【恋愛日間ランキング2位獲得感謝】隣に住む天使様は学校では優等生のお嬢様。だけど本性を知ってしまってから彼女は俺に付き纏うようになりました。

明石龍之介

第1話 隣人の香り

 *この物語は、未成年の喫煙や飲酒などの描写を含みますが、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。




「あ……」


 俺は思わず声が出た。

 教室の窓から見下ろす景色は何も変わることはなく、今日も俺に突き刺さる。


 放課後になって少し経ったこの時間、いつも彼女がそこを通る。


 天使。それは比喩表現でもなんでもない。


 俺の目に映る彼女は天使霞あまつかかすみ。その大層な名前に決して負けることのないの美麗な彼女はこの学校一の人気者。


 鮮やかに染め上げたような赤い髪は地毛だそうで、とても艶やか。

 大きくやわらかな目は見るものすべてを魅了する、まさに天使の瞳。

 折れそうな細い腰が象徴するようなスレンダーなスタイルは彼女に儚さを演出する。


 聞けばどこかのお嬢様らしいが、それもすんなり納得できるだけの雰囲気を帯びている。


 そんな彼女のあだ名はもちろん天使てんし様。

 まぁ男子がそう呼んでるだけだが、いつもどこかで天使様天使様と話す男連中の会話が聞こえてくる。


 彼女とは同級生だがクラスは違う。

 今日も変わらずに美しいその姿を惜しげもなく披露しながら下校していく。


 初めて彼女を知ったのは半年前の九月某日。

 文化祭の準備に奔走する生徒で騒然とする校舎の屋上で一人、俺は煙草を吸っていた。


 常習でもなんでもない。この日が初犯だ。

 ただ悪いことに憧れたわけでもなく、思い付きで変装してコンビニで買ってきたものを口にくわえ、わけもわからず火をつける。


 全く美味しくもないその味に俺は酷くむせた。

 口いっぱいに広がるビターと呼ぶには少々不味すぎる味に俺は気分が悪くなって思わず屋上の金網にしがみついた。


 そして下を覗き込むと吸い込まれそうな気持ちになった。


 別にそこから飛び降りようと思っているわけでもなかったが、飛び降りたら楽になるのかななんて気持ちは少なからずあった。


 この俺、工藤遊馬くどうあすまは中学の時までは神童と言われたサッカー選手だった。

 しかしそれは過去形。高校に入ってすぐ、いや正確には入る前に俺の膝は砕け散った。


 それが事故なら、いやせめて自己責任の案件ならここまで病んではいなかったはず。

 そう、俺は壊された。

 入学前の春休みの練習中に先輩達の執拗なスライディングで云々なんて説明はもう思い出したくもないので割愛するが、とにかく俺は破壊された。


 そして春からずっと入院。夏休みも病院のベッドの上で過ごした。

 転校も打診されたが俺は断った。そいつらから逃げるようで、最後の俺のプライドがそれを許さなかった。


 だから二学期から学校に通い始めたのだが、足を引きずりながらいきなり二学期から姿を現すクラスメイトに誰もが懐疑的な目を向けてきていた。


 しかし誰も声をかけては来ない。

 結局知らないものというのにひどく臆病なのが人間だ。


 まぁ自分で言うのもなんだけど俺は顔はそこそこイケメンだと思う。

 しかし何せ目つきや態度が悪かったのは自覚している。

 中学の時なんて調子に乗りすぎて先生からよく指導を受けたものだし、不良にもよく絡まれた。

 それでもサッカーがうまい、というだけで何となく許されてきたわけだが、もう免罪符を持ち合わせない俺はただの柄の悪い怪我人に成り下がった。


 そんなこんなで高校ではぼっちになった俺は当然文化祭の波に乗ることもなく、持て余した末に選択したのが不良まがいの行為。

 劣等感の塊にまで堕ちてしまった俺はせめて、悪いことでもして優越感に浸りたかっただけだと思う。


 そんな時だった。

 彼女がやってきた。


「ちょっと、そこで何してるのですか?」


 赤い髪の女の子が屋上の出入り口から俺を指さしてくる。

 俺は自分が煙草を持っていることなんて忘れていて、そのまま立ち込める煙の匂いに包まれながら彼女を見ていた。


「あ……」

「その右手に持っているもの、煙草ですね」

「い、いや、まぁ」

「火を消して捨てなさい。見逃してあげますから」


 彼女は怒るでもなく、かといって優しくするでもなく俺にそっとペットボトルを差し出してきた。


「ここに入れなさい。そして二度としてはいけませんよ」


 言われるがまま俺は煙草をその中に放り込む。

 そして彼女はそれを袋に入れて去っていった。


 ただ、それだけだった。



 一目惚れ、なんてロマンチックなものはなかった。

 今より荒んでいた俺の心は、そんな彼女に対してうざいという感情を最初に持った。


 そして後から彼女のことを少し調べた。

