第23話 天使様は告白される

 休み明けの学校はいつもと何ら変わらない。


 バカな男子が天使様祭りを朝から開催し、太鼓持ちの自称イケてるグループ女子どもが天使様の身の回りのお世話をする。


 学校は社会の縮図なんて言葉があるけれど、こんなものを拡大したのが社会なのだとしたら、俺は大人になることに嫌気しか覚えない。


 長いものに巻かれて、権力に媚び諂って、何も持たない人間はただ言われた通り敷かれたレールの上を走るだけ。


 そんなものは嫌というほど見てきたが、またそんな現実を一つ思い出すこととなる。


「工藤、ちょっと職員室に来い」


 と俺を呼ぶのは今年からサッカー部の顧問になった小林先生。


 彼は元プロ選手でありながら、二十六歳で引退後教員免許を取得して先生になったという、まぁ変わり者だ。


 サッカーは下部組織も多く、元プロとあればそれなりに指導者の道もあっただろうしこの学校だって外部召集で監督業だけをした方が幾分か収入面でも良さそうなのに、なぜ教員なんて割に合わないことをするのだろうと赴任早々から不思議に思っていた人だ。


 もちろん俺は彼が着任してすぐに声をかけられた。

 ただ、俺の様子を察してか二回と喋りかけてくることはなかったのだが。


「工藤、お前膝の調子はどうだ」


 職員室の中にある教官室で先生が問う。


「はい、もう歩くのは問題ないですけど」

「そうか。そろそろサッカーやってみたいとは思わないのか?」

「……ないですね」


 こんな形で再び俺に声をかけたのにはそれなりに理由があったそう。

 煙草を吸ったのが俺だとわかった時、小林先生はしきりに俺を庇っていたのだと、あとから他の先生に訊かされる。


 俺がこうなってしまったのはサッカーを奪われたためだから、もう一度スポーツを始めれば更生できると、そう考えてのことだそうだ。


「お前はこんなところで終わっていい選手じゃない。他の部員には俺が話すから」

「そんなん大層な人間じゃないですよ。それに、サッカーを嫌いだったのはなんとなく克服できてますから」


 つい数か月前なら、公園で子供が遊んでいるサッカーボールを見るだけで吐きそうな気分になったのだけれど、綴さんや、まぁ天使のおかげもあってか自分の過去とも向き合っていけるようになった。


 だからサッカーが嫌いなわけではない。

 むしろ嫌いなのはここのサッカー部だ。


「あいつらとはうまくやれる気がしません」


 俺ははっきりと告げる。

 曲がりなりにも俺を心配してくれている先生に対して、変な期待を持たせたくないという俺なりの親切心からだったが。


「……東のことか」

「まぁ。あいつ以外もですけど」


 東和久あずまかずひさは俺の同級生で、今のサッカー部のエース。

 

 そして俺の膝をかち割った張本人にして、この学校の理事長の息子だというのだからよくできた話だ。


 彼は中学の時は全国のメンバーからは漏れるなど、地方ではそこそこ有名だったが大した選手じゃない、という感じのやつだった。


 ただ、フォワードというポジションは俺と被っていた。

 だから俺が邪魔だった。いたってシンプルである。


 当時の三年生のキャプテンが俺を潰そうとしていたのも、何とか東のポジションを空けるためにという配慮、いや忖度からだ。


 彼の為に尽くせば大学は推薦、更には学費も免除なんて噂が立っていたそうだが真相は定かではない。


 そんな東のことを先生は悪く言えるはずもない。

 なにせ自分たちの雇用主の息子、だからだ。


「東のプレースタイルや態度は目に余るものがある。ただ」

「先生が悪いわけじゃないですよ。世代が悪かったと諦めてます」

「……すまん。しかし俺からもあいつに」

「いいですよ。俺もガキじゃないんで大人の事情くらい察します」


 などとかっこをつけて教官室を出た。

 そもそも俺が戻ったところであの腐った部活は変わらない。


 東を中心とした東の為の東にゴールを決めさせるためだけの布陣。

 そんなわけのわからないことをしようとして去年、この学校は公立の弱小校に惨敗した。


 だから小林先生を招集したわけだが、彼も元プロというだけで魔術師ではない。

 セオリーを無視して勝てるほどサッカーは競技人口の少ない競技でもないし、ましてや彼の為に集められたゴミみたいな布陣でも勝てるようにと俺が呼ばれたというのにその便利な駒すらもいないわけで。


 だからあいつらは三年間苦労する。

 そして惨めな思いをするだけしていつか高校生活を振り返って後悔すればいいと、俺は思っている。


 ただ、そんな東の名前を久々に聞いたことが悪夢の前兆だったのか、変な噂を耳にすることとなる。


 天使様に東が公開告白をするという噂だ。


 まぁ、今まであの独裁者みたいなエゴの塊が学校のマドンナを欲しがらなかった方が不思議ではあるが、今日の放課後にグラウンドで人を集めてその中心で天使に求愛をするというのだから俺も心中穏やかではない。


