第3話 天使様は人気者

 新年度を迎えた学校は朝から騒然としている。

 

 新二年生となった俺は、この日も一人で学校に通う。

 正門をくぐり横のグラウンドで練習をするサッカー部の様子を横目で見ると、俺の将来を奪った奴らがお気楽な顔でボールを蹴っている。


 最初の頃は殺してやりたいほど憎かったが、今となればしんどい練習から解放されてむしろ良かったと、そんな風に思えるようになった。


 心の傷も、体の傷も、時間がある程度は癒してくれる。

 嫌なことも辛いことも、時が経てばある程度は忘れられる。

 そう、ある程度は。


「おはようございます天使さん」

「霞さんごきげんよう、今日も綺麗ですね」


 大広間のあたりにできる人だかりの中心には天使霞がいた。

 彼女は大勢の女子に囲まれてチヤホヤと持ち上げられて嬉しそうにほほ笑んでいた。


 よくあんな嘘笑いができるものだと、俺は彼女の方をチラッと見てから新二年生の校舎へ向かう。


 女は嘘をつく生き物だ、なんていうけどあいつの場合は天使霞という存在そのものが嘘である。

 名前こそ偽名でないだけで、中身は全くの別人。詐欺のレベルをはるかに超えている。


 仮にあいつの本性を知らないまま付き合ったり結婚する男がいたとしたら、そいつには同情くらいはしてやろう。なにせ世の男性の被害を一身に引き受ける人身御供となるのだからそれくらいはないと可哀そうである。


