第2話 天使の来訪
翌朝俺は部屋を出るときに隣の部屋の様子が気になった。
あのタバコ女、本当に天使だったのだろうか。
あのあとすぐに彼女は部屋に戻ってしまったので半信半疑なままでいたが、それはすぐに夢ではなかったと確信に変わる。
「はぁー……マジ見られた。だるいわー、なんなんあの男。なんか陰キャだし私のこと脅してこないかな。ま、誰もあいつの言葉なんて信用しないだろうけど」
マンションの裏に行くと、そこでプカプカとタバコを吸う天使がいた。
「おい、聞こえてるけど」
イラッとしたので俺は彼女に思わず声をかけた。
なんだこの女、相当なまでに性悪だ。
「なによ、ほんとのことでしょ?」
驚く素振りも悪びれる様子もなく、ただ俺を睨みつける彼女は本当に学校一の優等生と名高い彼女と同一人物なのかと疑いたくなるほどにクズに見えた。
「あのさ、タバコ……やめろよ」
俺はコイツのいうような陰キャラではない。
中学までは女子にモテまくったし、友人も多く地元を離れる時には多くのファンレターと友人からの惜別の涙をもらったほどだ。
ただ高校ではスタートダッシュに失敗したことと、俺自身がケガで病んでいたからこんな調子なだけで、別に人見知りしたりヤンキーにビビったりするわけではない。
だから当たり前に彼女の行動を注意する。
「あ?なにそれうざいんだけど。別にあんたに迷惑かけてないでしょ?」
「迷惑だ。洗濯物にタバコの臭いがつく」
「なにそれ、主婦みたいなこと言うんだ。マジ女みたいなやつ」
昨日まで、天使という苗字を冠する彼女は生まれながらに天使なのだとそう思っていることもあった。
しかし実際は違う。ただの不良だ。
「もういい。でも、それよくないからやめろよ。せっかくの美人が台無しだぞ」
俺はそう言い残して部屋に戻った。
美人だなんていったのは皮肉ではない、一応本音のつもりだ。
しかし、人の夢を壊しやがって、という気持ちも含まれていたと思うのでやはり皮肉だったのかもしれない。
彼女のような綺麗な女子に憧れを抱くのは男子の性である。
だから別にそれを恥だとも思わないし、いまさら強がって否定することもしない。
だが、今となればあんな不良娘に少しでも淡い気持ちを抱いていた自分に辟易する。
今日から春休みだというのに、なんとも気分の悪い休みの初日だった。
休日だからと言って特にやることはない。
ただダラダラと不毛な時間を過ごすだけ。
結局その日はベランダに時々出てみてもタバコの匂いもしないし彼女の姿もない。
別に彼女に出会うことを期待してではなく、むしろ会わないことを祈りながらの生活が一週間ほど続いた。
意図的に避けようとして、アパートに戻っても周りも見渡してから部屋に戻ったり、ごみを出す時間も変えたりしていたのもあるが、本当に彼女は隣にいるのかというくらいに静かだった。
それで別にいいのだが、彼女みたいな人間が隣に住んでいるのはあまりいい気がしない。
学校ではかなりの優等生で通っているはずなのにああも中身が違うものなのだろうか。最近学校で何かあったとか……いや、二重人格とかじゃないと説明つかないくらいの酷い変わりようだ。
色々考えてはみたが結局春休みという時期も重なってそんなことを確かめる術もないまま時間だけが過ぎた。
四月になると、急に暖かくなる。
今日はいい天気だった。世間はエイプリルフールがどうこうと盛り上がっているようだが、この日は俺の膝が逝った日なので、嫌なことを思い出す一日でしかない。
膝の手術跡を見てため息をついてから、またゴミを出しに行くとそこに彼女が立っていた。
「おはよ」
なぜか挨拶をされたが、俺はそれを返す気にはならない。
「……」
無視してごみを捨てて戻ろうとすると、彼女が呼ぶ。
「ちょっと、シカト?」
「……別に用事ない」
「あ、そ。でも挨拶もできないやつなんてろくに出世もしないわよ。あ、だから落ちこぼれてるんだっけ」
俺は彼女の安い挑発にぴくっときた。
誰もこうなりたくてこうなったわけじゃない。それを思うと無性に腹が立った。
「おい、何も知らないくせにうるさいぞ。お前みたいな不良だって需要ねぇよバカ」
「は?私、こう見えて学校では超人気者なんですけど。あなたと一緒にしないでくれる?」
「そうかいそうかい、せいぜいタバコ臭いその口で男とよろしくやってろ」
「はぁー、それセクハラなんだけど」
「あっそ。じゃあ訴えてみろよ。俺は知らん」
「ふん、何よ偉そうに」
春休み二度目の彼女との出会いは、またしても最悪なものとなった。
彼女と顔を合わすたびにこんな感じだ。
しかしそれはなにも俺とあいつが犬猿の仲とかそう言うのではない。
そもそも彼女のことなんてほとんどなにも知らないし、向こうだってそうだ。
しかしここまで喧嘩みたいになるのは、あいつの性格があまりにも悪いせいだ。
俺でなくてもこうなる。
一応俺だって男だから、隣人に美人なお姉さんでも引っ越してこないかなんて妄想をしたことがないわけでなはない。
だが、大外れもいいところだ。
これからあんなのとしょっちゅう顔を合わせないといけないと思うとうんざりする。
しかし今思ってみればだが、彼女はどこかのお嬢様だなんて噂を耳にしたがあれは嘘だったのだろうか。
