第7話 天使様は万能である
休日は多くの学生で賑わうこの場所も、今日は閑散としていた。
それは都合がよかった。こいつと一緒にいるところを誰かに見られたくはないからだ。
それは天使も同じようで、しきりにキョロキョロしては知り合いがいないか確認していた。
「そこまでするなら一人でいけよ」
「そう言うわけにもいかないのよ。優等生でおしとやかな私が一人で休日にボウリングなんて、イメージダウンもいいとこだわ」
「男といるのはいいのか?」
「まだその方がマシよ。あなたに無理やり誘われて仕方なくって言い訳できるもの」
「マジで性格悪いなお前……」
やる前からうんざりしながらも、さっさと受付を済ませてシューズを借りてから各々ボールをとって自分たちのレーンに行く。
「言っとくけど一ゲームだけしか付き合わないからな」
「それで十分よ。長居して誰かに見られる前に帰りたいし」
こんなにウキウキもワクワクもドキドキもしないボウリングなんて初めてだ。
中学の時はよく部活帰りにチームメイトと行ったものだが、その時は毎日楽しみで仕方なかったボウリングが、行く相手によってここまでつまらないものになるなんて想像もできなかった。
まず、俺が投げるのだが、一回投げてみると自分の今の状況というものを嫌というほど思い知らされる。
一年間何もしてこなかったので筋肉は衰えて、中学の時に使っていた重さのボールが鉛のように重い。
それに、右手で投げた時に踏ん張った左足に力が入らない。
けがをした足が一年経ってもここまでしか回復していない現状を知り、俺は少し萎えた。
集中力を欠いたボールは右に逸れて、結局七本倒れたピンを見つめながら席に戻る。
「なによ、やる気ないの?やるならちゃんと」
「わかってるよ!」
「そ、そんなにムキにならなくてもいいじゃんか」
「あ、すまん」
情けない、イライラを人にぶつけてしまうなんて。
しかもあんな不良とはいえ女子に声を荒げてしまう自分にまたうんざりする。
一方の天使は、言った通りストレスが溜まっていたのか思いきりボールを投げ込む。
さすがの運動神経といったところか、綺麗なフォームで投げ込まれたボールはピンの中心に吸い込まれてストライクが出た。
得意げに戻ってくる彼女は、それでも何も言わずに席について携帯を触る。
「やるじゃん」
「当然よ。私、何でもできる優等生だから」
「ボウリングの実力は優等生に必要ないと思うけどな」
「あるわよ。みんなに誘われた時にかっこ悪いところ見せたら私のイメージが台無しでしょ」
もうすでにお前のイメージなんて最悪も最悪だよ。
とはいってもそれは俺の中だけの話で、他の奴からすればこいつは完璧美人の優等生なわけで、こんな態度の悪い女のことなんか知る由もないのだろうが。
俺は少し痛む膝をカバーしようと、今度は左手で投げてみた。
利き手じゃない分難しく思えたが、変な癖がついていない分真ん中には投げられる。
もちろんスペアをとるような器用さはなく、最後に一本の子ったピンを残したまま俺の番は終わった。
「何、左利き?器用さアピールのつもりかしら」
「俺のことはいいだろ、競ってるわけでもないんだから。それよりさっさと投げろよ」
「あんまり相手がへぼだと張り合いがないだけよ。ちゃんとしなさい」
そう言って彼女はまたストライクを出す。
恐れ入った、もうプロボウラーにでもなった方がいいのではないかと思うほど彼女の腕は一流だ。
そんな調子で投げ進めていき、俺のスコアは九十七、彼女は百九○という結果で終了した。
「あー、しょぼっ。なんか消化不良だわ」
「俺はもう帰るぞ。やるなら一人で勝手にどうぞ」
「わかってるわよ、私も帰るって。それより、あんた左利きじゃないでしょ?」
靴を履き替えながら帰り支度をする彼女が俺の方を睨むように見上げて言う。
「まぁ、左膝が痛かったんだよ」
「なにそれ、怪我?」
「まぁ、そんなところだ」
「膝が痛いなんて年寄りみたいなこと言うわね。だっさ」
俺はその言葉にぴくっと反応した。
誰が好き好んでこんな体になるものかと彼女を怒鳴ろうとすら思ったが、やめた。
こいつは俺の事情を知らない。知らない奴からすれば膝の悪い高校生なんてじじいみたいだと思っても当然だ。
だから言葉を吞みこんだが、さすがにすぐにイライラを全て消化できるほど人間が出来てはいないので、無言でシューズを返却しに行って返却ボックスに少し強めにそれを放り込んだ。
こういう時、喫煙者は一服してストレスを煙と共に吐き出しているのだろうか。
そんなことを考えてしまうくらいに、俺はムカムカしていた。
「じゃあ、俺はせっかくだからここの本屋にでも寄って帰るから」
「ええ、私は疲れたし帰るわ。まぁ、一応付き合ってくれてありがとうとだけ言っておくけど」
「最初で最後だからな」
「こっちこそ願い下げよ」
最後まで言い合いは避けられず、お互いに顔を逸らしてその場で別れた。
