第16話 天使様は嘘が下手

「おはよう、ていうか遅いわね。謹慎期間を満喫するつもり?」

「……どうやって入った?」

「泥棒みたいに言わないで。玄関の鍵、開いてただけよ」


 うっかりというか、おれはしっかり動揺していたのか。

 こんなボロアパートに住んでいたとしてもセキュリティに関しては人一倍用心のある人間だと、自分のことをそう思っていたがとんだ失態だ。


 しかし百歩譲って鍵が開いていたとして、だから天使が部屋にいるということと完全には繋がらない。


「で、鍵が開いててなんで入ってくる」

「別に、不用心だから注意してやろうかなって。親切心よ」

「じゃあなんでここで朝食作ってるんだ」

「コンロ壊れたから借りてるの。悪い?」

「……悪い」


 てっきり俺の為に朝食を、なんて気持ちの悪い発想を持ったわけではないが、予想外の理由であったことには変わりない。

 こいつが俺の部屋で何かするなんてまぁそんな理由がいいところだろうが、しかしそれにしても図々しい奴だ。


「あのさ」

「断っとくけど、借りたから一応朝食あんたの分も作っておいた。いい、これはガス代の代わり。勘違いしないでよね」

「……いいよ別に、勝手にしろ」


 なんだかんだと言っても、その辺は優等生、なのか?

 俺が言う前に料金を支払われたんじゃ何も言えないし文句も出ない。


 いや、それでも勝手に使ったという部分では文句のつけようもあったが、そこまで拘るのはいささか男として器が小さい気がしたので黙ってもう一度ベッドに横になった。


「出来たわよ」


 と、しばらくして天使が言うと目玉焼きがトーストに乗って出てきた。

 ……昔こんな食事をアニメで見たな。


「お前、こういうのが好きなのか?」

「何よ、別にいいでしょ。美味しいんだし」

「アニメとか、見るのか?」

「見たら何か?」

「い、いやお前みたいなやつでもそういうの見るんだなって」

「……うっさい黙って食え」


 照れた、ように見えた。

 正確には毒舌を吐きながら、ではあるが明らかに赤面した彼女を見るのは初めてだった。


 それを見ると、俺もなぜかおかしくなってきた。


「はは、なんだそれ」

「なんで笑うのよ」

「いや、お前でも恥ずかしいこととかあるんだなって」

「別に恥ずかしくないわよ!あんたが変なこと」

「黙って食うんじゃないのか?」

「……マジむかつく」


 食事は静かにゆっくりと、でもさっさと済ます。そんな誰かに昔教えられたようなルールを守るように俺たちは黙々と食事をした。


「じゃあ、私行くから。洗い物はよろしく」


 と天使は言って俺の部屋からそのまま登校していった。

 まるで専業主夫がキャリアウーマンの妻を見送るような、そんな奇妙な光景に俺は変な気持ちを抱いた。


 あの天使が俺の部屋から登校。こんな事実を誰かが知れば学校中が大パニックだ。

 そして俺の家は火でもつけられること間違いなし。

 ただ保険として彼女の部屋が隣にあるからそんなことはされないかもしれないが。


 はぁ……何を期待しているんだ俺は。

 いや、期待というほどではないが、今日も夕方にあいつは飯を作りにくるのかなんて、どうしてそんなことを考えてしまった。


 ちょっと顔がよくて勉強ができて人当たりがいい。

 それだけの、ただの同級生だ。

 それに謹慎になったせいで綴さんとも会えないし、きっとそんな寂しい心の隙間に煙のようにふわっと彼女が入り込んだだけ、だろう。


 まるでニートのように平日の昼間から部屋でゴロゴロしていると、そんな変なことばかりが頭を巡る。

 全く、やはり見栄張って先生になんてするものじゃないな。


 暖かい春の陽気に誘われてウトウトしていると、ピコンと携帯に通知が入る。

 綴さんから、だ。


 謹慎のことはもちろん知らず、気を遣って昼休みの時間帯に連絡をくれたようだ。


『今度の日曜日楽しみだね。それでね、今日の夕方買い物に行くんだけどよかったら一緒にどお?』


 少しまずいことになった。

 俺は今、外出ができない。だから断るしか方法がないのだが綴さんの誘いをあまり断りたいと思えない俺は、かなり悩む。


 友人がいないのは彼女も知っているし、仮病なんて使って心配させても面倒だ。

 ……しかし何といえばいいか。


『はい、日曜日はよろしくお願いします。明日の件、ちょっと予定確認しますね』


 なんて送ってはみたものの、予定なんて俺には皆無だ。

 嘘の用事すら思いつかない。


 あーあ、やっぱりやめとくんだった。

 あんな奴の為でもなんでもないけど、でもやめておくんだった。


 結局その後はまた綴さんからの返事が途絶え、重い腰をあげて反省文を書くことにした。

 しかし都合よく原稿用紙なんてないのも実情。

 こういう時、コンビニに買いにいってましたなんて言い訳も、やはり謹慎中では罰則の対象になるのだろうか?


 ほんと、穴だらけの謹慎処分だ。

 罰を与えるならそれなりのルールってものを明確にしておけと言いたい。


 なんてことはもちろん書けず、とりあえず新品のノートに反省文を書いた。

 まぁこれほど気持ちのこもっていない作文もない、というほどに雑で単純な、まるで小学生が嫌々書いた読書感想文のような出来栄えだった。


 そうしたのは単に気持ちがこもっていないのと、短絡的な先生たちへの儚い反抗心だったのかもしれない。


 を終わらせたと思うと、今日はいつもより早くに玄関のドアをノックする音がした。


「早いな、今日は」

「みんな煙草の件でビビってて、遊びに行くの控えるんだって。ほんと、誰か他にいたんじゃないの犯人?」

「それで、こんな早くに何の用事だよ」

「べ、別に生きてるか確認してやっただけよ。それより、反省文は出来たの?」

「ああ、さっき終わった。俺は誰かさんと違って根は真面目だからな」

「……あ、そ。ならいいわよ。それで、夕食はあるの?」

「ない、今日こそ出前でも」

「今日はおでんだから」

「……は?」

「今日はおでんって言ったの。あれ、一人分だけ作っても出汁でないから美味しくないのよ。でも多いと余るからあげる。それだけよ」


 と言って天使はさっさと部屋に帰った。

 今日は出前のピザ、食べたかったんだけど……まぁいいか。


 すぐに食材を持ってやってくるのかと思い鍵を今度は敢えて開けたままにしておいたが、そこからしばらく誰もくることはなかった。


 二時間ほど経っただろうか、再びコンコンと、少し強めの音が鳴り玄関を開けると鍋つかみを手にはめて鍋を抱えた天使が立っていた。


「熱いから早くどいて」

「あ、ああ」


 ぐつぐつと煮えた鍋の中から少し甘いいい香りが漂っている。

 しかしだ、こいつはどうしていつも詰めが甘いのだろう。



 今朝、部屋のコンロ壊れたって言ってたよなお前……


 

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