第11話 天使様のお誕生日

 さっきの選択は間違いではなかったと、登校している今はそう思える。

 学校に向かう他の生徒たちの会話が漏れ聞こえるのだが、どいつもこいつも「天使様」と口にして口角をあげている。


 そんな彼らの会話を聞き、今知ったことなのだが今日は天使の誕生日だそうだ。

 そんな日に彼女と一緒に登校しているところを見られたら、果たして俺はどうなったか。


 うん、考えたくもない。いじめなんてものでは飽き足らず、大袈裟な話でもなく死人が出たかもしれない。最も死ぬのは俺だろうが。


 浮足立つ生徒たちは、彼女に何を渡すかという話題で持ち切りだ。

 既に下駄箱には溢れかえるほどのプレゼントが山積みになり、生徒会の人間や一部の先生が生徒たちに注意を促している。


 なんともまぁ暇人の多いこと。

 積まれたプレゼントの山は服か靴かはたまた食べ物か。

 貢ぐ金があるならもっと有意義に使えと苦言を呈したくなるほどに全校生徒の目が盲目になっている様が滑稽だった。


 天使は何がほしいのか、どういうものが彼女の為になるかなんて論争も実に微笑ましくてあほらしい。


 さしずめあいつの場合は煙草のカートンでも送ってやった方が喜ぶんじゃないのか?

 いや、もうやめたんだっけ。じゃあ禁煙パッチでもやれば彼女の為になるんじゃないか?


 そんなことを考えながら教室に向かうと、そこは更にパニック状態だった。


「天使様、お誕生日おめでとうございます!これ、受け取ってください」

「天使さん、これ使って。特注で作った万年筆なの」

「おめでとう天使様」

「おめでとう天使様」


 まるで何かの新興宗教だ。

 さしずめ教団名は「天使教」といったところか。


 やれやれだ。まるで皇族のように上品に手を振る彼女はしかしここまでの立場を得るためにどれだけの犠牲を払ってきたのだろう。


 望んでこうなったかは別として、なかなかこうなれるものではない。


 これも彼女の才能、いや努力の結晶だと思うとあまりバカにするのはよそう。


「おはよう工藤君、今日は天使様の誕生日だね」


 でた、斉藤か。

 やはりファンというだけあってこいつも天使に何か渡したのだろうか?


「ああ、らしいな」

「え、知らなかったの?」

「なんで知ってないと常識知らずみたいな言われ方されるんだ。あいつの誕生日は祝日にでもなったのか?」


 だとしたら好ましい限りではあるが。

 休みが増えるから。


「だって、去年もこの時期は大騒ぎだったもん」

「ああ、俺その時いなかったから」

「あ、そうなの?工藤君って転校してきたんだっけ?」

「たまたま休んでただけだよ」


 こいつは俺の過去を知らないのか。

 まぁその方がいい、知られて妙に気を遣われる方がウザイし。


「でも工藤君もプレゼント、渡すんでしょ?」

「はぁ?なんで俺があいつに」


 言いながら天使の方を見ると偶然彼女と目があった。

 その時彼女は一瞬ではあるがニヤリとした、気がする。


 なんだ、ザマァみろとでも言いたいのか?


「そっかぁ。僕は用意したんだけどなかなか渡すタイミングなくてさ。これ、授業中にこっそり渡してくれない?」


 斉藤が小包を俺に渡す。中身はシンプルにシャーペンだそうだ。


「なんで俺が。自分で渡せよ」

「お願い、去年も渡しそびれたちゃったし、もらってもらえるだけでいいんだ」

「健気だなぁおい。でも男なら素直におめでとうくらい言ってやれよ」

「無理だよ、今日は天使様の周りは人でいっぱいだから。ね、お願い」


 まるで可愛い女の子のような顔を俺に寄せてくるな。

 もちろん変な気になどならないが、気持ちが悪い。


「ああ、わかったよ。渡すだけだからな」

「ありがとう、工藤君」


 言い方に語弊があるかもしれないが、斉藤の方がよほど天使の微笑みを持っている。

 純粋な恋心。まぁ嫌いじゃない。だから頼まれてやろう。


 しかし授業中に渡せというのも案外ハードルの高いものである。

 隣とはいえ話しかけるきっかけもないしもちろん普段は学校で二人きりの時以外は話すこともない。


 だけど頼まれたことくらいをやり遂げるのは当然の義務。

 仕方なく、さりげなく消しゴムを落として天使に声をかける。


「すまん、取ってくれ」

「……はい、これ」


 俺にだけ実に不愛想な彼女の目は「何やってんのよグズ」と言ってもいないがそう言っているように見えた。

 そして消しゴムをもらうタイミングで俺は斉藤から預かったプレゼントを無言で渡す。


「ん」

「え、これって……」

「勘違いするな、斉藤からだ」

「あ、そ、そう。ええ、ありがとう……」


 ふん、俺がプレゼントをお前に用意しているとでも?