本屋に寄っていきたいなんて嘘だ。本当は同じ方向に帰るのが嫌だっただけ。
適当に時間を潰してから俺は店を出る。
そして昼を少し回っていたので帰りに何か買おうと、綴さんのいるコンビニへ寄る。
「いらっしゃいませー」
綴さんは忙しそうにレジを打ちながらも俺の事を見つけて小さく手を振ってくれた。
俺は別に彼女と話をする目的で入ったわけでもないのに、店が空くまで少し立ち読みをして時間を潰していた。
すると少しして彼女の方から俺のところにやってきた。
「ごめんねー、さっきちょっと忙しくて」
「いえ、大変ですね仕事」
「でも今日はこれで終わり。日曜はお昼までなんだ」
「そうですか。俺もちょうど昼飯買って帰ろうかと」
「ちょうどよかった、私もまだなんだお昼。よかったら一緒にどこか行かない?」
突然の誘いに俺は思わず立ち読みしていた雑誌を雑に置いた。
「え、いいんですか?」
「一人だと寂しいし、それに今日給料もらったからお姉さんおごっちゃうよー」
「は、はい。それじゃ是非お願いします」
「よーし、じゃあ着替えてくるから待っててね」
思いがけぬ幸運、なんて言えばまるで俺が喜んでいるようなのでそんな表現は避けるが、ただ飯にありつけるのであればやはりそれはラッキーだ。
私服姿に着替えてきた綴さんと一緒に店を出て、駅の方へ一緒に向かうこととなった。
「ごめんね、ちょっと距離あるけど足大丈夫?」
「歩くのは平気ですよ。走るのも、今ではそれなりに」
「じゃあ、天才少年の復帰ももうすぐ、とか?」
「それはないですね、今日だって……」
今日だって、ボウリングの球を投げるだけで精一杯な体で何もできないと、そう言いかけてやめた。
誰と行ったのか、なんて詮索をされるのが嫌だったというより、天使みたいな不良と一緒に行った事実を知られたくなかったからだと、そう思っている。
「いや、まぁ遊び程度なら」
「ほんと?じゃあ今度うちのサークルに遊びに来ない?フットサルなんだけど」
「綴さん、フットサルとサッカーは別物ですって話してたじゃないですか」
「わかってるけど、うちはサッカーサークルがなくって。部活の方だと結構ガチガチでバイトできないし」
道中で俺は綴さんのサークルに誘われた。
それ自体は嬉しかったが、どう答えるかは迷った。
あれ以来サッカーボールは蹴っていないし、見たいとも思わない。
だから一言だけ「考えときます」と返してこの話は終わりにした。
駅前につくと、彼女が近くにあるファミレスを指さす。
「あそこでいいかな?私、ここのドリア好きなの」
「ご馳走になる身なのでお任せしますよ」
「わーい、じゃあ早速行ってみよー」
二人で入ったその店の中は、多くの家族連れやカップルで賑わっている。
ここのメニューなんてどれも一品数百円だが、それでも幸せそうな顔で
食事をするその光景を見ると、食事って何を食べるかではなく誰と行くかがいかに重要かということがわかる。
レジャーなんてそんなものだ。何をするより誰と行くかの重要性はさっきのボウリングで嫌というほど実感した俺は、ここに来た相手が天使でなく綴さんでよかったと心底安心していた。
「さて、なんでも好きなの頼んでね。っていってもどれも安いけど」
「いえ、外食なんて久しぶりだからテンション上がりますね」
まさか綴さんとこうして食事をすることになるのは予想外だったが、久しぶりに誰かと食べる食事は楽しかった。
ただひたすら空腹を満たすためだけの食事ではなく、誰かとその味を分かち合う喜びを持った食事は新鮮で、いつもより食欲が出てしまいついつい遠慮なく頼みすぎてしまった。
「はぁ、いっぱい食べたね。さすが高校生はよく食べるねー」
「目線がオカンみたいになってますよ綴さん。でも、ほんとご馳走様でした」
「私も楽しかった。サッカーの話いっぱい聞けたし、また誘っていい?」
「え、もちろん俺はいいですけど」
「じゃあ誘っちゃお。よかったらライン、教えてよ」
今日はストレスの溜まることも多かったが、いい休日の締めくくりを迎えることができた。
綴さんと連絡先を交換してから店を出ると、あのコンビニまで一緒に帰って別れることにした。
「私の家、すぐそこだから。気を付けてね」
「ええ、俺もそこなんでまた。今日はごちそうさまでした」
「いえいえ、お粗末さまでした。ってちょっと違うか。じゃあね」
手を振りながら遠くなる彼女を見ているとほっこりした気分になる。
俺より三つも年上なのに、全然そうも見えないあどけなさが彼女のいいところだろう。
短い帰り道でそんなことを考えていた俺の顔は随分と緩んでいたように思える。
そしてアパートについて玄関を開ける時、チラッと天使の部屋の玄関を見た。
こいつも、あの人くらいとまではいかないがもう少し素直ならな。
なんでそんなことを考えたのかは知らない。ただの気まぐれだと、そう思う。
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