 調べたとは言っても、先生に赤い髪の女子生徒について質問をしたくらいだが。


 聞いて俺はさらに彼女が嫌いになった。

 勉強は学年トップ、スポーツテストは満点、それでいて部活には所属せず、代わりにクラスの委員長をつとめているという。


 そんな、なんでも持っている彼女に対して何もかもを取り上げられた気分でいた俺は多分嫉妬していた。


 だから彼女が嫌いだった。


 ただ、窓際の席から見下ろす先にいつも友人と楽しそうに帰る彼女の姿があることを発見してからは、なぜか毎日それを見てから下校するようになった。


 そして今日も同じようにその姿が正門の向こうに消えていくのを確認してからゆっくり席を立って帰路につく。


 ちなみに明日からは春休み。

 あと二週間もすれば俺は高校二年生になる。


 だからと言って何もない。 

 別に思い入れもない。


 変わったことと言えば、足の痛みがだいぶなくなってきたことくらいだ。

 

 最初はあれほど苦労したアパートの階段も今はなんともない。

 今更な説明だが俺は一人暮らしで、古いアパートに住んでいる。


 サッカーの推薦で県外のこの学校に来たため寮生活をする予定だったのだが、もちろん部活をやめた俺に寮なんてものは用意されない。

 地元に帰れという意見に反対した俺に対して寝床を用意して仕送りまでくれる両親には感謝しかない。

 だからこんな俺でもなんとか学校には通っている。


 アパートの部屋は四つ。間取りは八畳一間のワンケー。

 一階は二部屋とも埋まっているが、二階にある俺の部屋の隣は空いている。

 外観はボロだが部屋は意外と綺麗で、風呂もトイレも洗濯機もある。


 学校こそそう遠くないが、周りにはコンビニが一軒あるだけの、夜は街灯の明かりでもないと何も見えないような不便な場所。

 

 だからちょうどよかった。

 高校の連中とばったりなんてこともなく、俺は平穏な日々を過ごしていた。



 しかし今日はなにやらアパートが騒がしい。

 引越し業者のトラックが前に止まり、慌ただしく配達員が荷物を運び入れている。

 隣に誰かが引っ越してくるようだ。


 こんなところに住もうだなんて奴がまだいるんだと、自分の事を棚にあげて驚きながらも、別に他所様に興味もない俺はさっさと業者の間をすり抜けて部屋に戻った。


 何もない部屋ではつまらないので、毎週漫画を買ってきていたら本棚が埋まっていた。

 でもあるのはそれくらい。

 備え付けのベッドと実家からもらってきたテレビ、それに冷蔵庫。

 貧乏学生を象徴するようなその部屋も住めば都、帰ると妙に落ち着く。


 やれやれと一息ついてからテレビを見ていると、やがて日が落ちて窓の外が暗くなる。

 それを見て俺は夕食を作ろうと冷蔵庫を開ける。


 自炊も慣れたものだ。

 さっさと自分の飯を作って食べる。

 胃袋を満たせればそれでいい。


 そんな食事を業務的に済ませてからまた部屋に寝転がる。


 その時、ふとテレビの前に置いたままのタバコの箱に目がいった。


 半年間、一本吸っただけのそれを大事そうに置いていたのは彼女との出会いを思い出す為でもない。

 ただ彼女の言いつけは守り、あれから一本も吸ってはいない。


 もちろん今後も吸う予定はない。

 だから置いてあるのは未練ではない、戒めだ。


 ガラガラっとベランダに出て、ふとそんなことばかり考える頭を冷やす。


 そして外の空気を大きく吸うと、ほんのり苦い香りが俺の鼻孔を刺激する。


 横の部屋からタバコの煙が立ち込める。

 隣の部屋の住人は喫煙者か……洗濯物とかに臭いがつくと嫌だな。


 そんな主婦のようなことを考えながら徐に横を覗き込む。


「はぁー、だるいわー。まじでなんなん今日告白してきた男子。ほんと、自分の顔鏡で見てから来いって話よ。ほんっとキモイ、ムカつく。私の貴重な時間返せってのよ!」


 実にうまそうにタバコの煙を吐きながら、その煙にのせるように愚痴を吐く女性の姿が見えた。

 部屋の明かりで照らされた髪は赤く輝き、夜風に靡く。


 そして俺は彼女を知っていた。


「あ、天使、さん?」

「え?」


 思わず名前を呼んでしまった。

 そう、彼女は紛れもなくあの優等生、天使霞だ。


 あまりに学校と違うその言動に俺は驚いた。

 そして彼女もまた、俺のことを覚えていたようだ。


「あなた、屋上の……そう、ここに住んでたのね」


 悪びれる様子もなく、もう一度タバコを咥えてから煙を吐きながら、言葉を失う俺に彼女は言う。


「このこと、誰かに話したら殺すわよ」


 この時の天使の顔は、まるで悪魔のよう。


 これが俺と彼女の二度目の出会いである。

 

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