 なんて思いながら俺はすぐに前を向く。


 彼女のその後はいつも通り。


 結局この日は終始天使様生誕祭が盛大に執り行われ続け、放課後もそのまま彼女は群衆と共に消えていった。


 まるで天使が学校中の人間をさらってしまったかのように急に静かになった校舎を一人歩きながら、俺は帰路につく。


 しかしすごい一日だった。

 中には若手の先生までもが彼女に色目を使っていたのを見て俺は吐き気を覚えた。

 所詮みんな可愛ければなんでもいい、ということか。


 見た目で判断するなとは言わないが、もう少し為人ひととなりを見てから好きになれよとは言いたい。


 ま、人間そんなもんか。


 部屋の天井を見上げながらずっとそんな騒がしい一日を思い出していたが、肝心なことを忘れていた。


 そうだ、今日は肉じゃがのお返しを渡すつもりだった。

 しかし今日があいつの誕生日だと知って、いささか躊躇った。


 ただのお返しのつもりが誕生日プレゼントなんて受け取られは……しないか。

 俺が用意したのはハンバーグ。まぁお世辞にもうまいとは言えないが別に不味くはない。


 それに喜んでほしいなんてこれっぽっちも思っていないわけで、やはり味より渡すという事実が大切なのである。


 しかし今日は彼女が帰ってくる気配はない。

 きっと遅くまで友人に、いや友人と呼べるかも怪しいクラスメイトに連れまわされているのだろう。


 ほんと、よくやるよ。

 そんな彼女を待っている俺もほんと……よくやる。


 あーあ、退屈だしコンビニに行こう。

 綴さんにこの前のお礼として今度飯でもどうですかって、誘ってみようか。


 なんてごちゃごちゃと考えながら気が付けばコンビニの前に立っていた。


「いらっしゃいませ。工藤君こんばんわー」

「こんばんは」

「今日は今から夕食?」

「いえ、ちょっと」


 特に何か買いに来たわけではなかった。

 しかしふと目に飛び込んできたのはケーキ。


 誕生日というワードを一日中聞かされたせいだろうが、それでケーキを連想してしまうのはガキなのだろうか。

 

「今日はデザート買いに来たの?」

「え、いやそうじゃないですけど」

「そのケーキ、あと十分で二十パーセントオフになるけど買っていかない?」

「……」

 

 別にこのケーキは天使の誕生日だから買ったわけではない。

 たまたま安売りだったことと綴さんからのお願いが重なった結果であって、決して何か特別な意味はない。


 まぁ、コンビニのしかも安売りのケーキ一つにそこまで言い訳をしなくてもいいとは思うが、決してそうではないと自分にだけは言い聞かせたかった。


「ありがとー。そういえば工藤君は甘いもの好きなの?」

「ええ、まぁそれなりには」

「じゃあさ、今度駅前のカフェ行こうよ。あそこのパフェおっきくて一人じゃ頼みにくいんだー」

「いいですよ。ていうか昨日話聞いてくれたお礼にご馳走します」

「えー、いいよいいよ。年下に出してもらうのは悪いし」

「でも一応男だし」

「なるほど、一理あるね。じゃあ、ご馳走になろっかな」


 なんて気さくな会話の為にケーキを買う俺は今日天使に貢物を献上していた全校生徒となんら変わらないのだろう。


 特定の人と話すために、喜んでもらうために一方的にお金を使う。

 人間なんてそんなもんだ。


 買ったケーキの入った袋を下げてアパートに戻ると、ちょうどというかタイミングがいいのか悪いのか天使のご帰還と被った。


「あ、買い物?」

「え、まぁ。今帰りか?」


 なぜか俺はとっさに袋を隠した。

 天使は俺の買い物袋なんかには目も向けず、ただ疲れたと言ってぐったりしている。


「ええ、今日は盛大に祝ってもらったけど疲れただけ。ほんと、誕生日ってそんな重要かしら。うんざりするわ」

「知るかよ。それよりちょっと渡したいものがあるんだけど」

「え、私に?」


 俺はすぐ部屋に戻って、ハンバーグを入れた容器を冷蔵庫から取り出して外に出た。


「これ、この前の肉じゃがのお返し」

「……あ、そ」

「なんだよそれ、なんか返せって言ったのはお前だろ」

「はぁ、わかった受け取っておく。明日食べてから入れ物返すわ。今日はもうお腹いっぱいよ」


 言いながら彼女は部屋に戻る。

 そして俺も部屋に戻って、ケーキの入った袋をテーブルに置く。


 ……


 はぁ、これもあいつに渡すべきなんだろうな。

 あいつは誕生日なんて祝ってほしくないんだろうけど、隣人として仕方なくだな。

 何をコンビニのケーキ一つでこんなに悩むことがあるのか。ほんと、誕生日ってうんざりするイベントだな。


 ちょうどそんなことを考えていると斉藤に言った言葉がブーメランのように返ってくる。


 男なら素直におめでとうくらい言ってやれよ、か。


 そうだな、一応それくらいはいいだろ。

 俺はケーキを持って外に出て、彼女の部屋のチャイムを鳴らした。


「はい、何よまだ用事?」

「……これ、ケーキ」

「は?なんで」

「誕生日だろ。それだけだよ」

「ふぅん」


 まるで憑きものが落ちたような顔で俺の手に持つケーキを見る。


「……」

「まぁ、安売りしてた品だけどな」

「……あ、そ」


 彼女はケーキを受け取った後、そのまま静かに部屋に戻っていった。

 不愛想な奴だな、安売りとはいえケーキ渡してやったんだから礼くらい言えってもんだ。


 ……ああ、おめでとうって言い損ねたな。

 


 

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