第5話 天使様はお疲れである
「はい……何の用事だ」
「露骨に嫌そうな顔するのやめてくれる?ムカつくから」
「文句を言いに来たんなら明日にしてくれ。もう眠い」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
来訪者は隣の天使様だった。
話す息が時々ヤニ臭い彼女は俺が扉を閉めようとすると慌てて取り繕っていた。
「あのさ、ちょっとあがっていっていい?」
「は?今度は何の要件だ」
「いいから、入れなさいよ」
「……勝手にしろ」
また彼女が部屋に来た。
今日はきちんと靴をそろえて脱いでから、俺についてくるような形で部屋に入ると俺に訊いてくる。
「ねぇ、あそこの店員さんって知り合いなの?」
「あそこ?ああ、そこのコンビニのことか。まぁ、こっちにきてからたまたま仲良くなっただけだ」
「へー、あなたみたいなのと仲良くしてくれる人いるんだ」
「嫌味を言いに来ただけなら追い出すぞ」
「わかったわよせっかちね。あのさ、私の話してないよねあの人に」
「またそれか。するわけないだろ。知り合いだと思われる方が迷惑だ」
「何その言い方、マジでムカつく!私だってあなたのこと知り合いだとは思ってないわよ」
じゃあ見ず知らずの男の部屋に入ってくるなよと盛大にツッコみたかったが、これ以上言い争うのも面倒なのでやめた。
結局こいつ、イキがってはいるが臆病なのだ。
自分の本性が人にバレるのが怖いだけのビビりだ。
「そこまで気にするならもうやめろよ。演技するのも煙草吸うのも」
「別に私がどう生きようと勝手でしょ?」
「じゃあそれに人を巻き込むな。迷惑だ」
「……自分だって煙草吸ってたくせに」
「だから俺はやめただろ。お前とは違う、あの時は病んでただけだよ」
「……ムカつく」
天使はどうもイライラしている。
また煙草が切れたのか、部屋で体育座りをしたまま、貧乏ゆすりをしている。
「あのさ、煙草吸うなとは言わないからそこのコンビニで煙草買うのはやめろ。店の人に迷惑がかかる」
「へぇ、あの店員さんのこと好きなの?」
「なんでそんな極端な話になるんだ。知り合いがお前みたいなやつのせいで迷惑するのが見ていられないだけだ」
「あ、そ。でも、あの人と話してる時のあんたの顔相当キモかったよ」
「う、うるさい!用が済んだらさっさと出ていけ」
「はいはい、いちいち怒鳴らないでようるさいわね」
スッと立ち上がって出て行こうとする天使は、俺の机の上に置いてあった本を見てから、俺の顔を見てきた。
「こういうの、好きなんだ」
「なんだ、オタクだとでも言いたいのか」
「いえ、別に」
彼女は静かに部屋から出て行った。
なんだ、最後はやけに大人しいじゃないか。
いつもそれくらいなら可愛げが……いや、可愛くはないな。
邪魔は入ったが、ようやく静かになった部屋で読書を再開した。
現実の天使が口の悪いニコチン中毒な分、創作の中の天使で癒されよう。
俺は夜遅くまでそれを読みふけり、知らないうちに眠っていた。
翌朝はそのせいでいつもより目覚めが遅かった。
慌てて準備をした後、朝食や弁当を準備する時間もなかったので朝のコンビニによると、今日は客としての綴さんとばったり会った。
「あ、工藤君。二日連続で会うなんてはじめてだね」
「おはようございます綴さん。ちょっと寝坊しちゃって朝飯と昼飯を」
「高校生って朝早いよねー。ま、私もこれから駅に向かわないと二限に間に合わないんだけど」
いつものコンビニの制服ではなく、大学生らしい私服姿の彼女は少し新鮮で大人っぽく見える。
こんな人が大学にはたくさんいるのだろうか、いや綴さんはその中でも目立つ方だと思う。
「ほら、早くしないと時間ないんじゃない?」
「あ、そうだった。じゃあ綴さん、また」
サンドイッチを持って自転車にまたがる俺に「またねー」と手を振る彼女の姿は今朝の目の保養には十分だった。
たまには純粋で可愛い女性を見ていないと気が狂いそうになる。
なにせここ最近顔を合わせるのはジキルとハイドみたいな女だからだ。
暖かくなってきたおかげもあって膝の調子もいい。
自分の状態を確かめるように自転車を漕いで学校に向かう途中、焦ったように走る女の背中が見えた。
見捨てればよかったのだろうが、なぜか俺は速度を緩めて声をかけてしまう。
「天使?」
「あ、工藤君。自転車なんか持ってたの?」
「まぁ、今日は遅かったし」
「ちょうどよかった、乗せて」
「は?いやだよ遅刻しそうだし」
「私も遅刻しそうなの。お願い、乗せて」
両手を合わせて懇願する天使はいつものようにエラそうにしない。
相当困ってるのだろう、全力で俺にお願いする姿は不良の彼女とはまた違う一面ではあった。
「高くつくぞ」
「なによ私を後ろに乗せられるなんてむしろご褒美でしょ」
「……じゃあな」
「う、うそうそ!お願いします!」
人にものを頼むなら最後まで謙虚を貫けバカ。
なんて思いながらも結局天使を後ろに乗せてしまうあたり俺はやはりお人好しなのだろう。
「急いで急いで、絶対遅刻とかしたら許さないから」
「うるさいな、不良のくせに」
「私はみんなの憧れでみんなの理想なの。だから遅刻させたら許さないから」
「……うざ」
マジでうざい。
なんだこの高飛車女は。
おまけに遅刻するなとか言うくせに、ここの道は人がいるから裏に回れとか指図まで出してくる始末。
