オヤジと息子

サイトウ純蒼

オヤジと息子

母親はいなかった。

ケンジが生まれるとすぐに体調を崩し死んでしまった。


だからケンジに母の記憶はない。


あるのはオヤジの記憶のみ。

無言で厳しいオヤジの記憶だけが幼少のケンジの心に刻まれている。



小学生になるとオヤジの顔を見ることも減った。


(……また居ない)


朝が早いケンジの父親は、毎朝朝食を用意し早朝から仕事に出掛ける。朝起きてきたケンジはひとり冷めた朝食を食べる。やがてケンジは掃除や洗濯などを覚えていった。



授業参観はケンジにとってとても嫌な日であった。


「ケンジのとこ、またオヤジだよな!!」


分別が分からない小学生の言葉。

幼いケンジにはクラスメートの綺麗な母親が並ぶ中に、ひとり普段着でやって来るオヤジの姿を見るのが恥ずかしかった。


「来なくていいよ……」


「いや、行く」


ケンジがそう言っても父親は頑として受け入れなかった。




中学に入るとケンジはだんだん学校へ行かなくなった。

素行の悪い連中とつるむようになり、学校の教師から何度も指導を受けた。


「生意気なんだよ!!!」


「ひぇ!!」


バン!!!


ある日、中学校で授業後にケンジが同級生を殴って怪我をさせたとして、父親が学校に呼ばれた。


事情を説明された父親は学校の教師に何度も頭を下げ、その足で殴られたケンジの同級生の自宅へ行って再度深く頭を下げた。

幸い怪我は大したことはなく、ケンジも一緒に謝ったのでこれで終わったと思っていた。


だが、



ガン!!!


自宅に帰ったケンジを父親は思い切り殴った。

そして一言、


「もう二度とするな」


そう言うと居間へ行き、新聞を読みだした。

ケンジは突然のことに何もできなかったが、目にうっすらと涙を溜めるオヤジの顔を見て自分が何をしたのかを初めて知った。



それが原因と言う訳ではないが、ケンジは学校には真面目に通うようになった。成績も悪く正直卒業できるのかも分からなかったが、不思議なことに高校へ進学することができた。


高校に入りそれまでよりも早く起きるようになった。

それでも更に早く起きて朝食を作る父親に、やはり朝会うことはできなかった。


「まずいメシだぜ……」


ケンジは何年も続く冷めた朝食をひとり食べて学校に出掛ける。



ケンジが気付いたのはこの頃だったと思う。


「オヤジ、最近瘦せたよな」


「気にするな、大丈夫だ」


明らかに父親は痩せていた。

幼い頃あんなに大きく思った父親は、今は背中が丸く見えるほど威厳がない。顔のしわも増え、そして頭には白いものが多くなっていた。


しかしケンジにとってやはり父親は強大であり、威厳のある存在であった。この先もずっとそうだと思っていた。だが、



――父親が脳梗塞で倒れ病院に運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。


それはケンジが高校の卒業を目前に控えたまだ風の冷たい3月のことであった。

親族の協力で葬儀も終え、その後ひとりアパートで暮らすようになった。幸い就職先も決まっていたのでケンジは4月から仕事に出掛けるようになった。


毎朝早朝に起きて仕事に向かうケンジ。

働き始めて数年後、ふとオヤジのことを思い出した。



――オヤジは何時に起きていたんだろう


朝、鏡で少し疲れた自分の顔を見ながらケンジは思った。





「ケンジ、ちゃんと食べさせなきゃだめよ!!」


マリがおどおどしながら離乳食を息子に食べさせるケンジに言った。


「ああ、大丈夫……」


口に入れられたものを美味しそうに食べる息子。自然とケンジの目尻も下がる。

数年後マリと結婚したケンジには男の赤ちゃんが生まれていた。



三人で食べる朝食。

幼少からずっとひとりで食べていた朝食がこんなに美味しいものだとケンジは初めて知った。


ケンジはオヤジのことを思い出す。


子供の時、早朝寝惚ねぼまなこで朝食を作るオヤジを見たことがある。

決して得意ではなかった料理。

それでも一日も欠かさずケンジの為に朝食を用意してくれた。



――尊い


美味しいと思ったことは一度もなかったが、今になって思うのはあの朝食がとても尊いものだったということ。



「あーん」


離乳食を食べる息子。この子も何と尊いことなのか。



ケンジは思う。

いつかこの子が大きくなって人の道を外すようなことしたら、嫌われてもいい、殴ってでも正しい道へと連れ戻してやる。


オヤジみたいに。

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