」


 なんとも卑しい笑みを浮かべて俺を見てくるが、俺は無視を決め込む。


 そう、コイツと揉めてもいいことなんてない。

 コイツを殴っても俺の膝は治らないし時間も戻らない。


 だから我慢、だ。


「おい、なんとか言えよ。あの時みたいに「いたい、いたい!」って泣き喚けよ。役立たずなんだから俺のストレス解消くらいの役には立てよクズ」


 無理だった。

 ここまで言われて我慢なんて、そんなことはできるはずもなく。


 俺は気づいたら東に殴りかかろうとしていた。


 もう止まらない。頭をかち割ってやると思いながら全力で振りかぶった。


 その時


「うっせぇクズがっ!」


 と言って一人の女子が俺より先に右ストレートを東にぶちかました。


 それは。


 天使だ。


 「ぐはぁっ」と声をあげて奴は机を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ。

 そして倒れ込む東の方へ天使が駆け寄ると、その胸ぐらを掴んで言う。


「あんたさ、工藤君の気持ち考えたことあんの!?ふざけんなよマジで!お前が怪我させといていい加減にしろや!これ以上言うようならマジでお前ぶっ殺してやる!」


 今まで、俺以外の人間には一切見せたことのない汚い言葉遣いと暴力性を晒す彼女に、クラス中から悲鳴が上がる。


 しかし天使は止まらない。

 再び東を殴り飛ばしてから蹴り飛ばす。


「や、やめっ……」

「やめない。マジであんただけはぶっ殺す!」


 倒れた東の腹を踏んだまま、とどめにもう一撃、といったところで騒ぎを聞きつけた先生が駆けつけて天使は止められた。


「やめなさい!こら、天使さん!」

「離して!コイツだけは許さない!」

「やめろ!おい、だれか引き摺り出せ!」


 数人の生徒の助力を借りながら、先生たちは天使を外に連れ出した。


 東を殴ろうとして立ち上がっていた俺は、その光景を呆然と見つめる。


 床に転がった東は既にノビていて、鼻血を出しながら他の生徒に介抱されている。


 凄惨な昼休みになってしまった。


 結局天使はその日、教室に戻ることはなく先生からの知らせもなかった。

 

