第6話 天使様は後悔しない

 今日の放課後は斉藤も寄ってこなかった。

 だから俺は一人でぼーっとした後、誰もいなくなった教室を一人で出て自転車を取りに行く。


 一人で帰る途中、ふと天使の事を思い出す。

 まぁ思い出すとは言ってもうまそうに煙草を吹かすシーンばかりが目に浮かぶのだが。


 ……禁煙、させた方がいいな。

 そう思ったのも、何もあいつの心配をしてではない。

 いつまでもあいつの一服に付き合わされていたのではいつか俺までとばっちりを喰らいそうだからだ。


 それに最近はベランダでは吸ってないようだが、火事の原因にもなるし綴さんのコンビニであいつがそれを買わないとも限らない。


 だからあいつの為ではなく、自分の為に禁煙を勧めよう。

 そう思ってアパートに戻ると、ちょうどどこかへ行こうとする私服姿の天使が階段から降りてきた。


「あ」

「あ、じゃねえよ。お出かけか?」

「まあね。人気者は誘いが多くて大変なの」

「タバコくさいぞ」

「え、うそ、マジ?」

「冗談だよ」

「……サイテー、死ね!」


 俺に罵声を浴びせながら天使は走っていってしまった。


 そんなに気にするんならやめろよマジで。

 

 ……今日、あいつが帰ってきたら話でもしようか。

 いや、なんで俺がそこまでしないといけない。

 隣の部屋なのも何かの縁ではあるが、あいつがこうなったのは自己責任なわけで、俺はそれに振り回されて……


 まぁあいつが止めてくれたおかげで俺は今、あいつみたいにならずに済んだと考えれば、一度くらい忠告するのが筋ってものか。


 ああ、そうだ。そのお返しに一度だけ忠告しよう。

 それだけだ。


 夜になって部屋でテレビを見ていると、階段を誰かが登ってくる音が聞こえた。


 どうやら天使様のご帰還のようだ。


 俺は外に出てみた。すると、ちょうど玄関を開けて中に入ろうとする天使の姿を見つけた。


「おかえり」

「なによ、待ち伏せ?」

「いや、ちょっと話しないかなって」

「はぁ?私今イライラしてるから一服してからでいい?」

「……その一服についてだ」


 まるで街で不良とやり合ってきた後みたいな酷い剣幕の彼女はとてもダルそうにしながらも部屋の鍵を閉めてこっちにきた。


「まぁ、一応今日は借りあるし話くらい聞いてやるわよ」


 言って俺の部屋に自然と上がり込む天使だったが、俺の部屋にくることには抵抗はないのだろうか。

 俺だって一応年頃の男子、何もするつもりはないが何かされるかもなんて思わない辺り、信用されているのか?


 ……いや、相手にされていないだけだろうな。


「で、話って何?」

「お前、禁煙しろよ」


 俺は単刀直入に言った。

 まどろっこしいのは嫌いだ、言いたいことをそのまま伝える。


「は?なんであんたにそんなこと」

「いいから聞けよ。お前がどうなろうと俺は知らない。でも、見過ごすのも今日で最後だ。明日からは見つけたら容赦なく先生に叩き出す」

「急に優等生ぶるつもり?はっ、いいわよ別に。そんなことしたら私、何があってもあんたのこと潰すから」


 毒を吐く天使の言葉を聞いて、俺はある場面を思い出した。


 そう、俺が入部するはずだった、そこにいたはずだったサッカー部で、先輩達がロッカー室で話していた会話だ。


 『何がなんでも潰せ』


 俺がグラウンドに出る前に小声で誰かがそう言ったのを俺は聞いていた。


 なんのことだろうと、まだ中学を卒業したばかりの俺はあまり気にしていなかった。

 いや、もしかしてなんて気持ちはあったが疑うことをしなかったのだ。


 あの時もし俺がもう少し人を疑っていれば、なんて後悔は病院のベッドの上で数え切れないほどした。

 それにどうしようもなかったところもあったし、今更それについて悲観的にはならないが、目の前のこいつはまだやり直せる。


 あの時こうしていればよかったなんて後悔は、誰にだってしてほしくない。例えそれがどうしようもない性悪女であろうと。


「ちょっと、話聞いてるの?」

「あ、あぁすまん。でもな、見つかってからやめておけばよかったなんて後悔しても遅いってことだけはわかっておけよ」

「まるで経験があるみたいな言い方ね」

「……後悔したことはたくさんあるさ。死ぬほど後悔ばかりしてきたから言えるんだ。今のうちに煙草はやめろ、それだけだ」

「ふん、何があったか知らないけどあなたはあなた、私は私よ。私は自分で選んだことに後悔なんて、しない」


 言って彼女はさっさと部屋を出て行く。

 俺は追いかけるでもなく、彼女が出て行ったのを見計らってからドアの鍵を閉めた。


 まぁお節介だとはわかっている。

 あいつの人生だからあいつがどうしようと勝手だと、俺もその意見には同意する。

 

 だからもう二度とあいつに煙草をやめろとは言わない。

 言う必要も、理由もない。


 しかし今日を境に彼女が煙草を吸う姿を見なくなった。

 最初の数日はただの偶然かと思っていたが、さすがに一週間も経てばその違和感が本物であると気づく。


 禁煙、したのか?