 ま、俺には縁のない話だ。仮にあったとしてもそんな縁はこっちからぶち切ってやる。


 さて、どうでもいいが早く座りたい。新しいクラスは……二組か。


 大きく貼りだされたクラス表から自分の名前を探して、俺はさっさと自分のクラスに向かう。


 そして中に入ると数人の男女が既に仲良さそうに話していたが、無視して席割を見てから自分の席へ座る。


 ツイていると思ったのは、今年も後ろ角の窓際の席だったことだけ。

 中学までは俺もチヤホヤされて、座っただけで勝手に周りに人が集まっていたし俺と一緒のクラスになって泣いて喜んでいた女子もいたのを思い出す。


 ああ、あの頃の俺って恵まれてたんだな。

 今となれば自分がいかに特別な環境にいたのかがよくわかる。


 しかしもう戻れないのだから戻りたいとは思わない。

 もしかしたら違う未来があったかも、なんて考えないこともないが、今は今でぼっちライフを満喫しているのだからいいではないか。


 静かに読書をして、静かに弁当を食べて、静かに一人で帰る。

 そんな生活もまた悪くはない。


「あの、すみません」


 そんな俺の静寂に満ちた世界に踏み込んでくるやつがいた。

 見るとなんともひ弱そうな男だ。


「何?」

「あ、ごめん、なさい。それ、好きなの?」

「え、この本?ああ、好きだけど」

「ほんとに?僕も好きなんだ。どこまで読んだ?」


 なんだこいつ。えらく馴れ馴れしいけど。


「いや、お前誰?」

「あ、ごめん。僕、斉藤元さいとうはじめっていうんだ。同じクラスだからよろしく、ええと……工藤君」

「俺の名前、知ってるのか?」

「うん、さっき席割表で見たから」

「ああ、そういう」


 サイトウハジメとは何とも大層な名前だ。

 剣道部なんかに所属していたら一躍注目されそうな名前だが、ビジュアルは小柄で弱そうで、女の子っぽい男といったところ。

 とても同姓同名の剣豪にはなれそうもない雰囲気だ。


「それでさ、その本なんだけど」

「……はぁ、なんだよ」


 俺の静寂を壊した斉藤は、その後もずっと俺の席で本の話題で一人盛り上がっていた。

 こいつも俺と同じぼっちなのか。


 久しぶりに学校で人と話すのは少しおっくうではあったが、勝手にぺらぺら喋ってくれるので、俺は時々首を縦に振りながら話を合わせていた。


 するとゾロゾロとクラスメイトが教室に入ってきた。

 そのほとんどが女子で、中心にはなんと天使がいた。


「げ……」


 俺は思わず変な声が出た。

 それを聞いてか聞かずか、彼女も俺の方をチラッとだけ見てきたがすぐに女子たちの会話に戻る。


 最悪だ。まさか同じクラスになるなんて新学期早々、バッドニュースだ。


 更に嫌な予感が俺を包む。

 席割を見た彼女は、どんどん俺に近づいてくるではないか。

 まさかそんなはずはないだろうなんて思っていても現実は無常である。


 彼女は俺の隣にスッと座り、カバンを机の横にかけた。

 まさか席まで隣とは……席割よく見ておくべきだった。いや、見たところで結果は変わらないが。


「わっ、天使様だ。工藤君、天使様と同じクラスだよ」

「ああ、みたいだな」

「すごいなー、学校のアイドルと同じクラスになれるなんて」

「斉藤、お前もあいつのこと好きなのか?」

「え、もちろんだよ。この学校でファンじゃない男なんていないよ」

「へぇ」


 ご愁傷様、どうぞ頑張ってください。

 別にあいつを好きになるなとは言わないが、いくら美人でも中身がゴミみたいなあの詐欺天使に憧れてるだけ、青春の貴重な時間を不毛に消費するだけだと俺は知っている。


 だからこの学校の男子全てが彼女の被害者だ。

 いっそ本性をバラしてやった方がみんなの為に、なんて思ったりもするがそれこそみんなの為に行動する理由や義理がないのでするわけもないが。


 だからご愁傷様、頑張ってくださいとだけ言っておこう。


 やがて新しい担任がやってくる。

 倫理の浅野先生は気の強そうな女教師。二十八歳独身というどうでもいい自己紹介を聞きながら俺は窓の外を見ていた。


 そしてしばらくすると始業式だと言って体育館へ向かう。

 その道中も天使の周りには多くの生徒が押し寄せていた。


 しかし彼女がどうしてそこまでして人気者、優等生であろうとするのかは不思議に思った。

 単純にちやほやされたいから、という理由だけでは振る舞いこそ演技でごまかせても勉強はそうもいかない。

 陰で努力はしてるのだろう。しかし何のために?


 校長や教頭のつまらない話を聞きながら俺はずっとそんなことを考えていた。


 昼休みになると彼女の周りは男女で溢れかえる。

 一緒にお弁当を食べようと誘うものから、連絡先を教えてくれというやつまで様々だ。


 そんな彼女が隣にいるものだから俺の席の前も人でいっぱいだ。

 鬱陶しいので外に出て、静かな階段を探して一人で弁当を食べる。

 

 さっき俺に話しかけてきた斉藤も、どうやら野次馬の一人に成り下がっているようだ。

 頑張れ斉藤、お前の努力は実らない。いや、むしろ実った後の方が傷つくから憧れを抱いたまま卒業しろ。


 なんて人の心配ができるようになっただけ俺も随分余裕ができてきたということか。

 以前なら見るものすべてが妬ましいと思って、近寄るなオーラを全開にしていたはずだが、随分丸くなったものだ。


 ぼっち飯を済ませた後、しばらくブラブラしてから戻ろうと人のいない校舎裏を歩いていると、前から天使が歩いてきた。


「あ、天使」

「なによ、呼び捨て?」

「い、いやすまん」

「ま、別にいいけど。それより、私を見て「げっ」とか言わないでくれる?不快なんだけど」


 かなり不快なことが伝わってくるほどに嫌悪感たっぷりな目で俺を見てくる。

 聞こえてたのか……まぁいいけど。


「そりゃ驚くだろ。それよりこんなところでなにしてるんだ?煙草か?」

「ちょっ、大きな声で言わないでよ!誰かに聞かれたらどうするつもりよ」

「……そんなに気にするんならやめろよ」

「うるさいわね、私の勝手でしょ」


 どうやらタバコというのは当たっていたようだ。

 さっきまでの優等生っぽい姿勢正しい彼女ではなく、足を揺すってイライラする彼女はニコチンを欲しているご様子だ。


「はぁ……お前よくそんなんで誰にもバレずに優等生やれてきたな」

「私は完璧で用意周到なの。だからバレないし今後もバレることはないわ」

「俺にバレたくせに」

「なんか言った?」

「いや……」


 相当イライラしているのは、タバコを吸えないせいなのかそれとも俺と話しているからなのか。いや、多分両方だな。俺もなんかイライラするし。


「とにかく、俺は口外しないから自滅はすんなよ」

「さっき、斉藤君となに話してたの?私の名前聞こえてきたけど」

「ああ、別に。斉藤もお前のファンだって。かわいそうにな」

「一言余計よ。でも、斉藤君はタイプじゃないからあなたから適当に断っておいて」

「ほんと、性格悪いなお前」

「正直な性格と言ってほしいわね」  


 言って彼女はどこかへ歩いていった。


 ほんと、最悪も最悪だ。

 赤い髪を風に靡かせるその姿はとても綺麗で見るもの全てが魅入るだけの妖艶さがある。

 

 しかし見た目とは裏腹なその中身を知れば必ず人は幻滅するだろう。そう、俺のように。


 そんなゴミみたいな天使様に対しても、タバコ見つかるなよなんて思ってやれる辺り、やはり俺は少し余裕が出てきたのだろう。


 ゆっくり教室に戻り、またクラスメイトと楽しそうに話をする天使を横目で見た時、俺は思った。


 何が完璧で用意周到だ。


 胸元にライター入れるなバカ。


 

 

 


 

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