 別に天使が東と付き合うのは勝手だ。好きにすればいい。

 ただ、あいつの告白をもし断るなんてことがあったら天使は今まで通りの天使様ではいられなくなる。


 東はイケメンだ。女子のファンも多いし引き連れてる男子も多い。

 もし奴を傷つければ、東のコバンザメたちからの集中砲火のみならず彼を慕う女子たちからのクレームも避けられまい。


 実際クラスの会話でも


「東君と天使様なら納得よね。うん、お似合い」

「そうね。天使様にはふさわしい人だし、ビッグカップルの誕生ね」


 なんて声がちらほら。

 誰も東と天使がくっつくことに不満を抱いている様子はない。

 一方で


「でも、東君をフッたりしたらちょっとないかなー。さすがに調子乗りすぎってなっちゃうかも」

「天使様は人を見る目はあるから問題ないって。でも、そうなったら結構怒る人いるよねー」


 という意見も聞いた。


 やはり彼女が学校中の人気者であるには、あいつの告白を受け入れる以外にないということ、だ。


 だからあいつがどういう選択をするのか、それだけが気がかりだった。

 ちゃんとあのボンボンと付き合って、みんなの人気者でいられるのかという心配がずっと心のどこかに引っ掛かるまま、その時がきてしまった。



「おい、みんなグランドいくぞ」


 と威勢よく。誰かが言ったのを皮切りに大勢がグラウンドに流れ込む。

 既に大勢に囲まれている天使と東は、まるで今からロミオとジュリエットでも演じるかのように向き合い見つめ合っている。


 美男美女、それも学校の二台巨頭という超大物カップルの誕生の瞬間を見ようと、野次馬たちで騒然となっていた。


 何事かと先生たちも廊下の窓からその様子を見ていたが、中心にいるのが東だとわかった途端、黙認。

 

 そして俺は野次馬の最後列の少し離れたところから、群衆の隙間を縫って二人の姿を見ていた。


「東君、今日はどうしたの?」


 天使から会話を切り出す。


「天使さん。今日は君に言いたいことがあって呼んだんだ。ごめんよ忙しいのに」


 東の、鼻につくきざな言い回しは以前と変わらない。


「はい、どうぞ」

「……俺と付き合ってくれないか」

「無理ですごめんなさい」

「そうだよね、うん……うん?」


 うん?となったのは東だけではない。

 俺も、周りにいる生徒も全員が目を丸くした。


「い、今なんて言った?」

「無理と言いました。あなたのこと、好きじゃないので」

「……本気かお前」

「ええ、私は自分に素直に生きることにしたので。では、失礼します」


 天使はそう言って東の横を通り過ぎて、さっさと行ってしまった。


 あまりに予想外だった、ということもあり騒然とする生徒たちの中心で、東は大声をあげながら「散れやくそがっ!」と荒れていた。


 そそくさと解散する野次馬たちに紛れながら、俺はさっさと学校を出ることにした。


 なぜだろうか。気分がいい。きっと、俺の膝の敵である東のみじめな姿が見れたからだろう。


 とすれば俺も相当性格が悪い。

 人の不幸は蜜の味、なんていう大人の性悪な部分が俺にも芽生えてきたということか。


 しかしその一方で心配事も増えた。

 天使の奴、あんなに派手に東をフッて大丈夫だったのかと、そっちが怖くもなった。


 なんとも説明しがたい心境のままアパートに戻ると、ゴミ捨て場の方から声が聞こえる。


「くそっ、うざいんだよあいつ!話し方キモいし何様なんだよ!人の人生めちゃくちゃにしといて自分だけいいかっことか一番嫌いなんだよ!死ねっ!死ねっ!」


 ゴミ袋がサンドバックになっていた。

 最近は見なかった天使様のキックボクシングだ。


「おい、カラスが来るからやめろっていっただろ」

「あ!ってなんだあんたか。あんたも見たんでしょ、公開告白ってやつ」

「ああ。ていうかあれ、大丈夫なのか?」

「……私があいつの告白を受ければよかったって言いたいの?」


 天使は。そう言いながら少し悲しそうな顔をした気がした。


「そうじゃないけど。てっきりそうするかと」

「……そうした方が楽だって思ってたわよ。でもさ……いい、なんでもない」

「なんだよ、気になるから言えよ」

「言わない、一生言ってやらない」


 天使は最後に一蹴り入れてからさっさと部屋に戻っていった。


 あいつがゴミ袋を蹴りながら発していた愚痴を、俺は聞いていた。


 人の人生めちゃくちゃにしといて……あれは彼女自身が何かされた、ということか?

 それとも、俺の事、なのか……


 もちろんそんな話は出来なかった。

 ただ、その日の夜に天使が部屋に来た時に「あんたもちょっとはすっきりしたんじゃない?」と言ったことで東と俺の因縁を知っていることはわかった。


 やっぱり俺のことがあったから、東をフッたのだろうか。

 しかしそんな自意識過剰な質問は、やはりできなかった。


 今日は天使がシチューを作りすぎて余ったそうだ。

 よく晩飯を作りすぎるやつだ。


 まぁ、いつも余りをもらうばかりだけどピッタリ二人前だというのも珍しい余り方だ。


 その辺は、今日だけはツッコまないでおくが。

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