ギャーギャー吠えるので仕方なく従ってはいるが、次こういうことがあったらまずお前を避けて学校に行くことにするよ。
「よし、間に合うわね。ここで降りるわ」
校舎の裏門についた時、天使はサッと飛び降りで颯爽と行ってしまった。
俺はイライラしながら駐輪場まで戻り自転車を置いていると始業のチャイムが鳴った。
遅刻だ。
俺は人生で初めてとは言わないが、高校になってから初めての遅刻をこんな不本意な形ですることになった。
気まずそうに教室に入ると、既に朝のホームルームが始まっていて先生に注意を受けた。
クラスの知り合いは斉藤くらいなので、特に他の生徒からのリアクションはなかったが、何事もなかったかのように隣の席にいる天使を見て俺は無性に腹が立った。
このくそ女、マジでいつか復讐してやる。
そんな怒りに満ちたまま午前中はあっという間に過ぎた。
やがて昼休みになると、どこからともなく沸いてくる天使様を囲む会が教室を埋め尽くしていく。
俺は逃げるように一人で廊下に出て、今日は屋上で弁当を食べることにした。
ここに来ると妙に落ち着く。
世界に俺一人が取り残されたような、そんな孤独感が俺を包むのだがそれがなぜか心地いいのだ。
静かで、青い空と白い雲を眺めながらぼーっとするのが好きだ。
青空の下で激しく体を動かしていたあの頃にはなかった心境である。
あの頃は雨が降って練習が中止になる方が嬉しくて、むしろ快晴の空なんて嫌いだった。
サッカーから離れたことで俺の人生は一度は崩れかかったが何も悪いことだけじゃなかったと、今こうしていると実感できる。
コンビニ弁当を開けて一人それを味わっていると、いつもなら誰も来ない場所なのに屋上と階段を繋ぐ扉がギッときしむ音を立てて開いた。
「げ……」
俺に向けて発せられたその声の主は天使だった。
「なんであんたがいるのよ」
「いや、人の顔見て「げっ」とか言うなって言ったくせにそれはないだろ」
「最悪、また吸えないじゃん……」
彼女はどうやら一服しに来たようだ。
「どうでもいいけど学校にいる間くらいは我慢しろよな」
「だって、学校の方がストレス溜まるじゃない」
「はぁ……見張っててやろうか?」
「べ、別にいいわよ我慢するわ」
そうは言っても彼女はそわそわして落ち着きがない。
見かねて俺は扉の前に行き、見張りを買って出る。
「見ててやるから、吸えよ」
「……優しくしても何も出ないわよ」
「お前がイライラしてるのを見せられる方が鬱陶しいだけだよ。さっさとすっきりしてこい」
「何よエラそうに」
そうは言っても吸いたくて仕方なかったのか、屋上の端の方に行くと煙草に火をつけていた。
しかしまぁこんなことしてて、においとかで誰かに勘付かれたりしないのか?
「はぁ、疲れる」
「おっさんか」
「うっさい、優等生は大変なの」
「なぁ、どうしてそこまで優等生に拘るんだ?」
「そ、それは……」
彼女は煙草を吸う手を止めて、下を向いた。
何か言いたくないことでもあるのだろうか。
「……」
「いいよ、わかった聞かない。事情があるんだな」
「べ、別に大したことじゃないわよ。ただ優等生でいた方が色々便利だから。それだけよ」
「便利ねぇ。苦労してるようにしか見えないけど」
「必要な我慢よ。得してることの方が多いわ」
「あ、そ」
必要な我慢。彼女はそう言った。
しかし我慢を強いられてまで彼女が得たいものとは一体なんなのだ?
別に顔はいいんだし、あんなクズでも貰い手の一つくらいあるだろう。
金持ちでも捕まえてさっさと結婚すればいいんじゃないか、なんて安易な発想は女性に対して失礼かもしれないが、そこまで無理をする理由が俺にはわからなかった。
「ふー、すっきりした」
「もういいのか?じゃあ俺はいくから」
「あの」
俺が下に降りようとした時、彼女に呼び止められた。
どうせまた黙ってろとかそういうことをエラそうに言うのだろうと思いながらも彼女を見ると、少し申し訳なさそうに顔を伏せている。
「今日は、その……ごめん。私のせいで遅刻……」
「ああ、それか。もういいよ、それよりもう遅刻するなよ」
「してないわよ!それにあんたの方こそ」
「誰のおかげだよ誰の」
「……感謝はしてるわよ」
全く、感謝するなら最後までしろって話だ。
まぁ、一応そういうことくらいは気にできる程度の常識はあったんだなと思うと、まんざらあいつのことをクズだのゴミだの言うのはやめてやろうという気持ちにはなった。
先に教室に戻り。席について本を読んでいると斉藤が話しかけてくる。
昨日の本はどうだったなんて話で俺を離してくれないので仕方なく会話を続けているとやがて天使が教室に戻ってきた。
無言のまま隣に座った瞬間、香水のいい香りが漂う。
なるほど、こうやって匂いを消していたのかと改めて理解はした。
すぐに群がる女子たちも彼女に「いい香り、どこの香水使ってるの?」なんておべんちゃらを言っている。
それに対して得意げに聞いたこともないようなブランド名の香水を勧める彼女はさっきまで屋上でぷかぷかしていた女には到底見えない。
いや、やっぱりこいつはさっきのスモーカー女と同一人物で間違いなさそうだ。
シャーペンの持ち方が完全に煙草を持ってる手になってんだよバカ女。
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