第8話 天使様のお裾分け
知人とラインをするなんていつぶりだろうか。
中学の時なんて、それはそれはよく連絡先を聞かれて困ったというのに。
まぁそのせいでいちいち連絡をするのが面倒になり全員の連絡先をブロックしたのはいい思い出。相当調子に乗ってたなーあの頃は。
おかげさまで、いやそんな昔の俺様のせいで今となれば地元に気のおける友人なんか残っちゃいない。
まぁ険悪になったわけでもないし、今でも顔を合わせれば普通に挨拶くらいはするだろうが、あくまで地元の同級生という関係に留まっている。
誰かひとりでも心許せる友人がいればここまで俺も廃れていなかったかも、なんて居もしない友人に文句を言っても始まらない。
今は目の前の相手に集中しよう。
ええと、『今日はご馳走様でした、またお願いします』とかでいいのかな?
綴さんから来たラインに返事を考えること三十分、ずっとこんな感じだ。
夕暮れ時の薄暗い部屋で一人、携帯の画面の光に顔を青々とさせている。
まぁ別に悩んでいるわけでも緊張しているわけでもなく、ただ久々のラインというものに戸惑っているだけなのだが。
やがて痺れを切らした彼女から『既読スルー辛いよー』なんてメッセージが届いたので『すみません起きてます』という謎の返事をしてしまった。
なかなか字で感情を表現するのは難しい。
向こうはスタンプやら絵文字やらを駆使して明るい雰囲気を演出してくるのだが、俺はどうもそういうのが苦手だ。
だから俺のメッセージだけお通夜みたいに暗く、彼女からも「もっとスタンプとか使おうよー」と指摘される。
まぁこんなぎこちない数件のやり取りでも結構楽しかった。
やがて夜になると彼女からの連絡も途絶え、風呂と夕食の準備をしていると定時連絡のお時間がやってくる。
ピンポンの音にため息をついてから玄関を開ける。
するといつものように天使様のお出ましだ。
「今日、あのあと何してたの?」
「なんだよお前、俺の彼女にでもなったのか?」
「うっさいわね、あなたが誰かに何か話してないか確認するためよ」
「……なんもないよ。それより、晩飯作ってるから今日はもういいか?」
「あら、自炊とは感心ね。ちょっと味見させなさいよ」
言ってすぐに俺の部屋に上がり込もうとする彼女を俺は当然止める。
「なんでだよ。飯までたかろうってのか?」
「あんたの飯がどれだけまずいのか確かめてやるだけよ。いいじゃない」
「確かめられる理由がねぇよ。帰れ」
「……」
何か言いたそうにしている彼女の手元をよく見ると、タッパーに入ったおかずを持っている。
もしかしてこいつ、俺にお裾分けのつもりでやってきたのか?
「それ、くれるのか?」
「なによ、たまたま食べきれなかったからあんたの晩飯に混ぜてやろうと思ってただけよ」
「毒なのかそれ……」
「失礼ね!私は料理も上手なのよ、グズ!」
彼女はそれを俺に押し付けてさっさと部屋に戻ってしまった。
ぐつぐつと沸いたカレーの音が大きくなってきたので慌てて火を止めてから彼女に渡されたおかずを見てみると、肉じゃがだ。
これはこれは。
小説の通り俺にも隣の天使様が肉じゃがを持ってきてくれたではないか。
あの本は予言書か何かか?いや、結果は同じでも随分と過程が違うあたり、あの本はやはりただのラノベだ。
しかし食べ物に罪はない。少々カレーと被ってしまうが俺はそれを先につまみ食うことにした。
……うまい。悔しいけどこれはうまい。
俺は親が作る肉じゃがはあまり好きではなく、どうして肉を使うのなら炒めてくれないのだと理不尽な文句を言ったこともあった。
しかしこの肉じゃがは癖になる。
ご飯のお供にも十分だし、こうして小腹が空いたときのおやつなんかにもなりそうだ。
優等生は伊達じゃない、というわけか。
俺は結局それをあっさり完食してしまい、その後で食べる平々凡々な自分のカレーであの味を消してしまうことに後悔すら覚えていた。
やがて食事を終えた後で、なぜ急に彼女が肉じゃがを持ってきてくれたのかを考えた。
まぁそれは、今日のボウリングのお礼と考えるのが妥当だとすぐに結論づいたわけだが、それでも彼女がこんなことをしてくるなんて何か訳ありな気がして不気味だった。
風呂に入っている間もずっと、あの肉じゃがの味を思い出していた。
あれだけ料理が上手だということは、やはり育ちがいい証拠なのだろうか。
だとすればなぜこんなボロアパートに一人暮らししてるんだ?
……またあいつのこと考えてる、やめよう。
今日は気まぐれ、ただ本当に残飯処理のつもりだっただけかもしれないし、深読みするだけ無駄だ。
風呂から出ると、食器と共に肉じゃがの入っていたタッパーを洗い、部屋に戻ってテレビを見ていた。
夜、そろそろ寝ようとした頃に綴さんから『フットサルの件、また教えてね』と連絡が届いた。
それに対して俺はこの日、返事はしなかった。
できなかったというべきだろうが、敢えてそうしなかったのだからやはりしなかったのだ。
理由はどうあれもう一度サッカーボールを蹴る。それが俺にとっていいことなのかどうかも含めて、しばらく考える必要がある。
問題を先送りにするのは悪い癖だが、そうして弱い心を誤魔化しながら生きていかないと俺みたいなやつはすぐに潰れてしまう。
そんな言い訳で自分を固めながら、逃げるように俺は眠りについた。
翌日、学校に向かおうと家を出るとばったり天使と遭遇する。
字にしてみれば天使との遭遇なんてロマンチックな響きになるが、現実は隣の不良娘との鉢合わせだ。
「おはよう」
「……昨日の、どうだったの?」
「ん?ああ、肉じゃがか。うまかったよ」
「何その語彙に欠けた感想。馬鹿を露呈するような貧相な言葉で私の料理を括らないでくれるかしら」
いちいち毒を吐くことしか知らないのかこの女は。
うまかった、それ以上の感想がどこにある?
「あーあ、気まぐれとはいえこんなのに食されたんじゃ私の料理も浮かばれないわ。しかもあんたのまずい飯と一緒に食べられたんじゃ台無しね」
「随分な言い草だな。誰もくれなんて言ってない」
「食べていいとも言ってないわよ」
「なんだそれ……」
今度からこいつに何かもらっても絶対に受け取らない。
無理矢理渡されても速達返品してやる。
腹が立ちそのまま鍵を閉めて階段を降りると天使がすぐ後ろをついてくる。
「ついてくるな」
「方向が一緒なだけよ。あなたこそ道をかえなさいよ」
「なんでお前に譲る必要があるんだ。お前がどっかいけ」
「指図すんなヘタレのくせに」
「うるさい煙女」
「やめたって言ってるでしょ、過去のことネチネチ言うなんて小さいやつ」
こんな調子で仲睦まじくお喋りしながらこいつと登校するなんて、ほんといい朝だ。
ああ、いい朝だよほんと。
ほんと……うんざりだ。
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