 あまりにショッキングな光景を目の当たりにしたクラスメイトは、まるでお通夜のように静かだ。

 他のクラスの人間にも噂は広まっていたようだが、クラス全体の重い空気を察してか誰も話を聞きにはこなかった。



 放課後、すぐに天使の様子を確認したくてアパートに戻ろうとしたところ、担任につかまる。


「工藤。お前、天使と交際しているのか?」


 と、まず。職員室で質問された。


 あの天使が。優等生で模範生で学校中の注目の的である天使が犯した暴力事件。それも相手は理事長の息子。


 そんな前代未聞な事態が起きた原因は、俺と言う落ちこぼれに悪い影響を受けたせいだというのが彼らの見方のようだ。


「別に。あいつとは何もありません」

「そんなはずはない。東君を殴った動機も君を庇ってのことだと聞いた。悪い影響を彼女に与えたのは間違いなく君だ」


 間違いなく。そんな風に確信できるのはなぜだろうか。

 俺は望まれてこの学校に入ったはずなのに、どうして今はここまでクズ扱いを受けないといけないのか。


 そう思うと辛くなり、そして腹が立った。


「うっせぇバカ」

「おい工藤、今なんて」

「うっせえバカって言ったんだよ!クソボケがっ!」


 俺は職員室を飛び出した。

 そして走った。


 足が痛いとか、そんなことはどうでもいいくらいに走った。


 そして泣きながら、アパートの前に着いた。

 すると


「あれ、遅かったわね」


 と言って天使がタバコを吹かしていた。


「お、おまえ。タバコ……」

「ああ、もう優等生は終わりだし。別にまたずっと吸おうとは思わないけど今くらいはね。イライラするじゃんか」


 と言って少し笑う。

 目の下に少ししわを作るように、無理した様子でヘラっと。


 なんで。なんで笑えるんだよ、お前は……


「何その顔?先生に怒られて半べそかいてたの?ダッサ、こんな男のために停学くらうとかマジで私もダッサいわね」

「停学……」


 天使は、タバコを思い切り吸ってから煙を空に吐いた。

 そして


「退学にならなかったしいいじゃん」


 と言ってまた笑った。


「……天使、あのさ」

「それよかさ。ちょっと部屋こない?」

「え、おまえの、か?」

「そりゃそうでしょ?」


 天使は咥えタバコのまま、アパートの階段を登り俺の部屋を通り過ぎて隣の自室に俺を招き入れた。


「なんもないわよ」

「あ、ああ」


 天使の部屋は、彼女が言うように何もない。

 机と、学校の最低限の荷物とベッドだけ。


 テレビすら、ここにはない。


 しかし、机には無数のノートが積まれている。

 その数は尋常ではなく、一体何にそこまでノートが必要なのかと聞きたくなるほどに積まれていた。

 あれが、彼女の勉強してきた証で、優等生であるために努力してきた証なのだと思うと、それを台無しにしたことで胸が苦しくなる。


「さっぱりしてるでしょ」

「……なんで俺を庇ってあんなことを」

「さぁ。東だっけ?あいつがムカついたから張り倒してやっただけよ。根性焼きされなかっただけアイツもラッキーね」


 と言って天使は、咥えていた煙草を机の上にある空き缶の中に捨てる。



「さてと。今日は私に付き合いなさい」


 といって彼女が冷蔵庫から飲み物を出してきた。


 ビールだ。


「お、おいお前……これ、酒じゃないか」

「え、今時酒も飲んだことないの?マジであんたってダサいわね」

「いや、普通の高校生は飲まないって」

「じゃああんたも普通じゃないんだし飲みなさいよ。ほら、座った座った」


 俺は天使に促されて彼女のベッドに腰掛けた。

 そして横に座った天使はビールの缶をプシュッと音を立てながらあける。


「こうなったらヤケクソ。パーっと飲んでガーッと寝るわよ」

「……すまん」

「頼まれてやったわけじゃないし。それにさ、我慢も限界きてたからいい機会よ。そう、そうなのよ……」

「天使……」

「……飲め」

「え?」

「さっさと飲めよ。じゃないとあんたも殴り飛ばすわよ」

「あ、ああ……」


 もうやけくそだなと、缶の栓を抜くとプシュッと音がした。


「じゃあ、乾杯」

「いいのかよ、これ」

「男のくせにいい加減腹くくれ」

「……かんぱい」


 こつんと缶をぶつけた後、一気にそれを口に運ぶ。

 すると苦みと炭酸で俺はすぐにむせた。


「げほっ……なんだこれ、まっず」

「だっさいわね。今時酒も飲めないんじゃ社会で生きていけないわよ」


 天使はぐびぐびっと実にうまそうに、それを飲む。飲み干す。


「ぱはぁー。あー、死ねる。マジ、早く大人になれないかしら」

「お前、ほんとおっさんみたいだな」

「うっさい。黙って飲め」

「まずいんだよこれ」

「あーもう。飲むからよこせ」


 天使は豪快に。俺の持っていたビールも一気に飲み干す。


「かぁー。なんでこの美味しさがわからないのよ、陰キャラ」

「お前酔ってんのか?もうやめとけよ」

「私が酔いつぶれたらあんたが介抱しなさいよ」

「なんで俺が」

「明日からどうしようかって。そう思うと辛いのよ……」


 泣き上戸とでもいうのだろうか。ビールを勢いよく二缶空けた天使は顔を赤くしながら目に涙を浮かべる。


 もちろん彼女が泣いているのなんて初めて見る。


「おまえ……」

「なんであんなことしたんだろう私……でも、でも許せなかったのよ!むかついたのよあいつが悪いのよ!」

「わかってるって。きっとわかってくれる奴だって他にも」

「あんたがわかってたらいい」

「は?」

「もう一本。早く持ってこいぼけー!」


 完全に天使が酔っ払いになっていた。

 ただ、今日の出来事で今まで積み上げてきたものをすべて失った彼女に対して、やめておけとも無理するなとも言えない。


 少しして酔いつぶれた彼女が眠るまで、いや眠った後もそっと彼女の傍でその泣き顔を見ているしか、俺にはできなかった。



 

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