 聞こうと思ってはいたがなぜか聞きづらく、毎日顔を合わせてはいたがそんな会話にはならなかった。


 そしてある日曜の朝、俺は本屋に行く前にとコンビニに寄った。

 すると夜間のシフトでしか見たことのなかった綴さんがレジにいた。


「あ、工藤君おはよう。日曜なのに朝はやいね」

「おはようございます。綴さんこそ日曜までバイト始めたんですか?」

「ちょっとお金が必要でねー。ゼミ旅行ってやつ、沖縄に。ほら、ゴールデンウィークだし」

「いいなぁ大学生って。気楽そう」

「こらー、大人をバカにするもんじゃありません」


 綴さんはいつも通り明るく話してくれる。

 そんな彼女の話を聞いて、ふとゼミ旅行って男も一緒にいくのだろうかなんて考えてしまったのは別に嫉妬ではない。


 大学生ってそういうところ緩い人多そうだから、綴さんもそうなのかな、なんてことを少し考えただけだ。


「工藤君は連休、どこか行かないの?ほら、彼女とデートなんて」

「まずその話の大前提である彼女がいませんよ」

「えー、工藤君ってモテそうだけどなぁ。スポーツだって万能なんだし」

「万能だった、にしてくださいよ」

「あ、ごめん、そだね……」


 別にそういうつもりではなかったのだが、俺のツッコミに彼女が気まずそうに伏せてしまった。

 

「あ、いやすみません別に俺はもう気にしてないんで」

「うん、でもごめんね無神経なこと言っちゃって」

「だからいいですって。それより、綴さんこそ彼氏とかいないんですか?」

「私?いないいない、寄ってくるのはいつも変な男子ばっかでさ。ほんと、工藤君みたいなイケメンなら考えるけど」


 綴さんのその言葉は冗談だとすぐにわかる。

 おどけるように話す彼女の様子を見れば考えるまでもない。

 ただ、そうやって褒めてくれると人間誰しも悪い気はしないというか、少し気分がよくなるのは確かだ。


「じゃあ、俺が大学に行って彼女いなかったら綴さん探してお願いしようかな」

「えー、それいつの話なのよ。ま、その時は考えてあげる」


 会話に花が咲いた頃、ちょうど客が数人入ってきたので俺もさっさと朝飯のパンを買うことにした。

 そしてレジをしてもらっている時に、脇にある煙草に目がいく。


「綴さん、最近あの赤い髪の女の人、煙草買いに来た?」

「そういえば最近見ないかな。どうしたの、もしかして一目惚れとかとか?」

「すぐそういう話に結び付けないでください。いや、来てないんならいいんですよ」


 パンをそのまま受けとって、お邪魔しましたと彼女に声をかけてから俺はコンビニを後にする。


 やっぱりあいつ、禁煙したのかな?

 なんだ、案外素直なところあるじゃないか。


 そう思うと何故か嬉しかった。

 いや、嬉しいというよりはホッとしたという方が正しいか。


 少し気持ちが軽くなったと同時に足取りも軽快になり、そのまま本屋に行ってから目当ての漫画を買ってから戻る途中で俺は赤い髪の不審者を発見した。


「おい、こんな暑い日にコートきて何してる?」

「く、工藤君?べ、別に私は寒がりなのよ」

「煙草、買いに行くのか?」

「……あれから吸ってない、わよ」


 どうしてそこまで悔しそうにする必要があるのかは知らないが、唇を噛んで彼女は言う。

 並んで歩きながら、俺は彼女の目を見るでもなく話を続ける。


「ならいい、忠告守ってくれてるんだな」

「べ、別にあんたに言われたからじゃないわよ。お金、かかるから。それだけ」

「理由はなんでもいいって。それで、イライラしないのか?」

「する……暴れたい」

「こわっ……人襲うなよ」

「人をなんだと思ってるのよ!……そうだ、ストレス解消にちょっと付き合いなさいよ」


 言って彼女は俺の前に立ちはだかった。


「ストレス解消って……なんだよ」

「そうねぇ、ボウリングでもやらない?思いっきりピンを張り倒したいのよ」

「一人でやれよ」

「いやよ、一人でなんてぼっちみたいでダサいじゃない。私に禁煙しろって言うんだからそれくらいの責任はとりなさい」

「……奢らないからな」

「なによ、ケチ」


 文句を言われながらも彼女について行く自分のお人好しさ加減にはほとほと嫌気がする。


 なんて自虐的になりながらも、揺れる赤い髪を目印にしながら歩いて行き、俺は近くのショッピングモールの中にあるボウリング場に、天使と二人で入ることになった。

 

 


 

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