まぁイメージから話が独り歩きしたなんてことはよくある話だし、だいたいあんな不良娘がいいところのお嬢様であるわけがない。
俺はせっかくの春休みを終始イライラしながら過ごすことになる。
またしばらく彼女を避けていたが、隣人というだけで避けられない場合もある。
玄関先で出かけるタイミングが被った時、彼女の方が「あ」と声を出すが俺は忘れ物をしたふりをして部屋に戻る。
明らかに避けている、というのを露骨に態度で出せば向こうも話しかけてこなくなるだろう。
そう思ってわざとらしいほどに彼女を拒絶していたが、春休み最終日の夜にまた彼女と関わることになる。
明日から学校だということで少し憂鬱になりながらもどうすることもできず、何もすることもないままテレビを見ていると玄関のチャイムが鳴る。
そして無警戒にドアを開けると、そこには天使が立っていた。
「あ……」
俺は何かの間違いだと思い込ませるように静かにドアを閉めようとした。
しかし彼女はドアの隙間に足を入れてきて、無理やりこじ開ける。
「ちょっと、何が何でも失礼じゃない?」
「いや、用事ないし」
「私があるのよ。何その自分勝手な理屈。このオナニー野郎」
「大声出すな、近所迷惑だろ」
「じゃあちょっとあがらせてもらうわ。失礼します」
「お、おい」
ずかずかと俺の部屋に上がり込んだ彼女は靴を脱ぎ捨てて勝手に俺の部屋の隅に座った。
「おい、出てけよ」
「話があるって言ってるでしょ」
「警察呼ぶぞ」
「そんなことしたら、あなたに無理やり連れ込まれたって言ってやるわよ」
「ちっ……お茶なんて出ないぞ」
どうもこの女、性格がひん曲がってるようだ。
しかし話とはなんだ?
「あのさ、あんた煙草はよく吸うの?」
「は?何の話だよ急に」
「質問に答えなさいよ」
「……あの時だけだ。今は吸ってないし吸いたくもない」
「あ、そ。じゃあ、私を見てどう思った?」
「どうって。別に、不良だなって」
「ふーん」
話が見えない。
彼女は一体何を言いたいのか、俺はその言葉を訊いても表情を見てもさっぱり意図が伝わってこない。
「何が言いたいんだ?はっきり言えよ」
「あんた、私の本性ばらしたりしないよね?」
「結局それか。言ったら殺すんだろ?死ぬのは嫌だから言わない。これでいいか」
「そんな口約束信用できない。だからあんた、毎日私に誰とどこで何したか報告しなさい」
命令口調で話す天使は俺を睨みつけてくる。
当然そんな態度でお願いされて「はい、わかりました」とならないのが人間の心情だ。
「なんで俺がそんなことしないといけないんだよ。俺に得がない」
「損得でしか動けないなんてホント小っちゃい男よね。だっさ」
「はぁ?バラされたくないんなら素直に頭下げろよ」
「なんで私が」
「じゃあ明日始業式の後、全部先生にばらすぞ」
「なっ……脅すの?」
「お前がそうさせたんだ。もういい、俺はお前の本性をばらす」
「ま、待って」
慌てて立ち上がった天使は、それでもなお鋭い目つきで俺を見る。
ただ、睨んでいるというよりは、少し困った様子にも見える。
「メリットがあれば、いいのよね」
「あ?まぁ、そりゃあな」
「じゃあ、彼女のフリ、してあげるわ」
「は?」
意味不明な提案に俺は心底間の抜けた声が出た。
彼女の、フリ?なんだそれ。
「あなた、学校ではぼっちなんでしょ?私と付き合ったってなれば嫌でもみんなあなたのことを注目するわよ」
「……別に目立ちたくないんだけど」
「あ、あなたはずっとこんな日陰でジメジメウジウジしてて満足なの?私は絶対に嫌よ」
「自分の理想を人に押し付けるな」
「あ、呆れた!私が付き合ってあげるって言ってるのに何よその態度!?」
「なんだその上からの態度は。お願いしてきてるのはお前だろ」
「……」
お話にならない、というかもう話したくない。
お前一体何様だよ、可愛けりゃ誰でも男が喜ぶと思ったら大間違いだ。
「なんだ、何も言わないならもう話は終わり。俺は明日先生に全部話す、そんでお前は優等生キャラはく奪。以上だな」
「ちょっと、なに勝手に話進めてんのよ」
「じゃあお願いします、だろ」
「……お願い、します」
ようやく悪魔のような天使が折れた。
最後に「ちっ」と舌打ちしたのが気にはなったが、もうこれ以上話を広げたくないので、この辺にしておいてやろう。
「わかった、じゃあ俺は何も言わない。それでいいか?」
「だからそれじゃ不安だからちゃんと私に報告しなさい」
「はいはい、わかったよ。でも彼女のフリってのは別にいらないから。学校ではそっとしておいてくれ」
「何よ、あとで後悔しても知らないわよ」
「じゃあ一生知らないままでいいよ」
「……ムカつく」
彼女は話がまとまるとすぐに部屋から出て行こうとする。
さっさと帰れと思いながら彼女を見ていると、最後に彼女が言い残す。
「学校で会っても馴れ馴れしくしないでね」
ああ、俺もそのつもりだよ。
明日からは新学期、俺は同じクラスにならないことだけを祈っておくとしよう。
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