第19話 天使様の美景

 休日の朝は、いつもであればそんなに早起きはしない。

 しかし謹慎期間中にゆっくりしすぎたのか、今日は早く目が覚めた。


 二度寝しようとも考えたが、やめた。

 妙に落ち着かないのは、何も天使との買い物を後に控えているからではなくあいつが時間を告げずに帰ってしまったことであると言い訳する。


 しかしそんな時間も長くは続かない。


「おはよう」


 と朝早くから天使は俺の部屋にやってくる。

 今日は、ジャージだ。ジャージと言ってもヤンキーファッションではなく上下とも地味なグレーのもの。


「随分早いんだな」

「休日の朝は身体動かしてるからよ。あなたもちょっとは鍛えたら?」

「たまに気が向いたら腹筋くらいしてるって。それに俺は太らない体質だ」

「そういうやつって将来絶対太るタイプね」


 将来。なんてものに絶対があるのだとすれば、俺は将来どうなるのだろうか。

 中学の時には、絶対プロになって海外で活躍して日本代表になるのが確実だなんていう大人もたくさんいたが、そんな将来設計は完全に灰となった。


 だから絶対なんてない。俺が将来、太ることもまた絶対ではない。


「そんなことより朝飯食べたのか?」

「いえ、まだだけど。ご馳走してくれるの?」

「別に。ついででよければ食えよ」


 最近は。謹慎期間のせいもあったが天使と毎日部屋で食事をしている気がする。

 それがたまたまではないことくらいわかっているが、こうしていつも食卓を共にすると親しくなったような、そんな勘違いを起こしてくる。


「なぁ、休みの日はお友達とやらから誘われないのか?」

「休日は予約がいっぱいで二年待ち。ってことにしてるのよ」

「そんな嘘が通用するんだな」

「あら、実際に誘いを全て受けてたら二年では済まないわ」


 そんな話は嘘ではないのだろう。 

 実際に、彼女をデートに誘う連中が多いのは言うまでもなく。放課後に何とか二人きりの時間を作ろうと四苦八苦しているやつや、誘いを受けてもらえるかと憂い、吐くほど悩んでいる連中だって珍しくはない。


 そういう意味では今日、そんな予約に割り込んで天使様とお買い物デートにありつけた俺は果報者であると。自分にそう言い聞かせてみる。


「さて、それで隣町までは電車か?」

「バスよ。電車は結構同級生に会うのよ」

「バスだと一時間くらいかかるぞ?」

「何よ、私と二人きりでバスに乗れるだけ光栄と思いなさい」


 その自信はどこからくるのか。なんて聞かずとも何年もデートの予約が詰まっているような自分であれば自信を持っていても当然か。


 朝食を終えたらすぐに、天使は着替えに帰った。

 そして俺も着替えを済ませて外で待つ。


 少ししてからガチャッと天使の部屋の玄関が開く。

 そして俺は目を奪われる。


 薄い青のブラウスに黒のロングスカートという恰好で出てきた天使は、あまりに品があり綺麗だ。

 こんなボロアパートからは絶対に縁のなさそうな、それでもここの住人であり俺の隣人である彼女は優雅に、優美に階段を降りてくる。


「おまたせ」

「……」

「何、ジロジロみて」

「あ、いや」

「もしかして、見蕩れた?」

「んなわけあるか。ほら、さっさと行くぞ」


 今日は自慢の赤い髪を後ろで束ねていて、さっきまで寝ぐせだらけでぐしゃぐしゃだったはずの髪が綺麗に、艶やかになびいている。


「あんた、ジーンズはいいけどシャツがダサい」

「う、うるさいな。別にいいだろ」

「嫌よ、一緒にいる相手がそんな貧乏くさいと私の品位まで疑われるわ」

「品位って言葉をお前が使うな」

「なんか言った?」

「なんでも、ない」


 俺はもともとスポーツ少年だ。

 格好なんていつもジャージ。それに俺の地元は田舎だし、買い物に行くのも外食するのも田舎で十分だった。


 だから私服なんて、たまに安いシャツとジーパンを買う程度。

 それだって数回しか着ないまま、ほとんどが実家のタンスに眠っている。


「はぁ、まずはあなたの服から買いに行かないといけないわね」

「俺の?別にいいって」

「私が嫌なのよ。だから買いなさい」

「はいはい」


 一方の天使の恰好は、流行かどうかは知らないがとてもよく似合っている。

 赤い地毛によく合う色合いをチョイスしているし、何よりこいつの生まれ持った品のある顔立ちを引き立てるだけの服装である。


 最も、俺は上下黒のスウェットもまた、こいつらしいというか不良らしくて合っていると思うのだが。


 二人でバスに乗り、並んで席に座ると窓際の彼女が車窓から遠くを眺めていた。


「景色見るの、好きなのか?」

「ええ、落ち着くわ」

「人にはキモイとか言ったくせに」

「あんたが言うと、って意味よ」

「へいへい」


 真の男女平等社会、なんてものは多分来ない。

 いや、そんな社会があったとしてもそれは嘘で塗り固められたまがい物だ。


 だって。

 ひとつ前の席で頬杖をついて外を眺めるおじさんなんて、ただの悩み多き中年にしか見えない。


 それなのに、全く同じ姿勢で同じことをしているだけなのに、どうして俺の隣の女性は、こうも美しく絵になるのか。


 やはり、美人とは得で、有利で、卑怯だと。そう思いながら外の景色を見るふりをして彼女を見ていた。


 


 

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